向かい風で飛べ!

 陸上競技の選手だった為末大が、ツイッターで「アスリートもまずその体に生まれるかどうかが99%」「できる体に生まれることが大前提」と発信して散々叩かれる事態があった。とりわけ努力によって成長し、大成功を収める物語を美しいと讃えたがる風潮が日本にはあるだけに、そうした努力を真っ向から否定する為末の言葉に、才能を持つ者の傲慢さを見たと感じる人も少なくなかった。

 とはいえ実際問題、いくら努力したところで100メートルで誰もが10秒に迫ることはできないし、11秒台で走ることだって難しい。それは水泳でも柔道でも他の競技でも同様で、強くなる人は強くなるだけの肉体的なアドバンテージを最初から持ち、その上に最大限の努力を重ねて、あそこまでの成績を挙げるようになる。悲しいけれどもそれが現実。絶対に揺るがない。

 だからといって、100メートルを12秒台で走る人が劣っているかというとそういうことはない。陸上競技の選手にはなれなくても、走る楽しさをその人自身が味わっているならそれで十分。ほかにいろいろな才能があったりするかもしれないし、そうでなくてもその人がその人なりに生きているなら、他の誰が何を言って蔑むなんてことはできない。人それぞれ。だから誰もがお互いに敬意を抱いて生きていけるし、そうやって世界は丸くなる。楽しくなる。でも。

 一般から抜け出たアスリートの世界になると、そこではやはり天性の才能があるか、肉体を持っているかということが、大きな分かれ目になる。乾ルカの小説「向かい風で飛べ!」(中央公論新社)でもそんな、天性の才能の有無をめぐって、スキージャンプに挑む少女たちが迷い、悩みながらも成長していくストーリーが繰り広げられる。

 札幌にある農業試験場で小麦の品種改良に成功した父親が、祖父母の耕している農地を手伝いたいといって職場を辞め、故郷へと戻った関係で、札幌から父母とともに祖父母のいる土地へと引っ越した室井さつきという小学生の女の子。父親はともかく自分には周りに知っている子供は誰もおらず、田舎で生徒数も少ないからすっかり人間関係が出来上がっていて、入り込めないまま疎外感を味わっていたところに、クラスメートですらりとした美少女の小山内理子から、ジャンプを見に来ないかと誘われる。

 その時は、直前に理子が同級生の門田圭太と「ワンピース」という言葉を交わしていたこともあって、すっかり漫画の「ONE PIECE」のことだと思ったさつき。慌てて単行本を買い込んで、父親の車に乗せて貰って理子の誘いに応じて出かけたけれど、その先で行われていたのはジャンプはジャンプでもスキージャンプだった。

 そこにはジャンプ用のワンピースのスキーウェアを着た理子がいて、大人たちに交じってテストジャンパーとしてとてつもないジャンプを見せてくれた。知らないのは転校してきたさつきくらいで、実は理子は女子のスキージャンプ界で将来を有望視されていて、五輪すら出場できる可能性があると言われている逸材だった。そんな彼女にいっしょにやらないかと誘われて、さつきもスキージャンプを始めることにする。

 その時はまだ、凡才が天才に惹かれ、そして引っ張っていかれるという構図。剣道でごくごく普通だった少女が、全国レベルの腕前を持った少女と出会い、いっしょに練習しながら強くなり、やがて別れてライバルになるという誉田哲也の「武士道シックスティーン」を思わせる。それと同じように、理子はさつきの憧れとして先を行くけれど、意外にもさつきはスキージャンプの才能があったようで、誘った理子が驚くくらいにぐんぐんと成績を伸ばしていく。

 さつきに追いつかれるかもしれないという恐怖心が浮かび、また次第にふっくらとして少女らしさを増していく体型もあって、これで良いのかと思い悩む理子。精神的な迷いが踏切にも出たのかスキージャンプの成績も伸びず、このまま自分はジャンプを続けるべきかと迷う。

 そんな理子の悩みを知ってか知らずか、何も迷いなくただひたすらに上を見て、前へと向かって飛んでいくさつきのあっけらかんとした姿勢、理子が求めても得られないその体型こそが天才で、圧倒的な才能に恵まれていると見せていて、密かに努力を重ねて成績も体型もモチベーションも維持していた理子は天才ではないのか。努力するのはただの凡才に過ぎないのか。

 そんな、天才と凡才が入れ替わったかのように見える展開が、生まれつきの才能というのはいったい何なんだろうか、それは永遠のものなんだろうかといった問いを投げかけてくる。神童と呼ばれていても、大人になったらただの人なのはよくある事。自分もそれだけのことだったのか? そんな理子の迷いと苦しみは、今に悩み将来に迷う理子やさつきと同じ世代の少年少女に、同じ思いを抱かせそう。

 だからこそ、理子とさつきがたどった道筋が、悩み迷う世代の少年少女への道しるべとなる。たとえジャンプが飛べなくても、家族の自分への想いは変わらないし、さつきの自分への尊敬は減じないと知って理子は自信を取り戻す。天才と呼ばれていてもそこに苦みを覚えて苦しんでいた理子を見て、さつきも安閑とはしていられないと感じる。天才であっても凡才であっても、努力は必要だしその結果がすべてではない。だからできる場所で才能を発揮し努力しよう。そう教え諭してくれる。

 物語は進む。理子は追い抜かれる恐怖が体を縛っていただけで、天性の才能は衰えていなかったし、さつきもまだ挫折を知らないだけ。それらを乗り越え、友情を確認し、共にライバルとして立つ気持ちを強めた天才と天才が並び立った先に、いったいどれだけの素晴らしい競技が、そして交流が繰り広げられることになるのだろうか? 五輪という場所が意識され、出場枠なり成績といった具体的な線引きが2人を分かつ時があっても、友情は変わらず続くのだろうか?

 そんな将来を描く続きの物語があれば、ぜひに読んでみたい。どこまでも読んでいきたい。


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