後宮詞華伝 笑わぬ花嫁の筆は謎を語りき

 書は人なり。書には人のすべてが現れるといった考え方が、世間には古くから伝わっている。はるおかりの「後宮詞華伝 笑わぬ花嫁の筆は謎を語りき」(コバルト文庫、590円)はそんな、人が映し出されるという「書」を手がかりに、書いた人への想像をめぐらせながら、さまざまな事態の真相へと迫っていく物語だ。

 舞台となっているのは、中国の明王朝あたりをモデルにした宮廷。父親が後妻に迎えた継母に虐められ、実母譲りの書法の嗜みも禁じられ、半ば軟禁状態に置かれながら朽ちていくだけの人生だと諦めていた淑葉という19歳の女性に、突然の縁談が持ち上がった。皇帝の兄の夕遼という男性に嫁ぐことになったのだ。

 もっとも、そこには奇妙な経緯があった。夕遼は書が好きで、淑葉の義妹となる香蝶が書いたらしい文に惚れ、香蝶を妻に娶りたいと考えいた。ところが、間に入った皇帝が画策したのか、夕遼が領地へと戻っていた間に進めた縁談の結果、淑葉が宮廷にやって来た。

 「おまえは誰だ」。淑葉を見るなり、そう言い放った夕遼。加えて、嫁入り道具に筆の一本も持って来なかっ淑葉に、書を嗜まない女性など興味がないとばかりに夕遼は冷たく当たり、ほとぼりが冷める半年後に離縁する考えを淑葉に告げた。

 淑葉自身も、自分が求められたのではないと知って悲嘆にくれていた、そんなある日。淑葉が簪で庭に書いた詩文を見て、夕遼は驚いた。書の教養がなければ書けない詩文であり文体。どういうことかと聞きとがめる中で、淑葉が本来持っていた書の才能が唐突に消えてしまったことが分かり、2人は何者かによって奪われたらしい淑葉の書の才を奪還するため、一計を案じる。

 術によって言葉を縛られ、直接被害を言えない淑葉が、「破鏡再び照らす」と書いた一種の暗号から、夕遼が真意を読み取り、術を破るまでがひとつのエピソード。その結果として、自分が惚れた書を書いたのが淑葉だったと知った夕遼が、彼女を改めて妻として迎え入れて以降、物語は、書が好きでたまらない2人が、宮廷で起こる事件にその知識を活かして挑むような展開へと向かっていく。

 後宮にいた姫が早世して、その姫がが残した書画にしたためられた詩文から、抱いていた思いを明らかにするエピソードを経て、身ごもった皇帝の寵姫に、不義密通の嫌疑がかけられたのを、どうにかして晴らそうとするエピソード。外からその姫に恋文を送っている男がいて、その男が姫から受け取ったとされる書があって、それがまったく姫が書いたものと同じ筆跡だったことから、不義密通の疑いは強まるばかりだった。

 そこで、書にくわしい淑葉が才能を見せる。手紙が誰によってどうやって書かれたかが明らかにされる展開からは、奇妙な手紙に潜んだトリックに挑む探偵物といった雰囲気が漂う。その裏側で動いていた、皇帝による自分の権勢を高めるためのある謀略も浮かんで、宮廷であり後宮という、一筋縄ではいかない場所で自分を保って生きていく大変さも見えてくる。

 もしかしたら、夕遼が最初に望んだ香蝶ではなく、淑葉を宮廷に呼んで兄の妻としてあてがったことにも、聡明な皇帝による、ある種の策謀があったのかもしれない。最高権力者の地位をめぐって繰り広げられる権謀術数の中心にあって、誰が味方で、誰が敵なのかを常に見定め行動する知略が、皇帝という地位には求められるのだろう。まっすぐな夕遼が、母親の出自の問題があったとはいえ、皇帝に推されなかった理由も、そうしたところに窺える。

 宮廷を舞台にした中華風の恋愛物語をメインにしながら、書を鍵にした事件を描き解決を描くミステリでもあり、権力者が権謀術数の中を生き抜いていくサスペンスでもあると言えそうな「後宮詞華伝」。口には出せない想いを、詩歌にこめて暗号のようにして送り会うロマンティックな要素もある。

 書は人であり、書は心であり、書はすべて。それを知った上で、美術館などで見る書には今までとは違ったものが見えそうだ。


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