ひみつの階段1

 旧い校舎が見る夢は、時にトイレの花子さんだったり、歩く人体模型だったりすることもありますが、紺野キタさんのファンタジーコミック、「ひみつの階段」(偕成社、880円)に登場する校舎の場合は、暖かい光と緑色のそよ風に包まれた、少女たちの記憶の断片だったみたいです。

 寮内を夜、点呼回りに歩いていたボーイッシュな少女の三島さんは、窓越しに学校の渡り廊下を通り過ぎていく、知り合いの少女の姿を見かけました。けれどもその少女たちは、自分たちは部屋にいたと言い張ります。証人もいます。おかしいと思っても、現実主義者の三島さんは、見間違いだと自分で納得してしまいます。

 そんな三島さんと寮で同室なのが、竹井さんという少女です。なんでも竹井さんは、祖父が亡くなったとかで、実家に帰っている最中なのですが、三島さんが部屋に戻ると、そこには竹井さんが座って、ひとり雑誌を読んでいました。何かを忘れているような気がすると、やっぱり不思議に思った三島さんですが、それもすぐに忘れてしまって、竹井さんといっしょにコーヒーを飲むことにします。

 三島さんとは同級生で、竹井さんとは中等部時代からの腐れ縁でもある花田さんが、竹井さんに貸していたノートのことを、居残っている三島さんに聞きに部屋まで行きます。けれどもそこには、実家に帰っているはずの竹井さんがいて、ノートを返してくれました。花田さんもやっぱり何か忘れていると思うのですが、何を忘れているのか思い出せずにいます。

 そんなこんなで明くる日の夜、花田さんの部屋でお茶会が開かれて、そこに三島さんと竹井さんも登場します。いっしょになって夜ふけまで大騒ぎし、それから恒例の夜のツアーへと出発します。渡り廊下に現れる少女たちの正体。それが昼間の自分たちの姿だったことに気が付いた時、彼女たちは校舎が夢を見ていることに気が付きました。

 「ひみつの階段」シリーズの、「春の珍客」というこの短編からは、次々と入って来てはやがて巣立っていく少女たちの、「宴(うたげ)」の時間をを記憶しておこうとする、校舎の優しさのようなものが伝わってきます。タイトルにある「春の珍客」の正体は、昼間の少女たちの姿を、ただ再現しただけのものではなかったようですが、あるいは人生の通過点としか学生時代をとらえていない少女たちに、「ティル・ナ・ノーグ(永遠の青春の国)」にいることの素晴らしさを解らせてあげようと、校舎が見せた夢だったのかもしれません。高等部だけだったらたったの3年間、中等部時代を入れても6年にしかならないけれども、いる間だけは、学校は少女たちにとっての「ティル・ナ・ノーグ」なのです。

 タイトルにもなった「ひみつの階段」にも、校舎が見せる別の夢、別の「ティル・ナ・ノーグ」が出現します。そよ風の吹く窓辺で寝入ってしまった風間さんは、眼をさまして回したノブの向こう側に、ソファーに座った幾人もの少女たちが、お茶を飲んでいる姿を見かけます。間違えたと思ってドアをしめ、もう1度ドアをあけるとそこは寮の1室。寝ぼけ春ぼけと納得して、ドアをしめて振り返ると、さっきの少女たちが窓越しの明るい日差しをいっぱいに浴びて、楽しそうにお茶会をしていたのでした。

 誰が誰なのか知らない少女たち。なのにそのことを、誰も詮索しませんし、まったく不思議にも思いません。さみしがってる少女たちのために、それぞれの「ティル・ナ・ノーグ」が重なり合う1瞬を、優しい校舎が作り出してくれたのでしょう。

 「印度の花嫁」には、中等部に転校して来たばかりで、1人の友達もいなかった花田さんが、さびしい気持ちを校舎の夢によって救われる場面が描かれていますし、「日曜日」には、少女たちをからかって楽しくさせる、校舎のちょっとしたいたずら心が描かれています。ぎちぎちとただ知識だけを詰め込まれていく生徒たちを、冷たいリノリウムの壁と床で取り囲んでいるだけの、世間一般でいう校舎とは、あまりにも違いが大きすぎます。それならば花子さんでもいい、歩く人体模型でもいいから、もう少し校舎が、中にいる人たちい関心を持ってくれたらと、そんな思いが湧いてきます。

 作者の紺野キタさんは、同人誌が中心の漫画家さんのようですが、どうして絵はしっかりとして美しく、キャラクターは実に表情豊かです。またストーリーも、微妙な年頃にある少女たちの姿や感情を、実に生き生きと描き出しています。決して多作ではないようですが、「1」とある以上は確実に「2」は発売される訳ですから、もう少し、紺野さんが描くところの「校舎の見る夢」の断片を、楽しむことが出来そうです。


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