君は月夜に光り輝く

 死んでしまった人たちを想えるのは生きている人たちだけで、そして、生きているということを死んでしまった人たちが感じることはできない。だから人は生きているうちに生きている人たちのことを精一杯に想おうとするし、生きていることを体や心に感じようとする。

 けれども、生きていることのかけがえのなさ、生きていられることのとてつものなさを人は、生きているうちにどれだけ想い感じているのだろう? 安易に日々を過ごして気がついたら明日で自分が終わってしまうとなって、どれだけのことを自分はしてきただろうと悔やんでも遅いし、どれだけの人に想ってもらえるのだろうかと悩んでも答えは得られない。

 だからもっと、生きていることを大切に想おう、生きていられることを嬉しく感じようと、そんな言葉を贈ってくれているような物語が、第23回電撃小説大賞で大賞を獲得した佐野徹夜の「君は月夜に光り輝く」(メディアワークス文庫、630円)だ。読み終えれば誰もが生きているという貴重な今を実感し、生きていられるこれからをしっかりと歩んでいこうと決意するだろう。

 発光病なる体が光ってだんだんと弱っていく病気に罹っている渡良瀬まみずという少女が、学校には通えていないものの同級生にいるらしい。そんな渡良瀬まみずに学校から届け物を持っていく羽目になったのが岡田卓也という高校1年生の少年。香川という名の同級生が行くはずだったのが風邪とひいたからと押しつけられ、岡田卓也は渡良瀬まみずが入院している病院へと向かう。

 そこで出会った渡良瀬まみずから、岡田卓也は彼女がずっとやりたかったことを自分の代わりにやってくれるよう求められる。それは遊園地に行ったり初恋パフェを食べたりといった他愛もないこと。さすがにバンジージャンプを飛ぶのは勇気が必要だったけれど、渡良瀬まみずが大事にしていたスノードームを落として割ってしまった負い目もあって、岡田卓也は無茶なことでも諾々とこなしてく。

 メイド喫茶でメイドとして働くことはさすがに無理で、調理担当として働くことになった岡田卓也。そこで知り合ったメイドの少女からいろいろと関心を向けられても、渡良瀬まみずのことは話さず淡淡と彼女のやりたかったことを代わりにこなしていく。そんな渡良瀬まみずとのふれ合いから、岡田卓也は彼女への感情をだんだんと高めていく。

 けれども、発光病は不治の病で遠からず確実に離別の時がやって来る。岡田卓也の心は揺れ動き、渡良瀬まみずの方にも心に感情の錯綜が起こってくる。彼は、そして彼女はいったい誰が好きなのかといった恋情がすれ違い、諍いも生んでしまう。そして起こった波風を超えて、よううやく落ち着いた先で迎えるた先。渡良瀬まみずのいない世界を生き続ける岡田卓也や、友人の香川が抱く死と生への感情を改めて強く浮かび上がらせ、迷いがちな思春期に前向きな気持ちを与える。

 現存する難病ではなく、発光病なる架空の病を想定したのは、その時まで体力も意識も持たせつつ、流れるように去って行くシチュエーションの中で言葉と心を交わさせたかったからなのかもしれない。そういった状況を欲しいがために都合良さげな病を作り、感動のために命を終わらせる展開を、好ましいものとは思いたくない気持ちがふと浮かぶ。

 ただし、この「君は月夜に光り輝く」は、離別の悲しみを描くことにのみ主眼が置かれている訳では決してない。残される側、そして生きていく側にこそ迷いがあって悩みがあって、身内の事情から生への絶望もあったところに死を前にして常に前向きな少女を置くことで、生きている者にこそ生き続けろと訴えている。それを狙ったのだとすれば、このシチュエーションにも納得がいく。

 最後の瞬間まで言葉を紡ぎ続けた渡良瀬まみずの心情を想うと、悔しさがまじった悲しみも浮かぶ。残念だとも想うけれど、それで渡良瀬まみずが喜んでくれる訳ではない。生きていない人は向けられた同情を受け止めて癒やされる術を持たない。だから残された者が、今を生きてそしてこれからを生き続けていく者が、渡良瀬まみずの悔しさを噛みしめつつ、将来を同じ悔しさに苛まれないよう精一杯に生きよう。

 それが生きているということだから。生きていくということなのだから。


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