紅霞後宮物語

 ライトノベルのヒロインといったら、だいたいが高校生とか中学生といったティーンの女子で、ライトノベルが読者に想定している高校生とか中学生といった世代の少年少女の歓心を集めて人気となる。

 恋愛感情を抱くにしても、自分をその身になぞらえるにしても、同じような世代のヒロインでなければちょっと無理。だからそうした世代が中心になるのが当然で、せいぜいが下に降りて小学生とかが下限で、あこがれの先輩として慕える女子大生あたりまでが上限になる。

 ライトノベルの読者を広げようとして作られたレーベルだったら、もっと大人の女性がヒロインになる場合もあるけれど、それでもギリギリ20代で、それ以上となると無理だといった空気が強くなる。そんな空気に果敢に挑戦したのが、雪村花菜さんの「紅霞後宮物語」(富士見L文庫、580円)だ。

 なにしろヒロインの年齢が34歳。第2回ラノベ文芸賞で金賞をとり、ライトノベルと文学の両方を見据えた富士見L文庫から出たからには、ティーンから少し上の年齢でも大丈夫だろうけれど、さすがにアラサーとなると、大丈夫なのだろうかと誰もが思う。だからか断言する。大丈夫だと。

 関小玉という名のそのヒロインは、貧しい家に生まれて10代半ばで軍隊に入り、最底辺から出発してこつこつと活躍して鍛錬にも励み、用兵の才能も認められて将軍の位にまで出世する。仲間もでき、慕う部下も大勢できたけれどもいかんせん、低い身分の出でおまけに女性では、これ以上の出世は望めないでいた。

 そんな彼女に朗報が。軍隊時代に仲が良かった男が、その血筋から皇帝に選ばれ即位して、そしてその皇帝が33歳になっていた小玉を後宮へと引き入れた。皇帝の小玉への想いが残っていたのかもしれないし、後宮に入れば女性でも軍隊を動かせる身分になれるという配慮もあったのかもしれない。とはいえ、33歳にしての後宮入りには小玉当人も驚いたし、長く後宮にあって皇后の座を目指して競い合っていた女たちも驚いた。

 というか、後から入ってきた小玉が、1年経って34歳になり、そのまま皇后にまでなってしまったから怒りすら覚えたみたいで、小玉に対して激しいバッシングを繰り広げるようになっていく。例えば朝に小玉の部屋の前に豚の生首を置いていくといった具合。普通のか弱い女性だったら驚き叫んで逃げ出すだろう。

 でもそこは歴戦の女将軍。人の生首を作ってすら来た人間だから、豚なんて怖くもないと持ち上げ自分で毛を剃って、鍋に放り込んで夕飯のおかずにしてしまう。なんという豪傑。なおかつ無頓着なところもあって、いじめをいじめとすら感じないまま後宮の暮らしを渡っていく。

 中には刺客めいたものをを送り込んでくる妃もいたけど、豪腕でもってねじ伏せ追い返す。けれども真犯人を追求して後宮から追い出すようなことはしないでほったらかし。それが後に禍根となるけれど、そうした開けっぴろげさで臨む小玉を、だんだんと慕う者たちも後宮の内外に現れてくる。

 過去に小玉が武官として仕えたことがあるお姫様は、その時から抱いていただろう恋情に似た気持ちを今もずっと持ち続けていたようで、実力者となった今もその気持ちを失わず、小玉を密かに恋い慕いつつ表では後ろ盾になっていく。小玉に追いつき追い越したいと思い、彼女に倣って剣の修行を始めた別の妃は、ライバルである小玉から手ほどきすら受けるようになり、だんだんと親しくなっていく。女子校にあって凜々しさと強さを持った女性が慕われ、持ち上げられるのと同じ構図と言えるかもしれない。

 そんな小玉の純粋でまっすぐな言動のかっこよさ、思いがけない身分になってしまいながらも威張らず、誰とも分け隔てなく接しようとするおおらかさ、そして皇帝の座を狙う陰謀を砕きに戦場へと出て見せる軍人としての活躍に、アラサーだろうと気にせず惚れてしまいそうになる。そんな物語。とはいえそこは宮廷だけあって、権謀術数も巡らされて皇帝への危機も起こる。

 それを笑って見逃すことは、国体の維持存続の上からも出来ず、必然としてシリアスな展開も起こってくる。そこに国家であり組織であり、統治であり軍事といったもののリアルさをしっかりと出しつつ、それでも破天荒な生き様を変えないまま、旧態依然とした後宮を変え、宮廷を変え、国すら変えていこうとしている小玉の態度が、読んですっきりとした気分を与えてくれる。

 コミカルでありながらもシリアスで、無頓着でありながらも繊細。不思議な二面性を持ち、それらが絶妙なバランスで溶け合った物語。この先もそんなバランスが続くのか、シリアスさが増すのかコミカルさに流れるのかは分からないけれど、出来るならこの巧妙さをイジしつつ、小玉という1000年の後も残る偉人の“今”を描き継いでいって欲しい。期待して待とう。


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