弘法大師は筆を選ばない。それなら何百万部、何千万部、何億部を世界で売るような人気漫画家は、果たして道具を選ぶのか?

 絵に命をかける人たちだから、道具くらい選んで不思議ではないけれど、実はどうやらそうではない。鳥山明に車田正美にゆてたまごに秋本治といったベテランから、尾田栄一郎に小畑健に空知英秋矢吹健太朗といった「週刊少年ジャンプ」から出た人気漫画家たちが、ずらりを顔をそろえて漫画の仕事について語った「マンガ脳の鍛えかた」(集英社)を読んでも、そんなにあんまり道具にこだわっている風はない。

 例えば「ヒカルの碁」や「DEATH NOTE」や「バクマン。」などで、細かいところまで描き込まれた美しい絵を見せてくれている小畑健は、使っているのはごくごく普通のGペンや丸ペン。高級品でもブランド品でも何でもない。ただし、それと別に蛍光ペンを用意しているのが大きな特徴。週刊連載のために原稿を出して、上がってきた見本刷りの絵にチェックをいれて、ここを直したい、あそこと直さなくてはと自分でダメだしをするらしい。

 それは、単行本化された時のためで、出したら終わりではなく最後の最後まで絵に徹底してこだわる姿勢というものが、そんな道具使いから見ることができる。緻密さでは小畑健と負けず劣らずの漫画家で、「ジョジョの奇妙な冒険」や「STEEL BALL RUN」といった人気作を持つ荒木飛呂彦は、Gペンのグリップにテープを巻いて、持った感じを柔らかくするのが特徴らしい。

 だからといって、それは道具の質へのこだわりではない。むしろこだわりを持たないのがポリシーで、完璧を目指したらどこまでも行ってしまう、それならむしろ完璧の探求とは別の方向で、こだわるところを見つけて挑むのが漫画家だと考えている。

 単行本の売上が凄まじい「ONE PIECE」の尾田栄一郎は、Gペンを3本同時に使って、3本ともつぶれたらまとめて付け替えるという。描ける時間を3本分とって長く描き続けたい、つぶれたからって取り替えている時間がもったいない、という判断からなのだろう。

 道具は道具でしかない。それを使って何を描くか、どう描くかが重要なのだ、ということ。尾田栄一郎だったら週刊連載で何を描くのか、というところの題材選びに丸1日を使うという。また、1つのシリーズを描く時にはどうしても描きたい映像というものがあって、それに向かって展開を組み立てていくともいう。

 荒木飛呂彦なら絵で彫刻をする感じを抱いているという。それこそ人物の姿を紙の上に掘り出すような感覚で、青鉛筆を使って構図やポーズを描いていく。それが、あの妙だけれどもインパクトのあるポーズに構図を持った絵となって、見る人を驚かす。

 誰も彼も究極の技巧を持った漫画家たちの言葉だけに、とても説得力がある。同時に、巧いからこそ棄てられる道具などへのこだわりであって、そこに至っていない人で、絵を巧くなりた人には、彼らに近づくための努力が必要だといえそうだ。

 漫画家の場合は、絵だけではなくストーリーも自分で作って、それを読んでもわらなくてはいけない。つまりはストーリー作りの才能も不可欠な訳で、その点について「ろくでなしブルース」のころから幾年月を最前線で活躍し、今も「ROOKIES」が大ヒットして最前線に経ち続けている森田まさのりが、興味深いことをいっている。

 それは経験することの大切さ。深い話を描きたいなら会社に行ったり、彼女を作って社会との関わりを持ったり、他人とのコミュニケーションを深めていく必要があると呼びかける。若くしてデビューして一攫千金を狙いたいという、とある漫画の影響を受けてそう考える若い漫画家志望者たちも少なくない。けれども、いくら頭の中で想像しても、お話はそうは簡単に作れはしない。説得力を持った話を作りたいなら、自分自身が説得力をもった人生を送らなくてはいけない。そういうことだ。

 ほかにも凄いメンバーが勢ぞろい。世界が常に新たな展開を待ち望む「NARUTO」の岸本斉史は、編集者との濃密な打ち合わせのなかからストーリー展開を作り出していく極意を学んだと話している。「BLEACH」の久保帯人は、悪人だってそればかりではないことを描いて、キャラクターに厚みを持たせることが必要と語っている。

 あの鳥山明も、インタビューという形ではなく1問1答めいた展開ながら絵をどう描くのかを話している。とはいえ漫画はしばらく描いていないという言葉もあって、少しばかり心が濁る。どうして描いてくれなくなったのか、描けなくなったのかというところまで話してくれたら、成功の後に来るギャップとはどういったものかということも分かって、厚さも増した本になったかもしれない。

 もっとも、未来を目指す漫画家たちにとっては、今を最前線で突っ走っている漫画家たちの極意の方がやはり役に立つし、必要なことだ。読めばこうすれば僕にも描けるかも知れないという思いが浮かんで、漫画が描きたくなる。漫画家の豪邸がいくら紹介されても、そこから漫画を描く極意は得られ得ない。成功してどうしたいのか、ではなく成功するためにはどうすればいいのかが、しっかりと分かる本だといえる。

 同時に、漫画の読み手にとっても勉強するところが多い本だ。こういう思いで描かれているんだと感じられるようになって、もっと深く漫画を読み込んでみたくなってくる。描き手にも読み手にも、編集者にも誰にとっても漫画が好きなら、漫画に関わっているなら読んで絶対に損はない。


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