鬼女の都 The Spirit of Kyoto

 「ご出身は」と聞かれて「名古屋です」と答えると、妙な失笑が漏れるようになった責任は、名古屋を悪罵する芸で名を高めたタモリにあることは間違いないが、そのことでタモリを責める名古屋人は少ないだろう。なぜなら名古屋人は、名古屋を有名にしてくれたタモリに内心感謝しこそすれ、貶めたと非難することはないからだ。

 その証拠に名古屋人は、今では「エビフリャー」を食べることを誇りに思い、機会有るごとに実践して見せている。他所から来た人たちの前で、堂々と「味噌かつ」や「味噌煮込み」を食べるようになった。珈琲にピーナッツかアラレが付くのは基本中の基本。それを不思議がる遠来の客に、いちいち説明しなくても良くなったし、相手も説明を求めなくなった。

 わざわざタモリに指摘されなくても、はじめから堂々と主張し続けていれば良かったのにという意見もあろう。だが濁音の多い言葉が与えるイメージとは違って、名古屋人は実に奥ゆかしく内気な性格なのだ。堂々と自分の意見を主張することになれておらず、むしろ自説を反語の形で示してみせて、内心を察してもらおうと徒労を繰り返す。

 例を知りたいのなら、プロ野球シーズンたけなわの時にタクシーに乗ればいい。客が気を利かせて「中日はどうですか」とドライバーに言うと、「中日はあかん」と突っ慳貪な答えが返ってくる。そうかドライバーは中日嫌いなのかと思って「そうですね、いけませんね」と言おうものならジ・エンド。客は「おりてちょ」と言われて交通機関未発達、車がなければどこへもいけない郊外の路上に放り出され、標準語を話す胡乱なやつと思われながら、名古屋の街をさまようことになる。

 とまあ、事実半分、脚色半分のことを書き連ねたが、こうして妙に名古屋人の身上を弁護し、名古屋人の特徴を解ってもらおうとしているのも、実は「名古屋のイメージ」を、自分が理想とする形で、あるいは相手が名古屋人に求めている理想の形で、現そうとしているだけのことのなのだ。堂々と「エビフリャー」を食べるのは、相手が名古屋人に抱くイメージを具現化させて見せてやり、かつ自分も「名古屋人なんだ」という幻想に酔いしれるため。タモリによって発見された色眼鏡の名古屋を、この機を逃すまいと懸命に演じきってみせようとしているに過ぎない。

 名古屋と比べるのもはばかられるほどに、京都ほど色々な色の色眼鏡でのぞかれている街はないだろう。「千年の都」で「寺社仏閣」が山ほどあって「舞妓さん」は美人で「生八つ橋」は旨い。「京都タワー」は街のシンボル、「清水の舞台」は飛び降りる場所、「金閣寺」では坊主が丸焼けになり、「大徳寺」では一休が屏風の虎に縄をかけている。

 事実であろうとなかろうと、それが自分が京都という街から連想するイメージ。そしてそのイメージは、例えば歴史の教科書であったり観光ガイドブックであったり小説であったりテレビのアニメであったりと、様々なメディアから得たものだ。メディアの選びよう、組み合わせようによっては、まったく違った別の「京都のイメージ」が、別の人格に形成され、それが別のメディアを通じて他人に伝播する。繰り返される増幅、その度に新たに差し挟まれる色眼鏡。これでは永久に、よそ者が「真の京都」に近づくことなど出来るはずがない。

 だがよそ者は、さまざまなメディアから知識を吸収し、それぞれの色眼鏡で見た「イメージの京都」に固執して、それを「京都」に求めようとする。「京都に住んでいるんだから、お寺や神社に詳しいでしょう。着物くらいは着られるよね。あっ、あれが弁慶と牛若丸が闘った五条の橋だよね。本能寺って織田信長がコロされた所でしょ。御所って大っきいよね」。

 そんなイメージの押しつけを、「プライドの高い」(これも「イメージ」ではないという保証はない)京都の人々が喜んで受け入れるとは思えない。ましてや名古屋人のように、無理に「エビフリャー」を食べるがごとく、「イメージの京都」を演じてみせるはずがない、そう信じていた。菅浩江の新作「鬼女の都」(祥伝社、1800円)を読むまでは。

