君たちに明日はない

 船戸与一ばりの世界を股に掛けた大冒険。北方謙三ばりの裏社会を歩む者どものバイオレンス。福井晴敏ばりの国家の存亡を描いたクライシス。悪意と情念の渦巻く社会を描く作家といった認識を、どことなく持たれがちな垣根涼介だが、「君たちに明日はない」(新潮社、1500円)は一変して真っ当な社会に働く人々が主人公の物語。意外に思いなぜこれをと訝る人も多そうだ。

 もっとも作家にとっては何の違いもないらしい。過去から現在に至るまで、極限状態に追い込まれた人間がみせるあがきのようなものを描くことがすべて。そう心がけて来た作家の狙いは「君たちに明日はない」でもしっかりと盛り込まれ、活かされている。

 もっぱら主役を務めるのは村上真介という男。働いているのは「日本ヒューマンリアクト」という会社で、やっていることはリストラ。つまりは首切りだ。会社がリストラを行いたい時、人事部に代わって社員を面接してはあれやこれや言葉を弄し、時には脅しときには宥め、持ち上げ叩いて相手が”自主的に”辞めるよう追い込んでいくことを生業にしている。

 21世紀も5年目に入って景気も回復に向かっているとはいえ、まだまだ低空飛行を続ける日本にあって不思議ではない職業。本当にそんな会社があるのかまでは分からないが、なかったとしてもこの本を読んでこれは必要だと、立ち上げるコンサルタント会社が出てくるかもしれない。

 さて物語の冒頭、村上真介は建材メーカーの支店長を面接して今の会社の事情を話し、「これを機会に、新たに外の世界にチャレンジされるのも一考かと思われますが、いかがでしょう?」と持ちかける。これは彼の常套句。納得させられれば仕事は終わるが相手は必至、そうは問屋が下ろさない。

 首を切られる方は自分の必要性を訴え、怒りわめいてすがり泣く。けれども辞めさせたい側としてはまずは説得し、それでもダメなら奥の手も出して辞めざるを得ない方向へと持っていく。そんな説得する側のロジックと、説得される側の心理の変転が実にリアル。なるほど人間はこうやって、追いつめられていくのだと納得させられる。会社の人事が読めばそんなロジックを参考にして、リストラに役立ててみたくなるだろう。

 「君たちに明日はない」ではこの支店長に留まらず、中堅になって業界と会社の発展に役立つプロジェクトをあと一歩で完成させられそうな所まで来ながらも、会社の都合で辞めらせられそうになっている女性社員や、合併後の派閥抗争から脇に追いやられ、そこでもさらに冷や飯を食わされている銀行員、ひたすら開発に明け暮れ、社会のことなんてまるで知らないオタクの玩具開発者といった、実在してまるで不思議のない面々が、リアリティたっぷりの筆致で描かれる。

 聞けばこの企業社会のどこかにいそうな面々。そんな彼ら彼女たちに降りかかる、人によっては天災で人によっては身から出た錆とも言えそうな事態に見せるリアクションの数々が、妙なリアリティを持って身に迫り、翻って我が身にこうした事態が及んだ時に、どんなリアクションを見せるのだろうか、といった思考が浮かぶ。

 村上自身が一種のリストラ組で、広告代理店に入りながらもそこでの将来に絶望し、けれども折角入った会社を辞めるのも勿体ないし、他に趣味でやりたいこともあったからと、給料を計算し費用を計算して、これだけ働けば給料分は稼いでいるという、そのちょっと上のラインを狙って会社に首にさせないような仕事ぶりを示して、社内を漂っていた。

 そんな村上の計算を見破ったのが、リストラに乗り込んできた「日本ヒューマンリアクター」を創業した社長。村上に作戦が見破られていることを伝え辞めさせた上で、誘い自社のスタッフに入れてしまった。

 自身がコストとプロフィットのバランスを取ることを実践して来た村上真介。リストラ請負人として乗り込んだ先でも相手を見、かかるコストに見合ったプロフィットをあげているのかを理解した上で責めていくから、相手も反論が出来ず感情にも訴えられない。かくして優秀なリストラ請負人となった村上は、各社を歩き社員たちを面接してはその首をどんどん切っていく。

 「君たちに明日はない」が面白いのは、そんな村上の側にだけ立った小説になっていないことだ。追い込む側の事情を描いた上で追い込まれる側、支店長だったり銀行員だったり年齢の行ったショールームコンパニオンだったり、そして村上自身が突然のリストラを告げられ自分の価値を否定されて浮かべるさまざまな感情、怒りや哀しみといった気持ちを描いて、この理不尽にして不条理な企業社会を生きる難しさを、読む人に伝えようとしている。

 切られる側、追いつめられる側に立ち位置を転じさせることで双方の事情に感情が分かって、このままならない社会を、それでも生きて行かなくてはいけないんだという気力を与えられる。悪が滅ぼされるようなカタルシスはないが、人間たちがそれぞれに収まるべきところへと収まって、新しかったりそのままだったりする道を歩んでいく姿に、読み終えて心に微笑みが湧いてくる。

 シリーズ化しても十分に耐えられそうな物語。新しい世界に「極限状態の人間」という共通テーマで挑み続ける垣根涼介が、ひとつ所に留まって続きを紡いでくれる保証はないが、男性のみならず女性のキャリアからも支持されそうな、というよりむしろ未だ社会では壁を越えることに力を求められる女性にこそ読んで欲しいシリーズ。読者の幅を広げる意味からも書き継いでいくべきだ。


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