魔物ワールドは二周目令嬢キミが作ったのだ!

 ノブレス・オブリュージュ。それは特権を持った貴族という存在には、高潔に振る舞う義務が課せられているという意味の言葉。だから過去、貴族の師弟は戦時となれば率先して戦場へと赴き、少なくない人数が命を散らしたし、大事があればその懐を痛めてでも金品を拠出して、人々の救済に充てていた。

 今ももちろん、そういう高潔さを徳とする貴族や上流階級の人が、まったくいない訳ではないけれど、一方で特権は自らが勝ち取った権利であって、そこに義務など存在しないと考える人たちもいる。特権が得たければ、自らがはい上がって特権を得れば良いだけだという競争原理を持ち出し、自らの財産を、あるいは命をなげうってまで誰かの、または何かの助けになろうとは思わない。

 それもまた一理。というより、貴族のような生来の特権を誇りつつもかさに着ず、他に施し与えることで、特権者であることを確かなものにしようとする人たちが廃れ、競争を勝ち残った者たちが新たな特権者となり、壁を築いてそこに安住しようとしているのが現在。そこにノブレス・オブリュージュ精神は存在し得ない。

 そんな、ある面では平等で、けれども超えがたい格差が生まれてしまった現代だからこそ、貴族という存在が特権の代わりにすさまじいばかりの義務を負っていることを示したこの物語が意味を持つ。葉巡明治による「魔物ワールドは二周目令嬢(キミ)が作ったのだ!」(集英社スーパーダッシュ文庫、600円)。そこでは貴族は領民を虐げ、領民を殺しもする悪逆非道として描かれる。そして恨みを持った領民から殺されては、領民を解放へと誘う一種の“機能”として描かれている。

 まず冒頭で、リテトエトという貴族の少女は、領主を含めた家族を領民たちに襲われ殺され、自身もその身に危険が迫りながらも、執事ではなく黒服を来ていつもリテトエトに付き従っていた少年のセバスチャンが、身を挺して護ってくれたお陰で無事に逃げ切り、川を抜けて海に出る。

 そして気がつくと、ひとり孤島にいたリテトエトを取り囲んでいたのは、人間にはまるで見えない魔物たちだった。といっても凶悪そうな面構えではなく、小さくて可愛らしかったり、人なつっこかったりしていて、すぐには危害を加えられそうではなかった。というより魔物には巨大な怪鳥もいて、その鳥によってリテトエトは海から拾われ、島へと運ばれて来たという。

 こうして生き延びたリテトエトは、貴族として人を虐げ、時に殺めたりもした過去を捨てて、二周目となる自分自身の人生を送ろうと決意する。まずは魔物たちに自分が食われることがないようにと、木の実をとったり魚をとったりして魔物たちに食べさせ、それによってアドバイザーとしての存在を認められて、魔物たちの中に自分の居場所を作っていく。

 離ればなれにはなったものの、首から提げたペンダントのお陰かセバスチャンの声も聞こえて来て、魔物たちとの暮らしで何をしたら良いかをアドバイスしてくれる。これでどうにかやり直せる。そう思っていたリテトエトを、貴族だったという過去が襲いその身を、そして心を苛む。

 リテトエトを恨む人間たちの島への襲来。取り囲まれて絶体絶命となる中で彼女が選んだその道は、やっぱり貴族としての振るまいだった。つまりは自己犠牲によって領民たちを、この場合は魔物たちを救い、未来へと誘おうとするものだった。

 本当はそうしたくなかったのに、そうせざるを得ない運命を課せられてしまうことは、誰の人生にも大なり小なりあったりする。そんな時にいったい、自分はどうしたら良いんだろうという迷いに対して、リテトエトの葛藤や懊悩、そして決意からさらなる決断へと至る道が、自分の選ぶ道というののを教えてくれる。そんな気がする。

 もちろんリテトエトは貴族で、その身に義務を負っていると自覚してひとつの行動にうって出た。義務を持たない普通の人に、そこまでの行動を取る必要はないのかもしれないけれど、でもひとつだけ、過去を悔いて未来を望み、最善を探ろうとする必要性だけは感じたい。

 そしてもうひとつ。貴族であってもそうでない人たちでも、やりたいことをやり抜く権利は持っているんだとうことも。それはこの世に生まれ、生きている人には平等に与えられる権利。目一杯に享受して、それから何をすべきなのかを考え、選んでも遅くはないのだから。

 リテトエトを取り巻く魔物たちのどこかズレた言動は、田中ロミオの「人類は衰退しました」シリーズに登場する妖精さんたちとも重なるけれど、あれほど支離滅裂ではなくて、魔物としての欲望を果たすために今を生きている、といったベクトルはある。人間が死んで生まれ変わった存在かもしれないという可能性も乗って、その生き方と生き様への興味を誘う。

 あとはやはり貴族という存在の、現実とは違った機能の設定。権力者が権力の保持にのみ走りがちな昨今、その権利には責任も伴うのだということを寓意的に見せている。予定調和に陥らず考えさせ、感動もさせるストーリーはライトノベルというよりはほとんど文学。表紙絵のかわいらしさに敬遠する人もいそうだけれど、気にせず読んでそこに寓意と決意を見て欲しい。ラストは本当に泣けて来るから。悲しさと。そして嬉しさで。


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