からくりの闘姫

 目ざめるとそこには見知らぬ美少女がいて、なぜか素っ裸で迫ってきて、寝ている胴体に馬乗りになって、ギュッと握りしめた手で今にも殴りかかろうとしてきたら、あなただったら何を思うだろう。幸せさに何も考えられない? 同感。もしかしたら興奮のあまりに気絶するかもしれない。当然にして布団は血まみれだ。

 もしも目の前でそんな光景が繰り広げられたら、馬乗りにされている野郎を絶対に許すものかと殺意を抱くだろうこともほぼ確実。だから九品田直樹の「からくりの闘姫」(集英社スーパーダッシュ文庫、552円)の冒頭で、かくも羨ましい目にあったのみならず、美少女から頼りにされ、挙げ句に同居までしてしまう播磨神護という主人公の少年には、読者からファンレターならぬ呪詛の手紙が、4トントラックいっぱいに届いたって同情はしない。

 けれども一方では、たとえ羨ましさからくる妬み妬みの気持ちが心にあふれていても、それ以上の賛辞を播磨神護という主人公の少年には贈りたい。なぜなら彼は闘ったからだ。そして世の中を純粋な気持ちと強い意志で混乱から救ったからだ。

 さかのぼって徳川家康が天下を統一した戦国末期。北の山の奥に伝わる呪法によって生を授かり、家康の天下統一に寄与した人形たちがあった。もっとも善と悪とは紙一重。人形の力を悪しきことに使われる可能性を考えて、家康は呪法を封じて一部の者たちだけに伝わるようにした。時は流れ江戸幕府は滅びても、人形の呪法の存在はひっそりと受け継がれていった。

 そして現代。旅行中の傍若無人な若者によって、呪法が封じられた神社から、ダキニと呼ばれる一種の魔女の人形が盗み出され、社会に解き放たれてしまう。むしろ封印から脱したかったダキニが若者を誘ったというべきか。長い眠りから目ざめたダキニは、秋葉原のフィギュアショップにダキニの人形を売り払おうとした若者を操り、生気を吸い取いながら自由を謳歌しようとする。

 神社からダキニを追って“ひな”という人形が来たものの、そこは世界でも1番を争うくらいに欲望と熱情の“邪気”が渦巻く秋葉原。活力を取り戻したダキニに対して“ひな”には秋葉原のエネルギーが毒気となって働いてしまい、ダキニを倒せず逆に腹を貫かれて破壊され、路地へとうち捨てられる。

 そこに通りかかったのが、人形町で人形職人を営んでいる一家に育った播磨神護。路地裏に転がっていた等身大の関節人形に、驚きながらも捨てておけず家に持ち帰って、腹の穴をふさぎ、手足を綺麗になおしてから、椅子に座らせ毛布をかけて寝入った翌朝。起こったのが当人にとっては幸運であり、他人にとっては怒りと羨望のシチュエーション。バストを揺らし、大事なところもさらけ出したままでまたがって来た美少女に、神護は驚き慌てながらも理由を聞く。

 神護の姉の乱入もあって、どうにか落ち着いた空気の中で、少女は自分が人形の“ひな”であり、当人にも分からない理由から、人間の体と心を持ってしまったようだと話す。信じられない。けれども信じるより他になく、神護は“ひな”を神護が連れ込んだ女の子だと思い込む姉や、父母の目をごまかしながら“ひな”の体力を回復させ、逃げたダキニの追跡に協力する。

 ただし、人形職人として長い経験を持つ祖父の目には、“ひな”が普通の人間ではないと映った。家康の代からの言い伝えで、心を持った人形はいずれ悪さをするようになると聞かされていたこともあって、他の人形職人たちと連れだって、神護の祖父は“ひな”を破壊しようとする。納得のいかない神護は、祖父に逆らい“ひな”の実直さを訴え、今も潜伏しては人に害を成そうとしているダキニの存在をほのめかし、“ひな”の延命に成功する。そして2人は、ダキニを倒す使命を果たすべく、秋葉原へと乗り込んでいく。

 現代のからくり人形とも言えるフィギュアに溢れた秋葉原が、“ひな”にとっては決して心地よい場所ではなく、昔気質の職人が大勢いる人形町を好むという設定は、秋葉原のフィギュアたちを昔からある人形の下に見て、否定しているような気がして悩ましい。たとえ昔ながらの職人芸ではなくても、原型師たちの頑張りや、ドール職人たちの熱情がこもった秋葉原のフィギュアやドールにも、立派に職人の魂が息づいている。

 ただ、古典的な人形の抑制された美学よりも、欲情を尊ぶ本能が大きな要素を占めているのが、秋葉原のフィギュアやドールたちだと言えなくもない。さらにはそうした情欲に付け入って、大金をせしめようとする転売屋たちの跳梁が、秋葉原に“毒気”を生んでいるのだとも考えられる。人形としては共に等しく純粋でも、見る側使う側の意志が人形を善にも悪にもしてしまう。家康が恐れたのもそこだった。

 とりあえず落着した本編に続きがあるとしたら、新たに神社よりはぐれて彷徨い、人間界に悪さをしようとたくらむ人形の登場か、それとも秋葉原という場所に山と置かれたフィギュアたちが、情欲のエネルギーを浴びて魂を得て暗躍を始め、天宮ひなの名をもらった“ひな”とのバトルを繰り広げることになるのだろうか。秋葉原とはまた違った“妖気”を漂わせる東池袋あたりを舞台に、美少女ではなく美少年の人形を相手に闘う様が描かれるのだろうか。期して待とう。

 イラストは「ココロ図書館」の高木信孝。それ故に描かれた“ひな”は手足が丸っこくって弾力を持っていそうで、絵なのについつい触れたくなって来る。きっとぷにぷにとした感じがするのだろう。柔らかさと暖かさに溢れているのだろう。そんな“ひな”に素っ裸で跨られ迫られた播磨神護。やっぱり絶対に許せない。


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