女騎士さん、ジャスコ行こうよ

 ジャスコといったら誰が何と言おうと「ジャスコ八事店」のことであって、平針からだと地下鉄が八事から平針まで伸びた1978年以前は、荒池から栄方面に行く名古屋市営のバスか、平針小学校前から光が丘方面へと抜ける名古屋市営のバスに乗って八事で降りるなり、車で向かうしか行きようがなく、小学生がとても気軽に立ち寄れる場所ではなかった。

 だからこそ、行ったらそこはパラダイス、地下には寿がきやがあって美味しいラーメンやソフトクリームを食べられたし、1階には平針には存在しなかった本屋があって、バンダイから刊行された「スター・ウォーズ」のムックなどが売られていた。そして上の階にはファッショナブルな服が並んでいて、ビッグジョンとかボブソンとかいったブランド品には流石に手は出なかったものの、伸びる素材のジーパンなんかを買ってもらっては喜んでいた、そんな1970年代のジャスコの思い出。

 だから分かる、ポーリリファ・ルーカ・アデルベーン・ジャッセンことポー姫が言った「おお、ジャスコ−そこに行けばどんな夢でも叶うという、どこか遠くにあるユートピア……。偉大な海賊王が、この世のすべてを置いてきたという……」とジャスコのことを例えて讃えたその真意が。美味しい食べ物に満ちあふれた桃源郷にして、夢のような品物に目が眩む黄金郷。それがジャスコだ。あるいはジャスコなる言葉で言い表されるショッピングモールだ。

 ちょっと歩けばそこに百貨店があってスーパーがあって、コンビニまでもがあるような街に生まれて育ち暮らしている人には、絶対に分からないこの感覚。けれどでも、広くて長い日本にはそんな人ばかりが暮らしている訳ではない。だから分かる人は大勢いるだろう。そして大いに同意するだろう。伊藤ヒロの「女騎士さん、ジャスコ行こうよ」(MF文庫J、580円)に書かれたジャスコへの飽くなき憧憬に。その奥底にあるだろうジャスコという存在が持つ偉大さに。

 ジャスコが現在、すべてイオンになってしまっていて、八事のジャスコもイオンになっているご時世に、どうしてジャスコなんて言葉を引っ張り出したのかが分からないという人ならいるかもしれない。イオンへの憧憬は分かってもジャスコが対象ではあまり伝わらないかもしれない。もっとも、これが「女騎士さん、イオンに行こうよ」だったとすると、ジャスコという言葉から醸し出される、田舎にとっては先端的ではあっても全国レベルから見れば圧倒的ではさそうなニュアンスが飛んでしまう。

 なぜジャスコなのか。それは、イオンやららぽーとなどという超巨大なショッピングモールにはとうてい及ばないけれど、それでも田舎にあっては大都会に等しい煌めきを放ち、あらゆる品物がそろっているようにすら見える場末のトップランナー感が、かつてあったジャスコというブランド名なら醸し出せるから、なのかもしれない。

 たとえジャスコが今もあると思い選びつつ、使って良いのかと臆して編集に聞いてもらって、ジャスコはもうないですイオンに代わっていますと返事が来て、やっと分かったという経緯があったとしても、決して“イオン=ジャスコ”といった認識で使っていたのではないに違いない。ジャスコだからこそ喚起される記憶があって、そこから紡がれた物語なんだと理解すれば、そこにローカルでトップを狙おうとする哀愁と苦笑とが入り混じったストーリーが繰り広げられるのも、大いに納得できるだろう。

 そのストーリー。とあるファンタスティックな王国があって、オークに攻められ滅亡寸前になったところでポー姫が、クラウゼラという名の女性騎士を伴ってゲートをくぐってやって来た先が、岐阜県の東端にあって人口が873人とかいう平家町。そんな町あったっけ? なんて思ってはいけない。なぜならこれはライトノベルでフィクションだ。疑ったって仕方がない。そして平家町というその名前がひとつの伏線になっているから、分かった時にそうだと驚いてあげるのが適切な向き合い方だ。

 そんな平家町のたんぼ道に気絶した状態で倒れていたポー姫とクラウを拾ったのが、瀬田燐一郎という高校生の少年で、田舎だからそこら辺によくとめてあるというリアカーに2人を載せて、祖母と暮らす家へと連れ帰るとクラウゼがまず目を覚まし、陵辱されるのではないかと恐れつつ姫を守ろうとして暴れまわったりもする。なぜにいきなり陵辱なのか、そして口癖が「クッ、殺せ(=クッコロ)」なのかはポー姫とクラウゼのみぞ知る。その知識の拠り所から、姫と騎士がいた世界が地球の日本と割と密接な関係にあったことも伺える。

 そんなポー姫とクラウにそこが日本にある町だと理解してもらったところで、ポー姫は亡命政府を樹立すると宣言してもう大騒ぎに……なるかというと、そうはならないところが、SFファンでもファンタジー好きでもない燐太郎やその祖母が、異質な格好や言動を見せたポー姫とクラウに驚きも慌てもしなかった理由と繋がる。そして平穏な日常に取り込まれるようにしてポー姫は馴染んでいきつつ、ネットもテレビもプアな町での暮らしに飽きたところで、近隣の町にあるジャスコなる代名詞で表現されるところのショッピングモールへと連れて行かれることになる。そんなストーリー。だいたいのところは。

   面白いのは、現代文明のただ中に放り込まれたファンタジー世界の姫と騎士とが、文化のギャップに戸惑い暴れるところではなく、そうしたものを知り尽くした上で、自分たちの田舎過ぎる境遇を変えようと立ち上がってみたものの、いろいろと壁にぶつかっていくといった点。それは、現代の社会に問題として指摘されている田舎の過疎化であり高齢化であり、そして大型店舗の出店に伴う弊害といったものを指摘し告発する社会派的なニュアンスを含んだストーリーとも言える。言えるのだ。

 人は物質に満たされたら幸せなのだろうか? そんな問いかけがあって考えさせられるストーリーを根底を持ちながら、表面では謀略を巡らしてポー姫が新しいショッピングセンターを平家に持ってこようとして画策し、その巧妙すぎる策略に町は大揺れに揺れ、そして起こった戦闘でもポー姫の戦略が当たって相手を追いつめたりするという、戦闘シミュレーションのような楽しさも味わえる。町はそんな姫の企みを暴き退けられるのか? 姫と燐一郎たち平家町の町民たちとの板挟みにあって悩み、態度を決めかねているクラウはどんな決断を下すのか? 読んで驚こう、その展開に。

 そして平家町では、ポー姫すらも手のひらの上で転がすような謀略がうごめいているみたいで、これからどうなってしまうのかに読後の興味が向かう。クラウとポー姫がジャスコへ時々行くようになったその先で、またぞろジャスコ熱が高まって新たな謀略にポー姫が向かうのか、それとも反省をして撃退に回るのか、等々。想像するだけで楽しいけれど、本当に続きはあるのかどうかが、今は知りたい、心底から。


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