ここで死神から残念なお知らせです。

 THORES柴本ならではの、耽美さが漂う美形がたたずむ表紙絵で、書いたのは主にボーイズラブ方面で活躍しつつ、最近は「カブキブ!」といった一般文芸であり、キャラクター文芸にも進出している榎田ユウリの「ここで死神から残念なお知らせです」(新潮文庫nex、550円)が出た。

 人の死後に残された思いを受け継ぎ、叶えようとする。そんな設定を持った物語だから、感動に溢れて感涙必至の良い話にしようと思えばできるのに、それをやらないで残酷な現実を見せ、逡巡の愚かさを示しつつ、元に戻して安心させたら最後に大どんでん返しを繰り出す展開が巧妙で面白い。

 俺はまだ本気出していないとばかりに、漫画家になる夢だけはありながらもとりたてて何もせず、親の仕送りで暮らしている30歳のヒキオタニート、梶真琴がモーニングを食べに出向いた行きつけの喫茶店で出会ったのは、黒い服装で白目のまるでない黒い眼をした奇妙な男だった。
 保険の外交員なのか、喫茶店に来たお婆さんにしきりに保険を勧めるものの、その言い方がどうもおかしい。黒い眼の男が言うには、お婆さんはもう死んでいるけれど、そのことに気づいてないだけで、ここで保険に入りつつ、自分の死を受け入れれば、魂の力で保っている肉体は崩壊せず、ちゃんと綺麗に死ねる上に保険金もしっかりともらえて万々歳とのこと。

 やっぱり詐欺か何かなのか? とはいえ詐欺というには保険金はしっかりと親戚の娘さんに支払われることになるから、お婆さんは別に騙されてない。騙されるのは保険会社ということになるけれど、それを提案しているのが当の保険会社の人間。だからやっぱりどこがおかしい。

 もしかしたら死神と言っているのは本当のことなのか? そんな懐疑を抱きつつも、空想に逃げてお婆さんを助けることもしなった真琴という男は、そこで黒い眼の男に目を付けられ、引っぱられるようにして彼の仕事を手伝う羽目になる。

 男によって連れて行かれた真琴は、死神を自称するその男が、息子家族から遠ざけられたまま死んだらしい母親に契約を迫る場面に立ち会うものの、その母親は息子に会うまでは契約出来ないとゴねる。真琴は可哀想だから連れて行ってあげようと親切心を発揮し、そして行った先で母親は孫娘とは会えたものの、そこで時間切れとなって、死神がしきりに気にしていた崩壊が起こり、母親の肉体は消滅してしまう。

 とてもグロくて悲惨な場面を、孫娘は目の当たりにして、その直接的な記憶は消えるけれども、恐怖心は心に刻まれる。なおかつ死体はなくなり、母親が残した遺産を息子が引き継ぐには、失踪から何年といった時間がかかることになって、実はリストラされて親に会わせる顔がないと逡巡していた息子が、直面していたお金の問題にまるで解決にはならなくなる。

 やさしい死神のちょっとした配慮で、不幸だった死に幸せが訪れ、家族に安寧が訪れるようなハートウォーミングな話には向かわせないところが、この小説の大きな特質。結婚式直前で死んだ青年も、式の場まで存在させ、そして花嫁の目の前で死なせたりして、花嫁に強いトラウマ植え付けてる。離別の悲しみとか、思い残して逝くことへの憐情といった死にまつわるドラマにありがちな展開を、採用しないでズラしてみせる。

 当人たちにとって重要でも、死神にとっては、あるいは世間の人には無関係な死というものへの想像を、残酷でシニカルな物語を読ませることによって、抱かせようとしている感じがある。

 さらにどんでん返しもあって、もう1段の驚きも最後に見せたりしつつ、やっぱりそうかも……といった想像をさせ、てある種のオープンエンドへと至る。どちらともなくとれる結末から、果たしてどうなったのだろうと想像させる。

 そんな「ここで死神から残念なお知らせです。」という物語を読ませることで、人に今自分は生きているのだろうかという感情を抱かせ、誰かが死ぬこととはどういうことなんだろうかと考えさせ、それらも含めて死がもたらす影響なり、無影響なりを想起させようとしている。そんな気さえ浮かんでくる。

 あとは増えつつある孤独死の問題についての警鐘かか。誰にも看取られないまま迎えた突然死。その先にある混乱なり困惑を予想させ、身の処し方を考えておけよというメッセージでもある。とはいえ自分が死んだら後のことなど知ったとこかともも言えそうで、そこは判断に迷うところ。だから人はまず物語を読んで、自分だったらどうするのかを考えてみるのが良いだろう。

 備えあれば憂いはなしと思えるか。死んだらそれまでよと達観できるか。死んでみなければ分からないか、やはり。


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