爆笑エッセイ
極め道

 文庫大爆発状態の書店に比較的新人の紙メディアでは初出のエッセイ集が並んでいたとして果たして貴方は買うだろうか? という問題に立ち向かうには、何がしかの読者なり書店員なりを引っかけるフックが必要になりそうな気がしてならない。「歌舞伎街のホテトル嬢」とか「元芸者」とか「ミニスカ右翼」とかいった耳目を集めやすい経歴もなければ、「ネットで6万人の読者」を集めていて「芥川賞作家イチオシ」なんてイマドキのITオヤジたちに訴えかけるほどの話題性にもちょっと足りない人が、果たしてどこまで立ち向かえるのだろうかという疑問がつきまとって離れない。

 そんなことを考えたのは、光文社の「知恵の森文庫」から文庫オリジナルとして出た三浦しをんの「極め道」(495円)を読んだから。オンラインマガジンで、新しい書き手の発掘も目的にして運営されている「Boiled Eggs Online」に連載されているエッセイ、「しをんのしおり」をまとめた文庫で、タイトルこそ”極道”っぽさを感じさせる迫力にあふれているけれど、英文表記を読むと「My favorite way」となっていてこれならと納得する。たしかに「きわめみち」、だな。

 簡単に切り分けるならこの「極め道」、本にまつわるエッセイということになる。取りあげられているのが伊藤潤二の「道のない街」(「サイレンの村」所収)だったり「北斗の拳」だったり「小説b−Boy」掲載の木原音瀬の「あのひと」だったり高遠砂夜の「姫君と婚約者」だったりといった具合に、どちらかと言えばイマドキで、なのに決して”オタクは細部にこだわる”的な知識のひけらかしにもディティールの詳報にも至らず、かといって社会が、とか政治が、とか経済が哲学が天文学が、なんて大袈裟にも押しつけがましい方向にふくらむことなく、人の平均的日常の前後300メートルあたりのところに妄想と幻想が収まって、安心感と違和感がほどよく交錯する不思議な感じを体験させてくれる。

 ということはもちろん読めば分かる。三浦しをんが並々ならぬ言葉と妄想力の使い手であることを知ることになる。例えばタイトルナンバーの「極め道」というエッセイは、コンビニのレジ前に並んでいて、新しく開いたレジに自分の後ろにいる人間がさっさと行ってしまったことを切り口にして「モラルがない人間」なんだと言うのは序の口、そこからトイレの個室に横入りするようなものだ、トイレで大乱闘だと膨らんだ話がさらに「王位継承権第1位の王女を差し置いて、いいなり妾腹の弟王子(デリカシーがないことで国民の間でも有名)が王位を簒奪するようなもので、こりゃあ国家の一大事えすぞ」と発展する。カッコ内の具体性が何とも妄想的なだけど、そこで留まるかと思ったらさにあらず、話は電車の中のヤクザの意外な善行へと転がっていって最後に再びコンビニへと落ちる。

 本の話がぜんぜんないが、まあご愛敬。それとても面白さは同様で、むしろ問題はやっぱりどうやってその面白さを知ってもらうためにこの本を読ませるという所にかかって来る。もしもこれが「本の雑誌」に連載されていたエッセイをまとめた本だったら、読者にだって「なるほどそうか」と分かってもらいやすいし、「anan」だったら分かりやすさは×100、部数だって×100。かろうじてフックになりえるとしたら、「ネットで6万」には及ばないにしても「ネットでそれなり」とかいった事実だろう。

 けれども帯にも後ろの説明にもネットの文字が入っていないところを見ると、有象無象なネットデビュー作家に埋没してしまうことを、オンラインマガジンのそもそもの目的である新人を探してマネジメントする出版エージェント業務の担当者とか、出版を担当する編集の人とかが嫌がったんだろうか、なんてことを考えてしまう。「ネットで人気」がアピールできるのも、アクセス数ならビリオン暮らすで、経歴だったら外人部隊帰りの女子中学生といった具合に、麻雀で言うなら役萬で親でドラ裏ドラ付きくらいでなければ(麻雀よく知らないんだけれど)、時すでに遅いのかもしれない。

 だったら「極め道」の場合は何だろうか? ということになるのだけれど、そこで読んでいない人に向かって「中身」と言えない難しさがあって、仕方がなく「外見」で言うなら、1つには土橋とし子のイラストで日下潤一の人が装丁ということになるんだろうか。あとは折り返されているところにある「格闘する者に○」(草思社、1400円)の時には不明だった著者近影の、自称18才、いつまで経っても18才の若さと美貌ということになるのだろうか。

 やはり「中身」ということで、敢えて言うなら媚びてもないしおもねってもなく自虐的でもなければ居丈高でもない、理性と感性と知性と痴性が入り交じりつつ顔をのぞかせて、良く言えばそつが無く、悪くいえば読者を手前の方へと引きずり込もうとする「必死さ」がなかったりする、新人離れした”達観ぶり”が目につく。新しい物好きの人にはどこか当たり前過ぎる内容かもしれないけれど、それでも書き込むほどに味が出て来る内容を、読み込む程に味わえる楽しさは本読みにとっての最大の至福。そういった特徴を持った人だけに、流行り物としてではなく、適度なスパンでじっくりと、売り出していくのが正解なのかもしれない。

 その意味で、最初の出版形態に文庫というパッケージを選んだことが吉と出るか凶と転ぶか。一方では作家エージェンシーの活動の行方を占う試金石だったりもする本で、その立ち上がりから成り行きを見続けている身としても、ここに本を紹介してマーケットの判断を仰ぐことにしよう。


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