あれは超高率モチャ子だよ!

 「あたしたちのモチャ子が爆発しました!」

 そんな魅力的な書き出しから、何かトンデモないことが起こっているじゃないかとワクワクさせてくれた丹羽春信の「あれは超高率のモチャ子だよ!」(KADOKAWA、600円)。第20回スニーカー大賞の特別賞を受賞した作品で、メインストリームを行く大賞受賞作品とは違った、特別賞ならではのひねられた面白さを持った作品だという期待が膨らむ。

 そうした期待は一面で裏切られ、だからこその期待をそれからの展開に抱かせる。モチャ子とは何か。爆発とはどういうことか。答えはすぐに出る。安倍清明がよく使う式神のような、人型をした紙切れに価値を持たせた一種の地域通貨だと判明し、なおかつ爆発なんてしておらず、運搬中に奪われた言い訳としてそう誤魔化しただけだと分かる。

 なんだただの紙切れか。自爆もしなければ変身もしないのか。それを知ってモチャ子なるものへの興味がグッと薄れてしまう部分が確かにある。アホ毛が特徴の手芭ユイという少女の意外性がある言い訳には感心できても、その言葉が展開そのもに絡んでないことに物足りなさを覚える。ただ、高められた期待が下がったとしても、その後の物語には見るべきところがある。だから賞を獲得できた。そう思える。あるいはそう思いたい。

 爆発こそしないものの、モチャ子は学校の中で絶対の価値を持っている。モチャ子で買えないものはない。だから誰もが手に入れようとする。そんな学校の中には、モチャ子経済を牛耳る執行局と公安局なる2つの組織が並び立っていて、勢力争いを繰り広げている。その下で生徒たちもモチャ子の量を絶対とした生活を送っている。

 にも関わらず、執行局にも公局にも属ていない部署があった。それが配当局。三島ナツというひとりの女子生徒をリーダーにして、半ば強引に引き込まれた主人公の桜几晃という少年や、彼と幼なじみの手芭ユイがメンバーとなって、執行局や公安局を出し抜くためにモチャ子集めに奔走する。そんな展開が待っている。

 繰り返すけれども、モチャ子はどこまで行っても単なる地域通貨に過ぎなくて、意思を持って動くようなことはない。物語はだから、社会から隔絶され経済的にも切り離された学園内を舞台に、独自の経済と政治が繰り広げられている条件の下で、弱い奴らが知恵を廻らせ覚悟も決めて一種のクーデターに向かう、といったストーリーになっている。

 そこには、誰が本当の黒幕かを見破るような推理もあるし、モチャ子をかけて図書館を奪い合うような展開において、口で誤魔化しゲームで勝って最終的な勝利を手にしようと画策する謀略の楽しみもある。まさかそんな裏があったとは! といった驚きも得られるけれど、それなら別にモチャ子という名前がダルでもヤンでもフロンでも構わないし、人型ではなく円形でも問題ない。

 せっかく面白そうな名前をつけ、形も工夫したのにそれを生かし切れていないという印象。もっとも、敢えて人型にしたからには、そこに別の意味が潜んでいるかもしれないという想像も浮かぶ。この後に続く展開の中で、そうしたモチャ子に隠されていた秘密が明らかになるようなら、最初に抱いた興味を満たしてくれるものとして、面白さを増していくことになるかもしれない。そうなるとは限らないけれど。

 その時には、学園内だけでモチャ子なる奇妙な通貨が発行され、成立している理由にも迫って欲しいし、比較的エリートたちがそんなモチャ子経済を経て巣立ち、社会に浸透している状勢がいつか大きな展開を読んで、学園を翻弄するなり世界を混乱へと向かわせるようなダイナミックな展開があっても良いかもしれない。そして本当にモチャ子は爆発し、世界を未曾有の混乱に陥れる、と。

 果たしてあるだろうか。なくてもそれはそれ、機転と謀略によってひとりの少年が、底辺から這い上がっていくサクセスストーリーとしても読めるし、付き従う幼なじみの少女の媚びているようで見捨ててもいるような、破天荒な言動を楽しむ物語として味わっても悪くない。すべてを画策した三島ナツを乗り越え、新しい仲間を引き入れて次に狙うターゲットにも興味津々。だから続きをとりあえず。


積ん読パラダイスへ戻る