かくかくしかじか

 美大に行ったことはないけれど、美大なら行けるんじゃないかというな気がしていたりした頃もあったりして、イラストとか漫画がとかをマネして描けば、それなりな形になって雰囲気も出ていて、絵なんて簡単簡単と思っていたし、今だってもしかしたらスケッチブックを買ってきて、鉛筆でも走らせれば風景だってサラサラと、写真のごとくに描けてしまうんじゃないかなんて思わないこともない。ちょっぴりだけど。

 でも、そんな浮かれた気分を木っ端微塵に吹き飛ばしてくれるのが、東村アキコという漫画家が描いた「かくかくしかじか」(集英社)という漫画。あのアニメにもなって映画にもなった「海月姫」や、ドラマになった「主に泣いてます」を描いた超売れっ子だけれど、高校生のころに通っていて、美大を出てからもしばらく講師をしていたらしい宮崎にある絵画教室で、とてつもなく厳しい先生から、どれだけの厳しい指導を受け、どれだけの苦行難行を重ねて美大に受かるくらいの技術を身につけたかが、「かくかくしかじか」の中で漫画によってつづられている。

 日高健三という名のその先生の指導は、もうとてつもないスパルタぶりで、そばで竹刀を振り回され、先端でつつかれる肉体的指導もあれば、自信満々に描いたデッサンを面前でダメ出しされて罵倒され、そして1日に何時間も10何時間もデッサンを続けされられる心理的、技巧的指導もある。そうやってしてまで巧く描けるようになっても、なかなか世界のみんなを、というより自分自身を納得させるものを描くまでには至らないとい。そんな、絵描きの人たちの厳しい現実を見せつけられて、なんか適当に描けるからといって、安易に絵描きなんて目指すべきじゃないと思わされるかというと、それは違う。

 逆に、日高先生の絵画教室に通って指導を受けながら、描くことの楽しさを感じてみたいとさえ思えてくる。ただ巧くなりたいという目的のためだけなら、こんなに厳しい絵画教室に行く必要もなかったし、それが良い思い出になることもなかっただろう。東村アキコが今になって漫画に描くこともなかった。けれども描いた。振り返って辛かった気分や、憎かった思いも消さずにペンに乗せて漫画に描いていった。その絵画教室には、ただ技術を厳しく仕込むだけに止まらない、何かがあったのだろう。だから通り過ぎたまま、振り返らずに終えることが出来なかったのだろう。

 どうやって描くのか。どうしたら描けるのか。そうした指導ももちろんありがたい。それに加えて、何のために描くのか。誰のために描くのかといった心から生まれる疑いや問いかけを、後になってしっかりと思い出させてくれるだけの指導を、日高先生がしてくれたからこそ、今にこうやって振り返り、良い思い出として「かくかくしかじか」という漫画につづっていけるのだ。

 それはとても羨ましいことだ。それはとても素晴らしいことだ。だったら今、同じような思いを味わいに、その海のそばあって、木々に囲まれた絵画教室に通いたくても、それは出来ない。日高先生のモデルとなった日岡兼三という画家はもういない。だから。  漫画としての「かくかくしかじか」を読んで、そこに描かれた東村アキコの体験を通して、その熱くて激しい指導を受けよう。そこに浮かべられる東村アキコが抱いた感情をたどって、絵を描くことに限らず、漫画家を目指すことに止まらず、自分が何をしたいのかということ、何ができるのかということ、そして何かを成し遂げるまで頑張り続けるということの大切さを、自問して自答してみよう。

 そうすることで、海のそば、木々に囲まれた絵画教室は蘇る。指導を受けた人たちの中に思い出として生きていたものが、東村アキコの漫画によって新しい命を吹き込まれ、漫画として読みつがれることによって、今もそこにあるかのように輝いて、大勢の人たちを導くのだ。個人にとっては思い出の振り返りだったかもしれない「かくかくしかじか」だけれど、大勢ににとってそれは熱い指導の再臨なのだ。

 受け止めて僕たちはさあ、何をしよう。とりあえず鉛筆を取って、スケッチブックに向かってみようか。


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