海馬亭

 だれかを失う寂しさを重ねて人は、一生を過ごして終えそして、おのれを失う寂しさを人に重ねさせる。時に早く最愛の人を失って、長く悲しさを味わい、時に長く連れ添った人を失って、激しく強い悲しみを覚える。決して避けられないことだとしても、失うことはやはり辛く、失わせることも同じように辛い。

 だからといって人の一生は、悲しくて辛い感情ばかりに、塗り固められてはいない。出会い、語らい、心を通わせ、愛し合う喜びが、人の一生には存分に溢れかえっている。いずれ失い、失わせることになる恐怖と、裏腹なものではあるけれど、それでも一生を通じて得られる感情の収支を、幸福の方へと傾けてくれるくらい、出会うことの喜びは強くて大きい。

 生を恐れるなな。出会いから逃げるな。とある港街にある元ホテルで、今はアパートとして使われている海馬亭を舞台にして、さまざまな人たちが出会い、語らって心を通わせ合う村山早紀のシリーズ2巻目となる「海馬亭通信2」(ポプラ社、580円)からは、一生を悲しみに暮れて終わらないために必要な、勇気のようなものをもらえるだろう。

 山の神様の母親と結ばれながら、家を出て戻ってこない父親を探しに、風早の街へと出た由布が、海馬亭へとたどり着いてそこで千鶴という少女と出会い、親友になり、ほかにおおぜいの人たちと仲良くなった果てに、父親と念願の再開を果たして山へと戻っていった第1巻からだいたい半年。睦まじい母親と父親の姿を横目に、由布は街への思いが日に日に強まり、舞い戻ってきてしまう。

 そして始まった再びの海馬亭での日々は、ただ出会いの素晴らしさを描くだけでなく、いずれ別れる辛さも描いて、人の一生というものに対する居住まいを改めさせる。由布が戻ってきた日に屋根で出会った、謎めく金髪のアコーディオン弾きは、60年も昔に沈んだ豪華客船で、現在は盲目の老女となった女性が、まだ少女だった時に抱いた恋情を、今なお胸に秘めていることを知りながら、寄らず遠くから見守っている。

 願えば同じ時を寄り添って生き続けられるにも関わらず、それぞれの時に身を任せたままにするその理由。長い時間を生きて、おおぜいと出会い、別れて来たことで身に染みた切ない感情を、他の者にも抱かせるのは辛すぎる。そんな思いを味わうのは、自分だけで沢山だという、金髪のアコーディオン弾きならではの優しさが、2度とは交わらず、いずれ片方の途切れる時間線を選ばせた。

 プラネタリウムに少年の幽霊が現れるという話に、由布と千鶴が興味を持って出かけて行った先にいたのは、誰かを脅かすような顔はせず、普通の姿で席に座っていた少年だった。とはいえ、由布にはどこか人間と違うところが感じられ、やがて少年を養っている海馬亭のコックさんの口から、自分たちの素姓が語られて、作家志望のまま死んでしまった純子さんという幽霊や、リチャードさんという名だった金髪のアコーディオン弾きとはまた違った存在が、海馬亭には集っていたことを知る。

 具合の悪い少年を、いたわりながらも決定的な治療に踏み出せないコックさんの思いに潜んでいたのも、別れてしまうことへの恐さや辛さ。すでに、ひとつの決定的な離別を経験していたコックさんに、難しい決断だったけれど、もう会えないと分かっていても、出会ったことを覚えていてもらえるという喜びが優って、少年とコックさんに今をただ費やすのではなく、未来を掴み取りにいく勇気をもたらす。

 そして、第1巻の前編から続く「十七年後〜眠れる街のオルゴール」。今は大人になって、医師をしている千鶴のところに転がり込んできた景という名の少年が、ずいぶんと前に交通事故で死んでしまった、やはり景という名の少女の幽霊と出会うエピソードは、少女が死ぬ間際に千鶴先生へのプレゼントを選んでいた骨董店の店主や、少女が長く入院していたことを悔いて、自殺してしまったのかもと思い悩んでいた千鶴の心に宿っていたわだかまりを、景が間に入って少女の言葉を伝えることで融かし癒す。

 別れは悲しく、それが急すぎる別れなら、悲しみは更に深くなる。だからといって悲しんでいるだけで、去らざるを得なかった少女は浮かばれたのだろうか。思い残すことはあっても、千鶴先生と出会えた喜びや、骨董店で胸躍らせてプレゼントを探した楽しみは、少女の決して長くはなかった一生を、明るい気持ちで埋めていた。そんな出会いを与えられたことを誇りに思うことで、辛い別れを人は乗り越えていけるのだ。

 前後編と続くこの長めのエピソードには、故郷への手紙を残して姿を消した由布も、17年の時を経て海馬亭に姿を現す。前とまるで変わらない姿で由布は、永遠に近い時を生きて、千鶴もゲームクリエーターの玲子さんも人気タレントのリリーさんもいずれ失い、何度も何度も寂しさを味わう辛さに怯え、山へと逃げたと告白する。違う時を生きる存在が交わることは不幸なのか。金髪のアコーディオン弾きが感じ、コックさんが感じた心理が由布にも浮かぶ。

 それでも由布は戻ってきた。出会った喜び、語らう楽しみを得る方が、失う悲しみを避けられなくても、一生において意義がある。先に去っていく者たちも、失わせる悲しみを味わわせる一方で、覚えていてもらえる安らぎを得られる。生きる時が違っても、重なり合っていけないことなんてない。互いに生を慈しみ、たたえ合うことで皆が幸せになれるのだと知ろう。

 「コンビニたそがれ堂」とは別に綴られてきた、風早の街を舞台にした物語はこれでひとまず完結の模様。とはいえ、魅力にあふれた海馬亭という舞台、そして現れる神様に幽霊に吸血鬼に宇宙人までと、多彩な存在たちと人間とのふれあいから浮かぶ、たとえ違っていても同じように向き合えるのだという希望の物語は、このまま終えてしまうのは惜しい。あるいはいつか、時を隔てて未だ存在する海馬亭を舞台に、別の出会いの喜びを描き、別れの悲しみを描いて、それでも生きていて良かったと思える物語を、聞かせてもらいたい


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