機龍警察 自爆条項

 美少女の殺し屋が活躍するテレビアニメ「NOIR(ノワール)」の脚本家として知られ、近年になって「機龍警察」(ハヤカワ文庫JA)や「機忍兵零牙」(ハヤカワ文庫JA)といった小説作品を立て続けに発表して、作家としてデビューした月村了衛による「機龍警察」シリーズ第2作「機龍警察 自爆条項」(早川書房、1900円)を読んだとき、まず浮かんだのが、押井守監督によるアニメーション映画「機動警察パトレイバー2 the movie」だ。

 二足歩行型のロボットが、重機の代わりに使用されるようになった近未来を舞台に、そうしたレイバーたちが起こす犯罪を取り締まるべく、警察に設置されたレイバー部隊が活躍するストーリーを描いた作品が「機動警察パトレイバー」。これを押井守監督は、劇場版の映画で大きく歪めてみせた。

 レイバーが活躍しない。そしてヒロインとヒーローも真の意味の主役ではない。クライマックスでの戦術として描かれはしても、映画全体を貫いて醸し出されるトーンは、日本に起こるテロであり、それに右往左往する官僚の姿や、現場で振り回されながらも職務に賢明になる人々。そんな情景から、この国にしのびよる腐敗なり、劣化なりを浮かび上がらせようとしたものだった。

 どこかコミカルで、どこか熱血で、どこかスタイリッシュなアニメーションであり、漫画だったパトレイバーが、そこでは社会を描き、政治を描き、国家を描き、人間を描くメッセージ色の濃い“映画”になっていた。だから、パトレイバーの熱いファンからは毀誉褒貶が取りざたされたが、レイバーから離れて見た普通の人が、いろいろと考えさせられる映画として世に囁かれ、やがて大きく頷かれ、今なお押井守監督の代表作として語り継がれていたりする。

 文庫で先行した「機龍警察」でもすでに、元傭兵に元外国人警官に元テロリストの3人を、日本の警視庁に作られた特捜部が龍機兵を動かす要員として雇い、そんな3人が日本を舞台に起こる凶悪なテロと戦う話をメインにしながら、特捜部の周囲で起こる警察内部や省庁間の綱引きが描かれてはいた。

 それが「機龍警察 自爆条項」では、「機動警察パトレイバー2 the movie」のように龍機兵、すなわち二足歩行型のパワードスーツ的な武装をまとい戦う人々が主役の、近未来ポリスアクションといった面もちがさらに背後へと下がり、警察内の縄張り争い、省庁間の利権争いに国家観の謀略を絡め、その下で意志を持ち、思いを抱いてうごめく人々の姿を描いたサスペンスに仕上がっている。

 エリート外務官僚でありながら、日本に凶悪犯罪と対峙する組織が必要と警察に移った沖津旬一郎という男が作り上げたのが、龍機兵といわれる一種のパワードスーツを使って戦う要員を抱えた特捜部。ほかにも似たスーツをまとうSATが警察には存在していたが、龍機兵だけは世代が違っているのか圧倒的な戦力を秘め、そして謎も秘めている。

 そんな龍機兵に登場するのが日本人で元傭兵の姿俊之と、元ロシア警察刑事のユーリ・ミハイロヴィッチ・オズノフという男、そしてIRFというアイルランドに本拠を置くテロ組織で「死神」との異名をとっていたライザ・ラードナーという元テロリストの女。ただでさえ組織内の身内意識が高い警察にあって、外様でなおかつ傭兵やテロリストという出自の人物への風当たりは強く、特捜部は常に内部から反発をくらい、外部からも畏敬の目で見られている。

 捜査を妨害され、排除されようとすることも数知れず。そこを特捜部を立ち上げた沖津が切れまくる頭を使ってしのぎ、事件の現場へと特捜部を進出させていく。雁字搦めとなった官僚組織の中で、どこをどう押せばどう動くのかが見えてくる。と同時に正義なり国益といった純粋なタームでは動かないこの国の、歪みであり硬さといったものも見えて不思議な気持ちにさせられる。

 そんな硬い組織をくぐりぬけ、沖津がそこまでするのは彼の日本を正しい姿にしておきたいとう信念なのか、それとも誰か別の人間の思惑を代行しているだけなのか。疑問も生まれるなかで、ひとつの事件を解決して浮かび上がってきたのが、警察内とも政府内とも分からない「敵」なる存在。その余韻を引っ張って続編が「機龍警察 自爆条項」が幕を開ける。

 そこで描かれるのは、もっぱらライザ・ラードナーという女性テロリストの過去であり、彼女をねらうIRFのテロリストたちとの戦いだ。今ではまるで表情を変えない筋金入りの元テロリストに見えるライザが、心の奥底にずっと偲ばせていた、かつて離してしまった手への後悔や、偶然とも必然ともいえるタイミングををきっかけに変わってしまった運命への慚愧い、後に知った真実への驚嘆が浮かび上がってきて、ひとりの人間を形作るものの大きさ、複雑さ、すさまじさを感じさせる。

 そんなライザのドラマが繰り広げられる一方で、面子をかけてしのぎを削る権力、さらに上にうごめく策謀が見せられ、この社会の、この国家の、この世界の奥深くて複雑でそして恐ろしげな感じをたっぷりと味わわせてくれる。この国をどうしたいのか。この国はどうなってしまうのか。そして世界は。大きく動こうとしている世の中にあって、日々をただ粛々と生きているひとりの人間として、何ができるのかと考え何もできないと、諦めるしかない絶望感が身を苛む。

 テロに身を投じればそこにコミットできるのか? 否。キリアン・クインという、詩人と綽名されるIRFの理論的指導者が、いくら聡明さと狡猾さを武器にして、世界を相手に戦ってみせても、その身は絶対的な位置にはない。必要とされているから存在し、必要とされなければ消される。そんな姿を見てなお立ち上がり、戦って散り果てる気概を抱けるのか。抱けるはずがない。

 だからといって、そこで諦めては世界は終わり、自分は実質的な死を迎えて後はただ、生きているような死を漂うだけだ。ひとりひとりは小さすぎても、その手がつながることによって力は増える。特捜部で龍機兵の開発を手がける鈴石緑の父親で、IRFが起こしたテロで死んだ鈴石輝正は、旅の雑感をつづった「車窓」という本にこう書いた。

 「人は、何かによってお互いに隔てられている。目に見えぬその境目が、過去、そして現在、多くの悲劇と不幸を生んでいる。それでもこうして列車に揺られていると、友人になれるはずだった人が不意に車両のドアを開けて顔を覗かせ、声をかけてくるような、そんな気がすることがある。それは真実の予感かもしれないし、単なる自分の希望かもしれない」。

 希望でも良い。それがあるうちは人は絶望せずに済む。ライザの心に触れて何かを動かしたこの言葉が、人から人の手を経て伝わり、世界に広がった時に起こるうねりに期待したい。そんな言葉が記された「機龍警察 自爆条項」という本が、多くの人に読まれることによって。


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