まがみ
魔神

 つい最近、男性でも「妊娠」と「出産」を経験できるようになったというニュースを外電で聞いた。もちろん子宮を持たない男性が女性と同じ受胎と出産のメカニズムを有しているはずはなく、女性でも起こりうる子宮外妊娠を、腸壁なりに受精卵を着床させることで男性にも起こしてしまおうという、いささか乱暴な手続きが必要だが、それでも胎内で育つ”わが子”につき合っているうちに、女性に特有の”母性”なる心理の一端を、完璧ではないにしろ男性にも実感させられる可能性が、これで開けたことになる。

 そんなことで”母性”が解るものかと女性に言われればごもっともと答えるより他にないが、しかし人類が誕生して以来、伝説なり神話なりSFなり偶然なり染色体異常といった、特異な例をのぞいて男性が妊娠し、出産するなどといった事態はなかったのだから、微細であっても可能性が芽生えたということだけは認めて頂きたい。その上で可能性が事実であった場合を想定し、そうした事実が積み重なった暁にようやくやっと、そこに描かれている陰惨な事件の女性たちに与えるであろう衝撃を、等しく男性も感じうるのだと最初に指摘しておきたい。

 つまりは正直言って良く解らなかったのだ。動機が。殺人という社会的な暮らしを営む人間が法的にも心理的にも忌避する行為が、”母性”への圧迫によって用意に行われてしまうという、和田はつ子が「魔神」(角川春樹事務所、1900円)で描いた事件が。女性はそれほどまでに子を産みたいものなのだろうか。事件に限らず、登場人物を通してときおり吐露される心情のようなものにもやはり、”母性”なるものへの神聖な思いが込められている。そういうものなのか。やはりこればかりは”産む性”となって肉体的な苦痛と快楽、社会的な差別と役得のいずれをも経験してみないと、解らないのかもしれない。

 幻冬舎で刊行した前作「かくし念仏」(2200円)と同じ英陽女子大学助教授、日下部遼を主人公に、恋人ではなく友人の女性キャリア警官、水野薫が絡み2人で事件に挑むシリーズに連なる「魔神(まがみ)」は、安藤昌益にまつわる研究から日下部助教授に流れるアイヌの血、そしてアイヌに伝わる秘薬を巡る話へと進み、最後はカルト教団ととの壮絶な闘いへと至る膨大な物語だった前作からがらりと雰囲気を変えて、秩父地方に自然食品を採集に出かけた日下部が、同じく自然食品を買い付け頒布する組織の顧問を務めていた老人に出会う場面から幕を開ける。

 帰京して後、水野薫とのゴミ捨てを巡る電話での会話の後で、袋を下げて集積場へとやって来た日下部は、そこでポリ袋に入った死体の一部を発見してしまう。薫に告げ、所轄から回って来た刑事に犯人と疑われながらもとりあえずは無罪放免となった日下部は、その後周囲に発生するバラバラ死体遺棄事件、そして嬰児の死体遺棄事件に直面し遭遇し巻き込まれていく。

 一方で日下部は、勤める大学の創立100周年を記念する紀要の刊行事業で、文学部と家政学部との勢力争いにも巻き込まれてしまう。そのロシアの血も交じった容貌でテレビ出演の経験があるため一般の知名度が高い日下部に、本来の研究とは無関係な文学部長のスノッブな気持ちが動いたのだろう、文学部の紀要に執筆の要請が下る。大学の学長、水沢百合子もそうした文学部長の意向を汲んで日下部に強く働きかけるが、食文化の研究者として近しい関係にある家政学部の方でも、日下部の紀要への執筆を働きかけ、双方にちょっとした緊張が発生していた。

 そんな状況を打開すべく持たれた会合でも、日下部は文学部長の進藤行雄とそりが合わずに会場を抜け出す。そしてその夜、進藤は殺害されてこのところ日下部の周囲で発生していた事件のように死体となって神社の中に放置される。進藤のもとで働く、かつて三原山の噴火を舞台にした私小説で文学賞を受賞した経験もある助手の奥野順子、その奥野に勧められて行った校医も務める医師の白川早苗。いささかも本筋とは無関係に思える彼女たちの過去と現在が明らかになるにつれて、進藤も含めて日下部と薫の直面した神社への死体遺棄事件に通底する、”母性”への信頼と懐疑が浮かび上がって来る。そして未だ妊娠に出産を経験していない世の多くの男性にはいささか理解の難しい、謎解きの場面へと物語は進んでいく。

 かつて東京で、いや日本全土で普通の育まれ食べられてきた食物に関する描写と考察は、それだけで単なる蘊蓄以上の懐かしさや郷愁を誘う知識として読者を楽しませてくれる。そしてそうした知識が現代に溢れる合成品なり、食物連鎖を経て動物性蛋白質の中に蓄積された化学物質へと及ぶに至って、食物の問題が「環境ホルモン」の呼ばれる内分泌撹乱物質への警鐘へと発展していき、例証を挙げて語られる物語が男女に限らず人間を怯えさす。

 英明でかつ合理的とも目された警視庁キャリアの薫がカップラーメンを朝食に食べることを止め、今必要ではなくてもいつかその日が来る可能性を考慮して内分泌撹乱物質の摂取に慎重になる描写は、実感はできないまでも女性にとって”産む性”であることが一種責任感でありまた優越感のような感情を付与するものであるということを、男性読者にも解らせる。その極めつけが物語を通じて日下部の遭遇した数々の事件の、ある面での原因となった事態なのだが、それは読了後に知って感嘆し、あるいは震撼して頂く方が良いだろう。

 どちらにしても男性にははやり完璧な理解は難しく、また平気で子を捨て殺し死なせる母親の出てきた昨今、あるいは体外受精に代理母にクローンといった技術が開発された昨今、男性に限らず女性も含めた人間全体に、理解し得ない物語となりかねない脅威もはらんだ物語であることに違いない。アイヌ文化と日本の食とカルト宗教を扱った「かくし念仏」に比べればダイナミックさにはいささか欠けるが、練り込まれたテーマの重さはより身に切実に降り懸かる。食への探求を面白く読みつつ、語られたテーマに少しでも近づけるよう想像力を巡らし、人類になお未来があらんことを願ってページを閉じよう。


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