カミウタ
神歌

 検察官が証拠をねつ造し、無実の人を有罪に陥れようと画策した、といった話が明るみに出て、地に墜ちつつある検察の権威、そして検察への信頼。それが、一人の検察官の功名心から出たものなのか、組織の体面から出たものなのかは調査を経て、結果が公表されて歴史に刻まるまで、判断を待つ必要があるが、検察という組織が、個人の功名心を煽るくらいに、内部で激しい派閥争いを繰り返してきたことだけは、すでに歴史の上に事実として刻まれている。

 市民の目線から、現代の矛盾をえぐり出したルポルタージュを多数著した本田靖春が、「不当逮捕」というノンフィクションに書いた、立松和博という記者が陥れられたある事件の中で検察は、情報を記者に漏洩している検事を調べ上げ、陥れようとしてニセの情報を立松記者に流した。

 結果として立松記者は間違った記事を書き、誤報を咎められて新聞社を追われる羽目となり、失意の中で若くしてこの世を去った。社会部が看板を張っていた新聞社は、政治部が幅を利かせるようになってそして、世界最大部数を誇りつつも、社会の木鐸としての存在を、希薄化させていく。

 山下卓の「神歌」(徳間書店、1900円)という小説で、主人公の野際昭輔という男の父親、野際洋介が遭遇する事件のモデルになっているのが、その立松和博記者の一件だ。権力に挑むエース記者として活躍しながら、間違った情報をリークされて誤報を行ってしまい、それが原因で新聞社を辞職に追い込まれた洋介は、ほどなくして昭輔を残し、自殺してしまう。メディアの追求も激しく、近親者までもが巻き込まれ、非難される日々に絶望した昭輔は、日本を飛び出し、外人部隊に入って傭兵として活躍する。

 やがて昭輔は、保険会社という名目で、戦闘員を派遣している民間軍需請負会社で傭兵となり、そのまま最前線に立ち続けるが、42歳という年齢になり、仕事の中で怪我をしたこともあって、上司からもう現場は引退してオフィスに入り、指導する側に回ったらどうかと提案される。とはいえ、長く暮らした最前線を、そう簡単には去れない昭輔は、考え直す時間をもらい、故郷の日本へといったん帰ろうと飛行機に乗る。

 その飛行機の中で、一人のコロンビア人の少女と出会ったことで、昭輔の運命が大きく転がり始める。少女は、名目ではコロンビアの内戦で負傷した少女達を集め、ダンサーとして踊らせ、世間の関心を誘い戦争の悲惨さ、コロンビアの窮状を訴えようとする集団の一人。もっとも、そこは麻薬が政治の中枢にまではびこっているお国柄。少女達の様子からも、ダンサーという額面どおりには受け止められないと直感した昭輔は、自分の連絡先を教え、空港で少女と別れる。

 そのまま戻った実家で昭輔は、かつて同じ高校でラグビー部のマネジャーをしていた女性で、新聞記者の野際洋介を尊敬してそのままジャーナリストになった三枝響子が、数日前にコカイン中毒で死んでいたと、やはりラグビー部の仲間で、今は警察の公安にいる男から聞かされ驚く。

 さらに、三枝響子が、日本にやってきたコロンビア人の少女ダンサーとも関わりをもっていたことが判明。点だった人間たちが線上に並んでつながり始め、そして面へと広がって、日本のみならず世界を巻き込んだ陰謀の陰を浮かび上がらせる。

 やがて昭輔は、日本で事件にまきこまれたことがきっかけに、警察に保護されたものの、そこから組織の正体が露見しそうになったため、組織から排除され存在すら消されかかったコロンビア人の少女を助け、一緒に暮らし始める。その一方で、かつて戦場で一緒に戦った男が愛した女性を、これからは自分が愛そうと決意したのもつかの間、目の前で幸福を奪われた昭輔は、怒りを爆発させて敵へと向かう。

 そんな激しい戦いの物語があり、日本を背後から操っている結社の存在があり、結社と深い関わりを持ち、最高の頭脳と最強の技術で傭兵仲間からも一目置かれていた男と再会があり、昭輔が愛した女性の娘で、普段は事業と営みながらも、時には昭輔以上の冷徹さを見せる女性の登場もあったりと、展開にもキャラクターにも起伏があって、次から次へと起こり次から次へと現れるそれらに、ぐいぐいと引きつけられる。

 傭兵としては冷徹に成りきれず、不必要に人助けをして仲間を危険にさらし、自らも傷つくこともあった昭輔とは反対に、おだやかそうな笑顔を無理矢理に作りだし、その笑顔の裏側でいっさいの感情を持たず、黙々と傭兵の仕事を果たし、果ては世界を操ろうと企む男との決戦。その結果がどうなったのかは、エピローグから想像するしかなが、ひとまず昭輔の周辺は安定し、そして新たな戦いへの予兆を持たせて物語はひとまず幕を閉じる。

 世界はどうなり、昭輔たちはどうなっていくのか。あるいはすべてを知っている昭輔たちは、逝ってしまった者たちの遺志も背負いつつ、どう生きていくべきなのか。考えてみたくなる。

 冤罪を作り出そうとした検察の企みを、何の検証もせずに垂れ流して冤罪の発生を後押しし、そうして作り出された非実在の罪人を集団で叩いて押しつぶそうとするメディアの無定見さにも言及。そんな中で唯一の助けになったのが三流ゴシップ誌の編集者だったというのが皮肉がきいている。その彼にも秘密があったといった仕掛けの多彩さ。最後まで気を抜けない。

 それにしても昭輔の、42歳にしてこのモテぶりはいったい何なのか。かつての戦友の愛人に好かれ、その娘にも好かれ、12歳のコロンビア人の少女にも好かれ、かつて恋人だった女性の娘にも関心を持たれる。年齢も属性も多種多様のハーレム状態。羨ましいとしか言いようがない。

 同じ傭兵では、賀東招二の「フルメタル・パニック」に登場する相良宗介も、千鳥かなめに好かれテスタロッサに好かれ、マオには恋愛こそされなかったものの好まれ関心を抱かれてと、やはり女性に縁が多い。傭兵がそれほどまでにモテる稼業なら、やってみたいと感じ進む非モテも多そうだが、そこには腕立て伏せ100回は序の口の、体力の門が待っている。厳しい門。越えるためには鍛えるか、それが無理なら諦めるしかなさそうだ。


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