未来線上のアリア

 いつだったか、SFマガジンのコラムで、宇宙軍大元帥の野田昌宏氏が、トム・ゴドウィンの「冷たい方程式」に登場する宇宙船の船長は、いかりや長介に演じてもらいたいと書いていた。まだドリフターズのリーダーというキャラクターが強烈だった頃で、後にテレビドラマの「踊る大走査線」で見せる老獪な芝居なんて、想像もできなかった。

 そんな時代に、人間として苦渋の判断をしなくてはらない船長の、悲しみと憤りが内面から滲み出なくてはならない演技をいかりや長介ができると大元帥は考えついた。さすがは名プロデューサーとして人気番組を次々と手掛けたテレビマンだった大元帥。あるいは日々の仕事でカメラの前に立たないいかりや長介の真面目で仕事熱心な姿に接して、この人にならあの船長が演じられると確信したのかもしれない。

 手元にそのコラムが書かれたSFマガジンが見あたらず、どういうニュアンスだったのかははっきりしないけれど、いずれにしても炯眼おそるべし、といったところか。そんな大元帥が今、存命だったら綾崎準の「未来線上のアリア」(アスキー・メディアワークス、570円)で、誰を主人公ともいえる医務官や、彼が愛する文部官ら宇宙を行く面々に配役するだろうか。興味が尽きない。

 環境が悪化した地球から、遠くにある惑星へと人類が船隊を組んで移住することになった未来。移住先の星が近づき、先遣隊として指導的な役割を担った8人の男女が、到着の準備のためにコールドスリープから目覚めさせられたが、そこで一足先に目覚めていた艦長が、操舵室で死んでいたのが発見される。

 同時に、艦内を満たす特種な酸素を発生させる装置も失われていることが判明した。このままでは酸素が不足し、目覚めた8人が8人とも死んでしまうことになる。ただし、2人が死ねば6人は生き延び、船隊も無事に目的地へとたどり着いて、新しい文明をそこで育むことが出来るという。

 だったら誰が死ぬ? 投票によって犠牲者を決めることになってから、8人の間に浮かび、うごめく感情が、この作品の読みどころのひとつ。先遣隊の8人は、医務官や科学官、厚生官、法務官として各分野に突出した才能を持っているけれど、すべてが直面する緊急事態に必要とされる才能ではない。投票が始まれば、教育を担う文部官や会計を担う財務官が、真っ先に選ばれそうだと当人たちも含めて感じていた。

 そこに異論を唱えたのが、医務官のリブカという青年。全員が生き延びる道を探る努力をすべきだと訴えたが、実はそれは一種の偽善で、実は彼は文部官のアリアという女性に死んで欲しくないという恋情がら、場を取り繕うような発言をしただけだった。

 そして始まる、リブカの解けそうもないパズルに挑む物語は、冷た過ぎる方程式の前に敗れる形で進んでいく。けれども、そこで終わらず別の解が導き出される展開が待ち受けていて、そして、さらなる犠牲を求める方程式の前に、厚生官の女性が強欲さをあらわにし、刑務官や法務官を隷属させ、別の誰かを死に追いやろうと画策するアクシデントが起こる。

 誰が誰に投票するかを探る心理戦。そこから浮かび上がってきた、完全な密室を破るようなひとつの策謀。意外で巧妙な解に、きっと誰もが驚くことだろう。そして感じることだろう。一方通行でしかない愛の虚しさであり、尊さといったものを。

 絶対にアリアを生き延びさせなたい。そう願ったリブカの片思いがあり、そんなリブカに先遣隊のある人物から向けられ続けていた想いがある。それらは、いずれも振り向かれることなく、ひたすらに一方へと向かい、虚空へと消えていく。虚しくもあり、悲しくもあるけれど、それが自分を満たすのだとしたら、誰にとがめ立てできるのだろう?

 「冷たい方程式」にも漂った方程式に逆らえない虚しさを、ある種の喜びに変えて受け止める道を示してくれる物語。環境が崩壊する未来の地球のビジョンや、移民船団の技術であり、政治といったものの姿を見せてくれるSFであり、密室の謎に挑むミステリーでもある。そして何より、たぎるような恋情に溢れたラブストーリー。堪能あれ。誰が誰を演じれば良いかも考えながら。


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