マカロン大好きな女の子がどうにかこうにか千年生き続けるお話。

 泣けた。ほんとうに泣けた。じわじわと染みだしてくる涙があった。たぶんそうなるのだろうと分かっていても、そうなってみてそうだと思って泣いてしまった。

 からて、という名前の作者による「マカロン大好きな女の子がどうにかこうにか千年生き続けるお話。」(MF文庫J、580円)に入っているのは、作者がネット上の掲示板で連載して来た短編たちが元になった物語。そこにニコニコ動画で人気の絵師のわんにゃんぷーも加わって1冊の本としてまとまった。

 その表題作はそのまま“マカロンが大好きな女の子がどうにかこうにか1000年を生き続ける”という話。そうやって女の子が生きようとする目的が、大好きなマカロンを食べたいからではなく、突然に消えて1000年後に飛んでしまった、みーこという名の女の子に会いたいという動機だという部分にひとつ泣けた。

 だって1000年後だよ。人間の寿命のおよそ10倍だよ。普通は無理。絶対的に無理。けれども女の子はあきらめないで、というよりあきらめるなんて感情を知らず、周辺にいた科学者たちに1000年生きたいと訴えて、訴え続けて聞きいれられて特殊な技術で不老不死にしてもらう。あるいはなってしまう。

 ただし、そうなれたのは女の子ひとりだけ。周辺にいっぱいいた似たような処置を受けた子供たちはどんどんといなくなってしまう。その事が何を意味するのかを女の子は知っていたのかどうあのか。知らなくても会えなくなる残念さは感じていただろうけれど、でも女の子には1000年を生きて消えてしまったみーこに会う、という目的があったから、後ろは振り返らなかった。施設を飛び出して1000年を生き続けた。いろいろなことを経験しながら。

 それはもう本当にいろいろなことで、ホームレスみたいな暮らしをしていてマカロンをおごってもらったりと普通の(普通でもないけれど)日常もあれば、76の瞳に3000本の腕とむき出しになった心臓と3億の吸盤を持った宇宙人が攻めてきて、地球の人口の大半が殺されてしまったこともあった。

 メタンハイドレートが融けだして地球温暖化が進んで陸地が少なくなったり、謎の病気が流行って女の子の面倒を見てくれていた人が死んでしまったり。そんな苦しい地球にあって、女の子は知らず特段に意識もしないで人類救済の種を撒き、宇宙へと人類を導き、そして1000年後からさらに先につながる未来を作る。でも……。

 そうやって辿り着いた1000年後の世界に果たして地球は存在するのか。人類は存在し続けているのか。現実の世界でも大きく変化を続ける環境に生きる人間たちに、これから訪れる未来のとてつもない可能性というものが、この短編から漂い出す。そして責めたてる。このままで良いのかと。

 どうしようもないのかもしれない。不老不死の少女にだってどうしようもなかったくらいだから。それでも、諦めてしまったらそこですべてが終わる。1000年を生きられたとしても、1000年から先はやって来ない。だから前を向く。精いっぱいに生きる。そうやったからこそ少女はたぶん、みーこと出会うという願いをかなえたのだろう。その喜びを他の人類が知ることもできたのだろう。

 永遠を生きることがもたらす離別の苦。永遠を生きることで見える世界の変遷。そんなSF的な主題を含みつつ、けれどもあっけらかんと永遠に近い年月を歩んでいく少女の明るさに、触れて心を喜ばせてくれる物語。だから終わりににじみ出す涙は感涙の涙。喜びの涙。わき上がる感情とともに滲むそんな涙を目尻に感じて、顔を上げよう、空を見よう。

 対して、同じ「マカロン大好きな女の子がどうにかこうにか千年生き続けるお話。」の最後に収録されている「嘘つきセミと青空」は号泣にして轟涙の短編なので、電車とかで読む時は周囲に注意する必要がありそう。自分のことをセミ子という女の子が、大学に入りながらも馴染めず、第一志望を受け直そうと考えている男子の部屋を訪ねてきて、そして夜になったらやってくるという数日間を過ごす、というストーリー。

 セミ子の正体は想像できるとおりで、彼女の身に訪れる運命も想定の範囲内。つまりは古典的ともいえるストーリーだけれど、それでも泣けてしまうのか、セミ子がしたことがその身を捨ててまでも主人公の迷いを晴らして決意させたから。なおかつ、そんな主人公の迷いが、今を生きる若い人たちにどことなく漂っていたりするものだから。

 何かになりたい自分。けれども何者にもなれそうもない自分。だったら、諦め今を楽しく生きられれば良いんだけれど、そう割り切るほどに自分を捨てきれない苦悩というのに苛まれて、人は身動きがとれないまま無為に時間を過ごしてしまって、気がついたらもう後戻りができなくなっている。

 いや、別に何歳からだってはじめることはできるんだけれど、それすらも気づけないで迷い悩んでいる世代に、そんなことで良いのかと道を諭してくれる。それが「嘘つきセミと青空」という物語。セミ子の好意に応え生きる尊さを知ることで、僕たちはそこから足を踏み出し、青空を見上げて歩き出すことができるのだ。

 ほかの2編も命の切なさについて考えさせてくれる物語。「彼女はコンクリートとお話ができる」に登場する少女が、本当にコンクリートとお話しているのかは分からない。ただ、彼女が現れてかたわらに立ってくれたことで、不治の病に冒されていた少年は残り少ない日々を自暴自棄にならず淡々と、けれども確実に過ごすことができた。

 「ぱらぽろぷるんぺろぽろぱらぽん」は吸盤のついた3000本の腕と76個のぎょろりとした目を持つ宇宙人、ぱらぽろぷるん君の恋の物語で、お姫さまだというぺろぽろぱらぽんちゃんとの間で貫かれた恋の果て、いずれ離別が訪れたとしても、精いっぱいに生きたことが癒しとなって耐えられるのだということが見えた。ぱらぽろぷるん君の弔意の旅は別の星へと至ってそこでひとつの終結を向かえるけれど、それはまた別の話ということで。

 ネット上で活躍している人を出版の世界へと引っ張り込んで、紙の本で出させることが増えていて、そうやって生まれた作品たちがかつてのケータイ小説の頃みたいに、ひとつの傾向に偏り過ぎてそこで飽和状態を起こした挙げ句、存在感を薄れさせてしまうようなこともなく、さまざまなジャンルの物語が綴られては出版競争の中で選ばれ刊行されている。

 レベルにはいろいろあるけれど、この「マカロン大好きな女の子がどうにかこうにか千年生き続けるお話。」については、読めば分かる懐かしさと切なさと、愛おしさと狂おしさと、そして嬉しさが滲むストーリーが、軽めで楽しげな文章によって綴られていて、すんなりと入ってきてじんわりと心を潤わせる。

 とても巧みな書き手。そして心を表現できる書き手。だからこそ読みたい、もっと別の物語を。きっと心をふるわせてくれる物語に違いない。


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