消えたマンガ家


 「でもさ、誰にでも心の中に一人くらい『消えたマンガ家』がいるんだよ」−大泉実成の単行本「消えたマンガ家」(太田出版、800円)の冒頭におかれた、赤田祐一・クイックジャパン編集長の言葉を読んで、自分にとっての「消えたマンガ家」って誰だろうと考えた。

 パッと思い付くのがかがみ・あきらと内田善美の二人。かがみ・あきらは既にこの世になく、内田善美は10年ほど前に「ぶーけ」の表紙を描いていたのを見て以来、その消息を聞かない。赤田祐一の言葉が載っている本書の「はじめに」で、大泉が呼びかけている「消えたマンガ家大募集」に答えるなら、僕はこの内田善美の名前を真っ先に挙げる。ほかにも幾人か、消息を知りたいと思うマンガ家はいるけれど、新作を読んでみたいと思っているマンガ家はそれほど多くない。

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 第1巻となる本書で取り上げられているのは、「キャプテン」のちばあきお、「人間時計」の徳南晴一郎、「幽々白書」の冨樫義博、「神の悪フザケ」の山田花子、そして「マカロニほうれん荘」の鴨川つばめの5人。このなかで、僕が感慨をこめて「消えてしまったんだなあ」と思い、「また読んでみたいなあ」と思うのは、鴨川つばめくらいだ。死んでしまった山田花子やちばあきおには、とりたてて入れ込んでいなかった。冨樫義博は今もまだ現役だし、徳南晴一郎はその存在すら知らなかった。

 鴨川つばめが「マカロニほうれん荘」でその存在を世に知らしめてから、連載が終了するまでの期間はわずかに2年。そんな短い時間であったにもかかわらず、鴨川つばめの印象は今でも強烈に残っている。時代は若干前後するかもしれないが、少年ジャンプで江口寿史が「すすめパイレーツ」を引っ提げて登場した時と、印象度では双璧に位置する。

 江口寿史も最盛期における「少年ジャンプ」での活躍から見れば、「消えたマンガ家」の代表格として取り上げられる対象なのかもしれない。しかし、今でもイラストでの仕事や「コミックアレ」での編集の仕事などを続けており、その活動をメディアなどで目にする機会も多く、「消えた」と言い切ってしまうのは難しいし、心情的にも消えたとはいいたくない。

 だが鴨川つばめは、再出発を期した「マカロニ2」が当たらず、「少年キング」に移って始めた「プロスパイ」(発表当初は東京ひよこ名義)も話題にはならなかった。本書で挙げられた著作リストを見て、88年頃から再び活動を再開していたことが解った。しかし作品数は少なく、今なお半身以上は「消えたまま」の存在となっている。

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 マンガのことをほとんど知らなかったという大泉実成が、「クイックジャパン」で本書の元となった連載を始めるに当たって選んだ「消えたマンガ家たち」は、メジャーやマイナー、オールドやニュー、ギャグやシリアス、男性や女性といった具合に実にバラエティーに富んでいる。マンガを詳しく知る人なら「どうしてあのマンガ家が入っていないんだ」と思うかもしれないし、逆に知らない人からは「こんなマンガ家いたっけ」という反応が帰ってくるようなラインアップだろう。、固定観念とか因習とか馴れ合いとかは無縁に、ただ「消えた」というキーワードのみを切り口にして、マンガ家たちを探し追い求めていく大泉の手法は、非情なまでの客観性に満ちている。

 僕が「消えた漫画家」という本に、愛憎入り交じった複雑な感情を覚えるのは、「消えた(消された)マンガ家」の探求が、その手法の非情さ故に、「マンガ家を消す」ようなマンガ界の仕組みを見事にえぐりだしているこに喝采を贈りたい気持ちがある一方で、「消えた(消された)マンガ家」を再発見し、彼や彼女に再びペンを取らせるような起爆剤としての役割を、十分に果たし切れているだろうかという疑問を抱くからだ。

 これからもまだまだ続く連載(クイックジャパン10号では「エースをねらえ」の山本鈴美香が登場か)で、次々と過去を暴かれ今を凌辱されていく「消えたマンガ家」たちから、自分たちを消し去った漫画業界や読者たちへの、様々な怨嗟の言葉が発せられることだろう。「消えたマンガ家たち」を礎として、言葉を換えれば「生け贄」として、次代を担うマンガ家たちが才能を発揮しやすい環境を作ることも確かに大切なことだ。しかし同時に、好きだったマンガ家にもう1度再登場してもらうきっかけにならないだろうか、などと欲張った感情も持ってしまう。見捨てておいて今さらという声もあろうが、ファンとはまこと貪欲な存在なのである。


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