黒猫のおうて!

 女流の身で奨励会の三段リーグに入り、抜ければ正真正銘の四段プロ棋士となれたのに、何か理由があって将棋界を去った女性が、仕事をしながら改めてプロ棋士を目指そうとして、成績優秀者なら受けられる編入試験を目指し、アマチュアでも参加できる棋戦に挑む「将棋指す獣」(原作・佐藤真通、漫画・市丸いろは)という漫画がある。

 ヒロインだけでなく、アマチュアの強豪もほかに出て来て、それぞれに将棋を指す理由めいたものが語られる。読めばプロ棋士になることの辛さ、大変さ、けれども求めざるを得ない強情さを感じさせてくれる。

 そこまでしてプロ棋士になりたい人たちがいる一方、奨励会の三段リーグを全勝で突破し、四段のプロ棋士になる資格を得ながら、将棋を辞めてしまった天才棋士の男子が出てくるのが、八奈川景晶の「黒猫のおうて!」(ファンタジア文庫、630円)だ。

 三段リーグを全勝で抜けながら、プロ棋士になるのを辞めてしまった元奨励会員の名前は長門成海。最終局で7手詰めまで追い込みながらも相手が最後まで投了しなかった対局の際に、自分がやっていることの意味にふと気付き、これ以上は続けられないと将棋界から離れた。

 三段リーグで全勝すれば四段に昇段するのは決定事項。今だと勝利した瞬間に四段と認められるはず。とはいえ、未だ棋戦には参加していない棋士が引退なんて出来るのか。そこが少し気になった。そうやって離れてしまった立場から復帰できるのかといった部分にも関わってくるから、事情を知っている人がいたら聞いてみたい。

 ともあれ、プロにならずニートになってアパートで寝起きするだけになっていた成海の部屋の扉を叩く音がする。開けると、そこにはゴスロリ衣装を着た女子がいた。聞けば三河美弦という名の女流棋士で、それなりに知られてはいたけれど、プロ棋士を相手に勝てないから、何が悪いのかを成海に見てもらいに来たという。

 将棋を離れたことを伝えておひきとり願いたかったけど、なかなか引かない美弦のプロ棋士には勝てない理由を探ろうと対局し、その理由に感づく。もちろん、そこで教える立場になる義理はなかった。にも拘わらず、翌日からも迷わずゴスロリ服で通ってくる美弦を相手に師匠めいたことを続け、美弦の姉で女流タイトルを持つ美夏や、大家の娘の安芸茜らを巻き込んで、ニートの元棋士による将棋道場が作られる。

 相手をリスペクトしすぎるのか、それで手が止まってしまうのか、美弦が男性のプロ棋士に勝てない理由はだいたい成海にも見えている。それをしっかりを自覚して、戦い方に反映すれば解決する問題だけれど、それが出来ないからこその相談なんだろう。

 おまけに克服したと思ったら、早速別の問題が持ち上がってゴスロリ姿での対局がそのまま続いてしまいそうになる。嬉しいけれども棋士としてはどうなのか。そこは白鳥士郎の「りゅうおうのおしごと」(GA文庫)シリーズにも、ゴシックな衣装で対局する女流騎士がいるから大丈夫なのかもしれない。

 結果、得られる憧れの棋譜をまね、最善を尽くして戦う価値を教えて貰えるストーリーが繰り広げられていく「黒猫のおうて!」。アニメーション化もされた「りゅうおうのおしごと」のように、正式な意味でのプロ棋士ではないけれど、収入は得ているという意味ではアマチュアではない、どこか宙ぶらりんの立場にある女流棋士の難しさを世に知らしめる啓発的な展開は薄い。

 棋士が対局に臨むのにどこまででも自分を深め、削って立ち向かうシリアスな描写も少ないけれど、棋士という存在に興味を抱き将棋という遊びをやってみたいと思うようになることは確かだ。

 いろいろあって何歩か進んだ将棋界の中、成海と美弦の将棋とプライベートでの関係がどう進むかが気になるところ。というか、美弦は「りゅうおうのおしごと」の空銀子のように女、流で奨励会に入って三段になってプロ棋士を目指している訳ではないから、成海としのぎを削るような場面はしばらくなさそうだ。

 だから、究極の可能性を突き詰めた「りゅうおうのおしごと」のようにヒリつく展開は少ないかもしれない。その代わり、ソフトで緩やかに楽しく、そしてちょっぴり厳しい雰囲気で、将棋界と女流棋士の世界に誘ってくれる物語として読んでいくことが出来そうだ。


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