くらげひめ
海月姫

 「一刻館」で酒乱気味のおばさんや、蛇のように怪しげな男の妨害を退けつつ、美しき未亡人に迫る暮らしも悪くない。住めば都の「コスモス荘」で宇宙的犯罪者や、普段は美人のネルロイドガールや、本当は宇宙犯罪者の栗三郎と本当はロボットの栗華たちの起こす騒動に巻き込まれながら、刺激的な競争の日々を送るのも楽しそうだ。

 「五月雨荘」だったらエロい格闘好きの女子大生と、黒服をまとった年齢不詳の女性の間に挟まれ、幼いながらも元気な少女の破天荒な言動に振りまわされつつ、やっぱり刺激たっぷりの毎日を送れそうだし、「ひなた荘」なら東大を目指す秀才だったり、剣の天才だったり王女様だったりといった美少女たちの間で、目にも麗しい日々を送れそう。そんなフィクションに出てくるアパートたちの中で、住むならどこかをここから選べと言われたら誰だって相当に迷うだろう。

 ならば「天水館」ならどうか。風情があると言えば言えるけれど、内実はそれなりな古さを持ったアパートで、暮らしているのは家族から管理人を任されている人形と和服のマニアに、「三国志」マニアに、耽美なボーイズラブのマニアに、鉄道マニアといった女性たち。つまりは“腐女子”と俗に言われる人たちだけが暮らしているアパートに、入りこむには相当な覚悟と勇気がいるだろう。おっと1人忘れていた。対人恐怖症が高じて決して外に姿を現さない、ボーイズラブ漫画家の目白先生もいた。

 そんな世にも凄まじげな天水館。けれどもそちら側にいる者たちにとって、これほど居心地の良い場所はない。自分の趣味を誰はばかることなく開陳できる環境で、同好ではなくとも同類たちと相哀れみながら暮らすこの快楽。だから入居したいという希望も絶えないけれど、入居するにはなかなかに高い関門があった。

 入居できるのは女性だけ。なおかつ“腐”としてそられなりの覚悟を持った人生を送っている人たちだけ。そういった暮らしに憧れているだけでは、目白先生にお伺いをたてても却下されてしまう。恋人がいますという女性も却下。「男を必要としない人生」。それを大前提にした暮らしを一生送って迷わない達観者だけが、天水館に住まう権利を有している。

 倉下月海もそんなひとり。東村アキコが描く「海月姫1」(講談社、419円)のヒロインである彼女は、鹿児島の田舎からイラストレーターを目指して東京に出てきたものの、渋谷の雑踏を歩くことすら抵抗感を覚え、人いきれに潰されそうになるくらいの引っ込み思案。眼鏡におさげでそばかすだらけの容姿にもコンプレックスがあって、外に慣れず都会に溶け込めないまま、天水館の部屋にこもってクラゲの絵ばかり描いていた。

 幼い頃に、今はもう死んでしまっていない母親に連れられて行った水族館で見たクラゲにハマってからずっとそればかり。クラゲの絵やクラゲの写真やクラゲのぬいぐるみで埋め尽くされた部屋で、父親からの仕送りを当てにしたちょっぴりニートな暮らしている月海の楽しみは、近所の熱帯魚屋で水槽に入ったクラゲを見ることくらいだった。その日もショップへと出向いたところ、タコクラゲがミズクラゲと同じ水槽に入れられている様子に、タコクラゲが死んでしまうと恐怖した。

 慌ててショップに駆け込んだものの、いたのは最も苦手とするおしゃれな男性店員。何も言えないまま怪しまれ追い出されようとしていたところを、通りがかったオシャレな女の子が助け船を出してくれて、無事にタコクラゲを引き取り、天水館の部屋へといっしょに帰り、水槽を整えクラゲが飼えるような環境を整えることができた。遅くなったため女の子はそのまま部屋にお泊まり。そして朝になって見ると、女の子に驚きの正体があることが判明した。

 かわいい子ですら苦手なのに……といった状況に激しく戸惑う月海。目白先生のご託宣にも真正面から逆らうような不埒さに慌てる彼女をよそに、天水館の月海の部屋に通うようになった女の子は、正体以上に驚きの家系から来る育ちの良さに根ざしたぞんざいさで、女性であっても明るいコミュニケーションを苦手にしているアパートの住人たちを怯えさせる。

 それでもやっぱり育ちの良さから来る如才の無さを発揮して、家から持ち出した松阪牛の貢ぎ物が功を奏して天水館の面々に受け入れられていく。さらに、月海を時分の家へと連れていっては、手持ちの衣装や化粧道具を使って月海を着飾らせたりと社交性のあるところを発揮する。

 そこにもまた驚きの状況が出現しては、月海を戸惑わせ、少女の兄という人をときめかせ、そして少女の心を揺り動かす。

 女人禁制のアパートで趣味に生きると決めて、身を寄せ合って生きる人たちのひとりだった月海。そんな彼女に迫る前向きで明るいアプローチが、彼女の日々にどんな変化をもたらすのか。一方で動き始めた天水館に迫る再開発という危機に、住人たちがどう立ち向かっていくのか。そんな興味を誘って次へと読者を引っ張っていく。

 乙女ばかりの女子寮にひとり、乙女らしさを最大限に見せながらも中身は男子という異色の人物が紛れ込んで起こる騒動を描いた遠藤海成「まりあほりっく」とはまた違って、腐女子ばかりのアパートに紛れ込む異物がもたらす変化を描いたストーリー。自分になかなか自信を持てない人たちに、ちょっとした未来をもたらしてくれそうな予感がある。

 多々あるアパート物にあっても、展開の独自性やキャラクターの造型、そして絵柄の可愛らしさと展開の愉快さがうまく重なり合って、可笑しさ寂しさと嬉しさを感じさせてくれる。

 おしゃれ少女の正体が分かったとして、なおも天水館の面々はそのままの関係でいられるのか。眼鏡を外して化粧をすれば美人という月海に接して、それでも仲間と認めて暮らしていけるのか。問われる腐女子の覚悟に出される答えが、同好であり同類の人たちにもたらしてくれるだろう変化に期待を寄せながら、続きが出るのを待とう。


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