 「藤原花奈女」というペンネームで、京都を舞台にした小説を書いていた一人の人気同人誌作家が、手首を切った姿で発見されるエピソードから、この「鬼女の都」は幕を開ける。夏の京都で営まれた葬儀に、それぞれに違う同人誌を制作してほどほどの人気を得ている三人の少女、吉田優希、きしの櫻、益子山ちなつが参列した。とくに優希は、生粋の京女という「イメージ」を、小説でも、また自身の立ち居振る舞いでも具現化していた「藤原花奈女」に心酔しており、彼女が死んだのは自殺ではなく、彼女が相談していたという「ミヤコ」なる人物によって、いじめ殺されたのだと信じていた。

 実は死の直前に投函されたという、「藤原花奈女」が商業デビューするために書く小説のあらすじを、優希は受け取っていた。「ミヤコ」がそのあらすじに難癖をつけたといった話を、優希は直接電話で「藤原花奈女」から聞いており、たとえ自殺にしても、助力者だったはずの「ミヤコ」の裏切りが、「藤原花奈女」を自死に至らしめたのだと推察していた。

 葬儀が終わり、「藤原花奈女」を名乗っていた女性、藤原俊子にマンションの一室を仕事場として貸し、ほとんど同居していたといってもよい梶久美子が三人に話しかけてきた。優希は梶を含めた三人の前で、「藤原花奈女」が残したあらすじをもとに小説を書き、追悼本として同人誌にすると宣言する。ちなつや櫻は「ミヤコ」は架空の人物で、「藤原花奈女」の中にある考証に厳密な性格を擬人化したものだと考えていたが、梶久美子は「ミヤコ」が実在の人物であると断じた優希に同意し、「ミヤコ」から届いたという犯行声明とおぼしき手紙を差し出した。

 ますます反発を強める優希は、是が非でもあらずじを小説にしようと取材を始める。しかし二度、三度と脅迫状めいた手紙が舞い込み、優希に「ミヤコ」なる人物の探求をあきらめさせようとする。同人誌作家たちの間にうずまく賞賛と憧憬と嫉妬と憎悪を巧みに織りまぜながら、優希の探求は進んでいくが、どうしても見えないものがあった。なぜなら優は、常に「イメージ」で京都を見ていたからだった。

 「ぜひ何事も疑ってかかってください。特に女性は古都の浪漫なるものに過剰な期待をかけたがる傾向がある。京都に怨霊や鬼のたぐいが棲んでいるとしたら、それはあなたが見たいと思う夢を見せる魔物だとういことをお忘れなく」−京都に生まれ育った三味線弾きの青年、新庄杳臣(はるおみ)はそう優希に忠告する。「イメージの京都」が例えよそ者の押しつけであっても、それを破壊することをよしとしない思いやりがあって、一方では「真の京都」を頑なに守りたいとする相反する心理。その狭間で苦しむ人々の姿を新庄杳臣がつまびらかにし、イメージと真実に翻弄された哀しい事件に幕を引く。

 直截な物言いを嫌ってすべてを婉曲な言い回しのなかに込め、故に心の底が見えないと訝られる京都の人たちの「解って欲しい」という心理。だがそんな心理すら、メディアは「イメージ」として増幅し、変調してしまう。婉曲な物言いこそが京都の神髄という「イメージ」に縛られていたことが、一人の不幸な女性を生み出したことに代わりはない。生粋の京女である作者の菅浩江は、果たして婉曲な言い回しを京都に美徳として訴えたかったのだろうか。それとも不幸を招く災いの種として指摘したかったのだろうか。

 なにしろ菅原道真公より続く家柄に育った、生粋どころか純粋それ以上に京女の菅浩江だ。一見ストレートに見える言い回しや、哀しみを乗り越えて先に進んでいこうとする前向きで幸福な結末に、果たしてどんな真の意味が含まれているかなど、とても単純で不粋な名古屋人には推し量れない。おっと、これもやはり「イメージの京都」に縛られた物言いか。

 今年最大級の傑作。伝奇と推理で様式こそ違え、小野不由美の「東京(とうけい)異聞」(新潮社)と対をなす、都会の裏側に息づく「魔」との対峙を描いた作品といえるだろう。奇しくもともに京に縁を持つ女性。彼女たちの素晴らしい仕事に、京都在住の作家諸氏よ、内輪での誉めあい貶しあいなどしている場合でないことに、今再び気づかれるがよい。


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