風姫 天を継ぐ者

 人を呪わば穴ふたつ、といわれるくらいに呪いの取り扱いにはとてつもない注意が必要で、ちょっとした超能力といった感じで、登場人物たちに安易に使わせて良いものではない。なるほど、術者どうしが呪言のようなものを唱えながら、呪術を駆使し式神を飛ばし合ってバトルするシーンを想像すると、ありきたりな超能力バトルとは違ったエスニックでプリミティブな印象が浮かんで、そこはかとない魅力を覚える。他の誰よりも格好良いもの、新しいものを求めたがるクリエーターが、こぞって和風の呪術もの、退魔師ものに手を染めたがるのもなんとなく分かる。

 けれどもやっぱり、呪いを人間の能力プラスアルファのようなものとして捉え使わせるのはまずい。恨みや妬み、怒りや憤りといった負の感情を煮詰め、増幅させて放つのが呪いだとするならば、それは決して格好の良いものではない。人間が生まれながらに持っている能力を削り、絞って放つ命の結晶のようなものであって、プラスアルファの力では多分ない。渦巻く負の感情のさなか、命をやりとりするようなシチュエーションが、呪いの類を持ち出す話には必要のような気がするし、それらがあってはじめて、呪いの暗い世界へと流されそうな人たちへの諌めにもなる。

 その意味で、七尾あきらの「風姫 天を継ぐ者」(ファミ通文庫、640円)は、筋の通った退魔士もの・呪術ものといえるだろう。足柄山の金太郎よろしく山の奥深くに住んで、妖怪変化を相手に遊んだり、修行したりして成長した少女・鳳ちはやは、16歳になって念願だった町の高校に通うことが認められ、山を降りることになった。そして、条件として祖父から厳命されたとおりに、町のはずれにある古い社の「桜の宮」に詣でたところ、ちはやの先祖を激しく恨む九尾の狐が甦って攻撃を仕掛けてきた。

 そこで倒すか調伏するのが、「風守り」と呼ばれた退魔師の一族の本家として、誰よりも強い力を持ったちはやに予想されて当然の振る舞い。けれども、ちはやは圧倒的だった相手の力を認め刺し違える覚悟を見せつつ、相手が「風守り」を恨む理由によってはそこで殺されることすら厭わない態度すら示す。恨みを力で封じ手も、さらなる恨みを呼ぶだけで何の解決にもつながらない。そんなニュアンスがあって冒頭から「これは違うぞ」と感じさせられる。

 幸いというかちはやの態度に妖狐の気持ちも緩んだのか、圧倒的に不利な状況でも命を奪われることにはならず、いずれ心臓を喰わせる約束をさせられたものの、ちはやは無事、あこがれだった高校生活をスタートさせる。以降、考えらるのはそんなちはやと妖狐とが、反目し合いながらも協力しあって、次々と起こる難事件に挑むストーリー。けれどもここでも分かりやすい展開は選ばれない。とことんハードに、シリアスに筋を進めて恨み、呪いを抱く人間の哀しさに迫っていく。

 ちはやが通い始めた高校では、実はしばらく前から怪異が何件も発生していて、おまけに謎を解こうとした霊能力者たちが、相次いで死亡するという事件が起こっていた。ちはやが高校に通えるようになった背景にも、謎を解明しようとする校長や理事長の思惑があっと聞き、純粋に高校生活を楽しむ気でいたちはやは、釈然としない気持ちを抱きながらもそこは仕事と割り切って、退魔へと乗り出す。

 もっとも相手もさる者で、なかなか尻尾をつかませず、それどころかちはやを著しく追いつめていく。親友になれそうだと感じた相手を喪い、信じていた人間に裏切られた果てに、事件の真相が浮かび上がって来るストーリー。愛を求めて得られず転じて憎しみを育みながらも、奥底では愛を求めていた人間の未来が開けた途端に訪れる悲劇が、読んで胸に激しくこたえる。憎しみを糧に生きて来た人間の、憎む気持ちを奪われた果ての絶望に、重たい気持ちにさせられる。慈愛と赦免の展開へと向かいながらも、決して八方丸くはおさまらないエンディングに、呪う気持ちが招いた自業自得ともいえる運命とはいえ、苦い味が口中にひろがる。

 シリーズとして続くとしたら、人としてのリミット超えも間近なちはやと、ちはやに複雑な感情を抱く狐との丁々発止のやりとりのなか、人間の抱く欲望の数々を題材にしたエピソードが描かれ、考えさせる方向で進んでいくのかもしれない。もっともこれだと、説教のバリエーション化が進むだけで、最初の真摯さが薄れてしまわないとも限らず、あまり気が乗らない。狐と天狗の化かし合いの合間に人間の浅ましさを描く連作はそれとして、悲劇的な終焉を示唆する大きなテーマを浮かび上がらせ、そのテーマに向かって時には一致団結し、時には反目して気づけ合いながらも進んでいく、キャラクターたちの葛藤と成長の様を見せて欲しい気がする。


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