神は沈黙せず

 山本弘、と聞けば今なら大半の人が、「トンデモ本」に鋭く突っ込み、トンデモな言説を垂れ流す人々に鉄槌を振るう義侠の人、といったイメージを思い浮かべるだろう。少し前ならヤングアダルト系の文庫で、SFだったりファンタジーだったりする小説を書いては熱心なファンを獲得した気鋭の作家、といったイメージがあっただろう。

 さらにその前になると、「ハヤカワSFコンテスト」に応募しては高い比率で最終選考近くに残っていた才気の人、というイメージが浮かぶかもしれない。いずれ遠からずその才能を爆発させ、プロのSF作家として華々しくデビューを遂げては、面白い作品を読ませてくれるだろう日に想像を馳せていた人も少なくない。

 に関わらず、SF作家としてその名がとどろく機会はなかなか訪れず、やがて活躍の場をゲーム小説からヤングアダルト系の文庫で作家として著名になり、さらに「と学会」でトンデモと呼ばれる言説に、辛口だったりシニカルだったり激烈だったりする口調で批判を加え、論破し揶揄する活動をして評判を取るようになった。

 ならば山本弘は「SF」を諦めたのか? トンデモ本の権威としてさらなる名声を得る方へと身を振り向けたのか。そうではなかった。SFの、それもヤングアダルト文庫ではない一般向けの小説の分野で、山本弘の未だ秘められたままの才気が遂に炸裂した。

 タイトルを「神は沈黙せず」(角川書店、1900円)という、その小説の威力は凄まじいばかりに強力で、しばらく主戦場として来たトンデモ本の界隈も、そして長く登場を期待されていたSFの界隈も、衝撃と感激、驚嘆と呆然の渦に巻き込まれることは想像に難くない。

 何しろテーマは「神」だ。それも「神」の実在を科学によって証明してしまう内容なのだ。人類の存在する意義へと踏み込んでは、これを蹴散らしてしまう物語なのだ。本当なのか。本当だとしたらこれほど恐ろしく、そして辛いことはない。

 物語は、土砂崩れで両親を失い兄と2人だけ生き残った女性・優歌を主人公に繰り広げられる。生き残ったことはなるほど神の奇跡かもしれないが、一方には両親を失った不幸が厳然としてあって、優歌に神の存在に対する懐疑の念を抱かせる。そんな生い立ちから彼女は、ルポライターとして神の到来を信じる教団に潜入して実体を暴くルポを描いて評判をとる。

 やがて知り合った加古沢黎という作家と親しくなり、恋仲にまでなった優歌だったが、土砂崩れを共に生き残った兄が思索の果てにたどりついた、神の存在を科学的に裏付けてしまう理論を加古沢に剽窃され、自分のアイディアとして発表されてしまったことから、敵対関係ともいえる間柄へとなってしまう。

 優歌の兄は人工生命を進化させるゲームの開発をなげうって失踪し、加古沢は神の存在を予言した天才として讃えられ、苦境にあえぐ日本を導く新世代のカリスマとして祭り上げられる。ひとり優歌は学生時代からの友人の、時に突き放すようで真実に迫る助言を得つつ、破綻する経済のなかを次第に右傾化していく社会を静かに生きていた。

 物語が進んでいく過程では、宇宙人や幽霊や宗教や進化や、その他もろもろの超常的な現象に関して議論され、発表されてきた「トンデモ」的な言説が差し挟まれては、展開を補足しそうした言説が人間たちにとってどんな意味を持っていたのかを気付かせる。山本弘が「と学会」会長として営々と手がけてきた、「トンデモ本」批判を繰り込み披露した集大成的な物語といえなくもない。

 ただこの本がそれまでの「トンデモ本」批判本と違うのは、あらゆる「トンデモ」的な言説を批判していた山本弘が、それでも論破し得ない学説を目にして、「トンデモ」な説を認めてしまう方向へと転向してしまったかのような印象をあたえる点だったりする。「神」の存在を証明する理論には、ともすればトンデモと言われ非難されかねない危うさがつきまとう。

 けれどもそれは大きな問題ではない。山本弘が問題にするのは、トンデモだからという、それだけのことではない。トンデモな言説を操って世を乱し我を通す人々を糾弾し、トンデモな説を盲目的に信じて安寧に逃げる人々を山本弘は糾弾したいのであって、現実に起こってなおかつ解明できないトンデモな現象について、人智を超える何かを意識する姿勢は捨てていない。

 「神は沈黙せず」で山本弘は、繰り出されるトンデモ過ぎる展開を真っ向から受け止め、子細な解釈を加えた上で鮮やかなクライマックスへと持って行く。そして人類の強さを高らかに歌い上げる。神が実在しようとしていなかろうと関係ない。すべては現世に生きている人に帰結する問題であり、神にすがらず仏に頼らず悪魔に阿らず、人として人らしく生きることこそが、人にとって1番なんだと訴える。

 テーマはあまりにも重厚。展開はとてつもなく能弁。そして結末は圧倒的にヒューマニズム。たっぷりの蘊蓄は京極夏彦の一連のシリーズとはまた違った読み応えがあり、繰り広げられる物語は、状況がどんどんとエスカレートしていく展開で読む人にページを繰る手をやめさせない。かくも思弁的でかくも娯楽的なSFが過去にどれだけあったのかを考えた時、山本弘の名前はこの1作で遅ればせながらも日本SF史のメインストリームとして、記録され語り継がれることになるだろう。

 2003年10月31日。「神は沈黙せず」。この日神は蘇り、人は新たな1歩を歩み始める。すべての人は刮目せよ。手に取りページを繰って神の存在を身に感じよ。そして過去に栄光を得てきたすべての神に告げる。首を洗って待っていろ。


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