気まぐれコンセプトクロニクル

 時は流れない。ただ積み重なるだけだ。その滞積を掘り起こした時に、人は重ねた時の重さというものを知り、織り交ぜられた懐かしい思い出に頬を染めたり、恥ずかしい記憶に身もだえする。

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 1984年にはスキーがウィンタースポーツの王様で空港にはスキーを入れた袋を抱えた人がいっぱいいて、宅急便で現地に送るとかはしておらずスノーボードの入った幅広の袋を抱えた人もまるで見あたらなかった。(21ページ)

 1984年には街角でマーガリンの「ラーマ」を食べて感想を言う奥様たちがいた。(25ページ)

 1985年にはつくばとやらに巨大なモニターの「ジャンボトロン」が設置されていてそれにファミコンをつないで「ゼビウス」というゲームを遊びたいと大勢のゲーマーが夢を描いた。(47ページ)

 1985年のコンピューターはロッカーよりも大きな箱形でオープンリールテープが回っていて長い紙を吐き出すものだった。(58ページ)

 1986年にはエレベーターで階数の案内が自動的に聞こえる時は上を見ると天井に忍者が張り付いていることが多かった。(67ページ)

 1986年はワンレンヘアーにジュンコシマダのスーツを着てブティックオオサキのバッグを持ちモード・エ・ジャコムの靴を履いている女性こそがお嬢様だと思われていた。(81ページ)

 1987年は石原真理子と明石家さんまの結婚式が中継されれば視聴率が50%近くとれるかもしれないと当然のように思われていた。(113ページ)

 1988年は上の階に林真理子が来ると天井がミシッときしんでバコッと穴が開いていた。(132ページ)

 1988年は「モルツ戦争」なるものが起こりかけていてニューヨークにある国連本部でも調停に乗り出すかどうかの議論が安全保障理事会で話し合われたり話し合われなかったりした。(149ページ)

 1989年にはさらに「ドライ戦争」なるものまで起こってモルトの味わいかドライのキレかを同じメーカーの中ですらごちゃごちゃな争いが起こっていた。(167ページ)

 1990年にはお嬢様系雑誌では「25ans」が1番読まれていて広告も沢山入っていてとてつもなく重たくて病人が持つとその重さに取り落として圧死するくらいだった。(218ページ)

 1991年は椎名桜子が千葉ロッテの監督に起用された。(251ページ)

 1991年に出版された宮沢りえのヌード写真集「サンタフェ」には岡本夏生、梶原真理子、相沢なほこといった面々がいきなりヌードになるなと憤る姿が見られた。(262ページ)

 1992年には三和銀行と太陽神戸三井銀行と住友銀行のキャッシュディスペンサーに登場する女の子たちの美醜が問題になった。(272ページ)

 1993年にカレーを食べるとラモスになった。(334ページ)

 1994年には東急エージェンシーに手をかざすだけで人を治療できる社員がいた。(367ページ)

 1995年は「ニフティサーブ」の掲示板こそがアダルト広告の本場だった。(415ページ)

 1996年頃から活動を始めたグループに「ミュージックアクティブエクスペリエンツ」という女性4人組があった。略して「MAX」。(463ページ)

 1997年はアステルの宣伝部長とナイキの宣伝部長と日清ラ王の宣伝部長とマンダムの宣伝部長がサッカー場で「マッエーゾノッ」と叫んでいた。ちなみに誰も「ナッカータッ」とは叫んでいなかったとさ。(515ページ)

 1998年には刑事プリオと呼ばれて平気な外国人がいた。(561ページ)

 1999年には「直ちゃん」という人の跡を「優香」という人が継いでいた。今いずこ。(612ページ)

 2000年は「紀香」にCM女王の座を挑んでいたのが「本上まなみ」であった。今はどっちも。(647ページ)

 2001年当時「ほっかほっか亭」では「toto」を販売していて盛り上がる「toto」人気に揚げ物を揚げたりご飯を炊きながら「toto」を販売する時の訪れが懸念されていた。(705ページ)

 2002年は最先端が井川遙で吉岡美穂がポスト井川でそのポストに森下千里がいたがほしのあきはいなかった。(739ページ)

 2003年は武富士ダンサーズから笑顔が消えかかっていた。その後本当に消えてしまったが。(824ページ)

 2004年は江角マキ子が国民年金の保険料を支払っていなかった。(840ページ)

 2005年の「ドン・キホーテ」六本木店には屋上にジェットコースターが走っていた。(911ページ)

 2006年にはオタクが「アフガニスタン」「カザフスタン」「ウズベキスタン」に萌えていた。と描いているのは勘違いも甚だしい。(925ページ)

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 これだけじゃない。スキーに通いディスコに通いカフェバーに通いプールバーに通いナタデココを食べティラミスを食べタピオカを食べて最先端だと思い込んでいた日々もあった。そんな記憶が「気まぐれコンセプトクロニクル」(ホイチョイ・プロダクションズ、小学館、2200円)を読むと蘇る。

 懐かしくもあるし恥ずかしくもある記憶だけれど、大切なのはそれらが記録されていたからこそ、今こうしていろいろと考えられるのだということ。積み重なってもそのまま白く固まってしまう時を漫画に描いて時間の柱に刻み込んでいく仕事は、リアルタイムでは楽しさを味わえても数年を経てふりかえると陳腐さに苦笑したくなる。

 だからといってそこで止めてしまっては意味がない。さらに数年、10数年を経た時に陳腐さは貴重さへと変わって読む者を懐かしさと恥ずかしさの入り交じった意義ある心地へと誘うのだ。文字通りに一朝一夕ではいかない仕事に喝采。その仕事に場所を与えた媒体に叩頭。


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