めぐりくるはる

 「愛に障害はつきもの、乗り越えて初めて本当の愛が生まれる」。なんて赤面物のセリフをしたり顔して言えるほど、生まれてこの方経験して来た恋愛の、数は決して多くない。けれども小説とか映画とか漫画とか、愛を描いた様々な物語から受ける印象はやっぱり、愛の成就には結構な、苦労がつきまとうってことだった。

 そんな苦労をストレートに描けば、例えば夕方の銭湯から女性客を遠のかせた、数寄屋橋でのスレ違いなんかになるけれど、今時の抱負な恋愛経験を誇る少年少女が、いたずらにジラして結末を先延ばしにするだけの、障害なんて障害と思う訳がない。言うなればもっと自分の命にかかわる、あるいは人生と引き替えなくてはならないくらい、厚く重い障害こそが乗り越えるだけの価値を持つ。そして乗り越えた時の感動を呼び、乗り越えられなかった時の哀しみを招く。

 OKAMA、という少しばかり珍しいペンネームを持った漫画家の、「めぐりくるはる」(ワニマガジン社、505円)という作品集に収められた漫画の、幾つかの短編と「カナリア」と題された中編を読んで思ったことが、冒頭に掲げた「愛に障害は・・・・」というセリフだった。過去幾度となく描かれた、「愛の成就」の物語。そこにSFテイストあふれる設定が加わることで、陳腐でも通俗でもない緊張が満ち、そして大きな感動を呼び起こす、素晴らしい作品群が出来上がった。

 巻頭に収められた「120Wのぬくもり」は、精錬されたDNAから作られ、人工の子宮から生まれた美少女が、ただ女性に快楽をもたらすためだけに作られる、ロボットのような”大人のおもちゃ”の実験台となる物語。大人のおもちゃはポチと呼ばれて、少女を連日快楽に誘っていたが、少女から取ったデータと、開発者である父親の働きで、ポチが売りに出される日がやって来た。

 人造の少女と人工の快楽機器。「魂のモノ同士」として通じ合っていた少女とポチ。故に別れる間際まで、少女はポチに身を委ね、ポチは少女を持てる道具で喜ばせる。けれども次第に暴走したポチは、少女を捨てて自慰に走り、最後は自らを爆発させて息絶える。

 「ポチとはつながっていなかったんだ」と涙を流す少女は、乗り越えられなかった愛の哀しみの象徴だ。けれどもポチと戯れる少女に、ラブレターを書き1度はふられた少年が、負傷しベッドに横たわる少女と心を通わせる瞬間には、機械に惹かれた人造美少女の半ばあきらめきった感情を、溶かして恋を成就させた少年の、慶びが画面からにじみ出ていて、心をとても安らがせる。

 「ヒヨコ」は一見どこかのアパートに住む、美少女が主人公の物語。時折男性が訪ねて来ては、2人で愛し合うことになるけれど、実は少女はコンピューターの中に住む、一種の「ヴァーチャルアイドル」過ぎず、男性も実は年少の、少年が演じていたキャラクターだった。それを知ったコンピューターの中の「ヒヨコ」が、少年を嘘つきと見限るかというとそうではなく、体をもらい現実の世界に飛び出す日を夢みて、ヒヨコは横たわる彼我の障害をふまえつつ、男性(実は少年)との愛を確かめあう。

 巻末の中編「カナリア」は、さらに哀しくその分感動も大きな傑作だ。タイトルになっている「カナリア」は、鳥ではなくかつて一世を風靡した女性歌手の名前。けれども遺伝病に犯され子孫を残すことを許されず、密かにネルを生んで死んでいったらしい。

 母親を亡くした少年ネルムは、夜毎路地に立って美しい声で唄を歌い、それをみすぼらしい格好をした少女クッキが、毎日のように聴きいっていた。ネルはもらった干しゲソをクッキと分け合って食べ、クッキは飲べえの父親が飲み漁ったビールの王冠の、裏のコルクで首飾りを作ってネルムに贈る。そんなほの暖かな情景が、クッキの父親による絶え間ない暴力で汚された時。ネルはクッキの父親を殺し、クッキを連れて新しい町へと逃亡する。

 1つ障害を越えて愛を確かめ逢った2人、けれども新しい障害が2人をばっさりと切り裂く。酒場で美しい声を見初められたネルは、乞われて帝国劇場に出演する。一躍スターへの道を上りはじめたネルにとって、みすぼらしいクッキはふさわしくないと思った人々が、ネルの前からクッキを追い払う。それでも離れられないと、ネルを訪ねたクッキを襲った激しい暴力。そのまま行方知れずとなったクッキを、スターへの道を投げうって追いかけたネルは、やがて病の床に臥すクッキを見つけ、彼女の快復を願って喉が潰れるまで唄を歌い続けた。

 発表された雑誌の性格ゆえか、いずれの作品にもスレンダーな美少女とスリムな少年との、あからさまなセックスシーンが登場する。それを楽しみ興奮することは可能だが、世間一般のいわゆるエロ漫画が、激しいセックスシーンをどう描くかだけに関心をはらっているのとはまったく違って、OKAMAの描く作品は、セックスシーンを約束事として入れながら、それを愛の確認を意味する行為(時には愛なきセックスシーンを交えて裏返しに愛あるセックスを想起させることもあるが)として、必然として物語に織り込んでいる。

 アダルト向けっぽい内容に、いささか手に取りづらい男性女性も少なくないだろう。けれどもセックスシーンの多寡なんて気にせず、というよりむしろ必然的なシーンとして受けとめつつ、描き出される物語から、愛を求める2人が妨げる障害を乗り越え、さらに深さく大きな愛を得たことに、素直な感動を覚えよう。

 物語としての構成力、そして絵としての描写力の、どれをとっても1級の漫画家が次のフィールドを得るために、是非とも大勢の人たちの応援が欲しい。お願いします。


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