松本城、起つ

今という時間へと至るプロセスを変えることはできない。それが真理。物理学が量子論と言ったところで現実、人間がそのままで時間を遡ることは出来ないし、それによって過去をいじることも難しい。にも関わらず過去に戻って歴史を変えようとする話が作られるのは、そのことがもたらす可能性に誰もが夢を思い描いているからだろう。

 桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれなかったら。本能寺の変で織田信長が明智光秀に裏切られなかったら。豊臣秀吉が豊臣秀次を自害に追い込んでいなかったら。関ヶ原の戦いで小早川隆景が寝返らなかったら。戦国の世だけでも浮かぶ諸々の歴史改変への興味。想像するならいくらだって出来る。

 ただ、やっぱり結果は変えらず、織田信長が世界を征服したり大坂幕府が続いて大阪城が皇居になっていたりはしないのなら、そんな歴史の狭間に消えていった小さな命のひとつだけでも、救って幸せにしてあげることは出来ないか。そう思いたくもなる。ちょっとした足掻き。それによってもたらされるちょっとだけの幸せ。六冬和生の「松本城、起つ」(早川書房、1400円)に描かれているのもそんな、変えられない歴史の狭間に少しだけ、光を照らしてあげる優しさなのかもしれない。

 信州大学に通う巾上岳雪は、バイト先にいた成績不振の女子高生、矢諸千曲の家庭教師を引き受けることになって、彼女をとりあえず信州大学に入れるA判定の成績にすることを至上命題とし、それが出来なければ辞めると家族に言った。というか、内心ではとっとと辞めたくで無理な条件を出したといった感じだった。

 そして模試が行われてどうやら結果も出たらしいので、それを聞こうとしたものの千曲はなかなか話さない。2人で松本城へと行き、天守閣に昇って聞き出そうとしていたところで地震が起こって天守が崩れ落ちたような感覚を味わい、気がつくと巾上は松本城の天守閣にいた。着物姿にちょんまげ頭で。

 時は1686年。鈴木伊織という松本藩の武士に自分が重なって、巾上としての記憶はもちろん鈴木伊織という武士の知識も持った状態で目覚めた彼は、松本城に現れ、米を三石三斗三升三合三勺、炊いて祝えば城は栄え続けると告げた二十六夜神の伝説の主ともいえる神姫がいて、それが鈴木伊織になった巾上とは違って、セーラー服のままで飛んできた千曲だと知る。

 そして、二十六夜神様に供えられるはずの餅が来ず、なおかつちょうどその時代に起こった貞享義民で多田加介とう名の農民が年貢を引き下げて欲しいと願い立ちあがっては退けられ、磔にされながら年貢を下げて欲しいという願いを込めて「二斗五升」と叫び、その声が松本城を傾かせたという伝説の現場にも居合わせる。

 どうせだったら止めたいと巾上は願い、鈴木伊織がそのために奔走しながら馬が倒れて藩主の減免の許可を伝えられず、加介を処刑させてしまった歴史上の出来事も変えたいと願いながらも奮闘はかなわず、歴史通りにおしゅんという名の少女も含めて大勢が磔になり、獄門になってしまう。そして「二斗五升」の声は起こって松本城は崩壊する。

 巻き込まれたはずの鈴木伊織=巾上が目覚めると、今度は明治の世にいたものの、21世紀の巾上の姿ではなく、着物にちょんまげの鈴木伊織としての姿で、そしてまた過去に戻って貞享義民をどう抑えるかを模索するくり返し。その中で「二斗五升」の叫びを上げさせないよう画策し続けるものの、歴史も運命も変わろうとしない。

 タイムスリップからのタイムリープで起きてしまった悲劇を止めようとあがく物語なら幾つもあって、最近でも辻村七子の「螺旋時空のラビリンス」が19世紀のパリを舞台にひとりの女性の運命を変えようと少年が無限の時間を繰り返した。ただ、「松本城、起つ」はそんな自力の努力で時間の壁に挑み突破するような話にはなっていかない。

 得体の知れない宇宙人というか異次元人というか超越者というか、何か得体の知れない蛾のような格好で天守閣に現れ、血栓を除去して血の流れをスムーズにするような医療行為を時間に対してしているような会話を繰り広げる。時間ならぬ時管が詰まった先は腐って滅びてしまうといった説明。そして、時様体を持ってきては新しい時間につなごうとかいった差配の中に巻き込まれ、マーカーとして21世紀から17世紀へと巾上や千曲は連れてこられたらしい。そして他の何人かも。

 そんな彼ら彼女たちが、蛾のような何者かの超越者然とした思惑に翻弄されつつ、自身でどうにか突破しようと足掻くものの上手くいかない積み重ねが、人間というものの小ささであり、限界めいたものを感じさせる。時間は人間には荷が重いものなのかもしれない。

 それでも可能な限り足掻いて動いて走り回って、加介やおしゅんちゃんたちに課せられた運命を変えようとする鈴木伊織や千曲たち。どうしても行き違ってしまう様子にどうして気付かないんだと言いたくもなるけれど、神様のようなポジションにある千曲とは違って鈴木伊織は一介の武士、で無茶は出来ず能力もない。そんな身でも足掻きのけた結果、ちょっとだけ世界が動いて幸せのようなビジョンが見えてくる。諦めないで続けることは悪くない。そう思えて来る。

 タイムパラドックスに挑むとか時間の牢獄を突破するとかいった過去に類例がある話とは違い、また現代人が過去にいってチートする話とも違った、狭い範囲、歴史を壊さない中で最前を願う者の頑張りを描き、その有りように共感を誘う物語。彼らが救った松本城、見に行きたくなって来た。


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