気障でけっこうです

 人もあまり来ない公園のブランコの下で、首だけだしてすっぽりと穴にはまっていた七三分けのおじさんの、どこかとぼけて哀切さも漂う独白を聞いた女子高生のきよ子は、出して欲しいのかそうでないのか、今ひとつつかみ所のないおじさんを、それでも見捨てることは出来ないと、家に帰ってショベルを持って公園に戻ろうとしたら、車に跳ねられ気を失ってしまう。

 そして病院で目覚めたら、公園で首だけ出して穴にはまっていた七三分けのおじさんが、幽霊になってベッドのかたわらに現れた。どうやら彼は死んでしまったらいし。誰にも発見されないまま、低体温症か何かで命を奪われてしまったらしいけれど、その責任は、地面から出た頭に雨がかからないようにと、傘を掲げてその場を離れてしまったきよ子にあると七三分けのおじさんは言い、そしてきよ子が病院から退院して家に戻り学校に行くようになってからも、つきまとうように現れる。

 その風貌からシチサンと呼ぶようになった幽霊には、少し不思議なところがあって、きよ子のせいで死んでしまったと、恨んでいるようなことは言いながらも、取り憑いて呪い殺すといったような脅迫はしない。そもそもブランコの下で人がひとり死んでいるのに、世間ではまるでニュースになっていない。落とし穴に落ちたというシチサンの言い分にも、どこか奇妙なところがある。そんな風に人は穴に落ちるのか。びっくりして両手を広げてそれが引っ掛かるのではないか、等々。

 本当にシチサンはいたのか、そして死んだのか、その理由は、いったい何がしたくて幽霊となって戻ってきたのか、といった謎が浮かんではきよ子に迫る。それを解決しようと動き回るきよ子の前に現れた人たちの言動から、シチサンの本当の姿が見えてくる。それは……。

 「鴨川ホルモー」の万城目学や石岡硫衣「白馬に乗られた皇子様」、「をとめ模様、スパイ日和」の徳永圭らを送り出したボイルドエッグズ新人賞を受賞し、「小さいおじさん」の尾崎英子と同様に刊行を希望する出版社の入札にかけられ、角川書店が落札した小嶋陽太郎の「気障でけっこうです」(角川書店、1300円)のストーリー。作者はまだ大学生らしいけれど、そこには毎日を普通に生きている女子高生が巻き込まれた不思議があり、一方で毎日を懸命に生きている大人たちの苦労があって、その接点として幽霊がいて、誰かを助けたいと思う心の大切さが浮かび上がってくるドラマがある。なかなかに達観した筆さばき。若くして知った人生の機微でもあるのかと思わせる。

 幽霊のシチサンはといえば、きよ子の後ろにくっつきならがも、そしてどこか別の場所の誰かが気になって仕方がない様子。たとえば立ち寄ったスーパーで見かけた母親と娘の2人連れとか。いったい過去に何があった。それが幽霊になった理由なのか。進んでいく物語から見えてくるのは、どうしようもないその状況を、それでもどうにかしたいと頑張った姿だ。

 少しばかり気障で、けれどもどこか不器用なその言葉や行動が招いた結果だけ見れば、気障なだけでは駄目だとすら思えてくる。けれど、それでも精一杯に頑張った姿勢は存分に評価に値する。だから神様も……。そうに違いない。

 だから結末がちょっぴりほろ苦かったとしても、シチサンは絶対に良い方に向かったと思いたい。たとえどこに行ったとしても、あるいはどこにも行けなかったとしても、シチサンは幸せだったと信じたい。そうでなくても、誰かを幸せに出来たことを、喜べたに違いないと感じたい。そんな思いを受け継いで、あの母と娘には生きて行って欲しい。

 シチサンという存在の不思議さを一方に置いて、きよ子の友人のキエちゃんという少女がさらに不思議に見えるのは、何か裏に意図があるのか気になるところ。きよ子のピンチにかけつけるその行動力。というよりピンチを予測していたかのようなその嗅覚には、単にきよ子のことが気になっているといった感情以上の何かがあるように思えて仕方がない。

 人としての愛なのか。人ならざる存在としての責任なのか。それはちょっと穿ちすぎかもしれないけれど、それでもやっぱり気になるキエちゃんのワイルドでストレートな言葉に行動。普通に性格だというなら、それもそれでありだけど、でもやっぱり不思議な娘。その正体に迫る物語があっても面白い。

 笑って驚けて、泣けて楽しめる人情と冒険の物語。頑張っている人に幸いあれと願いたい。


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