THE MEDIATOR
メディエータ ゴースト、好きになっちゃった

 あらゆる物語形式が試され描き尽くされた観のある日本では、眉目秀麗で頭脳明晰な”王子様”という存在はとうの昔に時代遅れとなっている。例えば橘蜜柑子の「カエル殿下と森の魔女」(ファミ通文庫、640円)に出てくる王子様。カエルに変えられた王女だと信じて、ただのカエルを王女に戻してもらおうと、森にいる魔女の所に連れて行ったものの老魔女を怒らせ、同じカエルにされてしまう。

 そんな王子様を魔女の所へと案内する、森の外れに住んで食堂を営んでいる一家の娘も、食堂に集まる森の怪物たちをあしらいながらも、自分は人間なんだとアピールしつつ、実態は母親と祖母は魔女で父親はそれ以上の存在だったりするというひねくれ設定。明るく屈託無く振る舞う少女の姿が、そこはかとない可笑しさと振り返らない実直さを感じさせる。

 そんな裏返しつつ捻りつつ、姿形より心意気の方が大事なんだというメッセージを浮かび上がらせてしまう日本のティーン向け文庫に比べると、同じ様にティーンを対象にしながらも米国の物語は、まだまだストレートな内容の物が多く好まれるらしい。

 メグ・キャボットの「メディエータ ゴースト、好きになっちゃった」(理論社、代田亜香子訳、1380円)は、幽霊を見て幽霊の声を聞き、幽霊の心残りを解決しては幽霊を天国へと向かわせる力を生まれながらに持った女の子・スザンナが主人公。彼女は部屋に現れる150年くらい前に死んだ青年ジェシーという名の幽霊に恋をしてしいる。

 メディエータだから幽霊の心残りを解消してあげるのが本当の役目。けれどもスザンナはジェシーが消えてしまうことを怖れて、彼が許嫁だった女性に殺されて埋められたという話は信じても、ジェシーの死体を探して彼を天国へ送ろうとはしない。アルバイトに行った先で、お金持ちの夫婦の息子たちの兄の方で、顔も頭脳も抜群なポールからの誘いにも応じず、ただただジェシーへの思いを募らせる。

 ところがそんなジェシーの許嫁だったマリアがやっぱり幽霊となって現れて、ジェシーを殺害した後に結婚して子供を作ったディエゴという男の幽霊ともどもスザンナの邪魔をする。最初はマリアがスザンナにナイフを突きつけ、マリアとディエゴが殺して埋めたジェシーの死体を掘り返さないよう脅す。

 ジェシーは死体が見つかったからといって消えはしないとスザンナに告げる。けれどもスザンナの義理の兄たちがジェシーの死体を見つけ出してしまった直後、ジェシーはスザンナの前から姿を消してしまう。彼は嘘をついたのか? 実はそれには事情があって、スザンナがアルバイト先で仲良くなった少年を裏で操るマリアの存在と、そしてそのさらに後ろで暗躍する者の存在が浮かび上がってくる。

 ドアの向こうにドアがあって、明けると次へとつながるドアがある。そんな感じで読む人の興味を引っ張る展開の妙はさすが、全米でベストセラーになるだけのことはある。もっともキャラクターの性格が同じティーン向けの日本の物語に比べてやや単純。ジェシーはどこまでも純真な王子様で、彼をだましたマリアは裏も表もなく悪女。捻りもなければ奥行きもなく、ただただ善が悪を叩いて終わりといった展開になっていて、複雑で錯綜した物語に慣れた目には物足りなく映る。

 それだけ米国のティーンが純粋なのか、それとも単純なのかは分からない。複雑にすればするほど理解が難しくなり、売れなくなるといった配慮もあるのだろう。それでも、ただのナンパ野郎に見えて実はいろいろと裏があって、ジェシーとスザンナの関係を裂こうと画策する青年が出て来るところは、単純明快な勧善懲悪の図式に彩りを与えている。

 彼がいったい何を目的にしていて、これからどんな絡みを見せてくれるのか。「メディエータ ゴースト、好きになっちゃった」がシリーズとして続き、それがスザンナの働きぶりをっ主題にしたものだとしたならば、この後に連なっている物語で、謎めいたその青年がどんな思惑を持ってどんな悪事を働いてくれるのか、ワクワクとしながら眺めていことが出来そうだ。

 ジェシーという王子様が大好きで、彼のことを信じ切って突っ走るスザンナの性格にもう少し思慮と分別が欲しいところ。16歳という彼女の年齢なら日本では、酸いも甘いも知識としてはかみ分け経験もそれなりに積んでいても不思議はなく、同じ歳にしては子供っぽいスザンナの言動に、同じ世代の読者が辟易としてしまう可能性も否定できない。

 それとも日本ではミドルティーンより下の小中学生を主なターゲットにしているのだろうか。それならば笹井一個が描く童話の挿絵のようなイラストもぴったりだ。まだ純粋さを残した少女たちが読んでスザンナの真っ直ぐさに引かれジェシーの格好良さに魅了され、マリアの悪辣さに怒り暗躍する青年の謎めいた振る舞いにドキドキさせられる。

 そしてそうした物語に慣れ親しんだ人たちが、ひねくれて奥深い「カエル殿下と森の魔女」のような日本のライトノベルへと向かい、何千冊何万冊とあってそれぞれが複雑な展開とキャラクターを持つことを知る。かくして日本人は世界でも屈指の物語持ちになっていく。そんな世代を相手にしなくてはならない日本のライトノベル作家が、実は世界でもっとも過酷な物語書きなのかもしれない。


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