樹魔・伝説

 81年に発行されたSFマガジンの、たぶん年末あたりに発行された号だったろうか。そこに1冊のコミックスのレビューが載った。その年の星雲賞を受賞した作品として、水樹和佳という作家の、「樹魔・伝説」というコミックスが紹介されていて、レビューをたしか中島梓さんが書いていた。今手元に当時の雑誌がないので、確かめようがないのが残念だが、うろ覚えの記憶を探ると、とにかく小説ばかりのレビュー・コーナーに、コミックスが紹介されているのを意外に思い、是非読んで見たいと本屋を探したことを、なんとなく薄ぼんやりと覚えている。

 そのコミックスが入っていた「ぶーけコミックス」を買うのは初めてで、実は「ぶーけコミックス」という叢書があることも、また「ぶーけ」とうい雑誌があることも、その時は全然知らなかった。後に吉野朔実、内田善美という、今に至るまで惹かれ続けている二人の作家に出会ったのは、この時に「ぶーけコミックス」の存在を知り、面白い叢書だと思って古本屋を自転車で駆け回り、「緑の格子柄」のコミックを漁っていた途中だったから、水樹和佳とそして「樹魔・伝説」には、その意味からも感謝するところは大きい。

 ただし「樹魔・伝説」という作品自体から、大きな感銘を受けたかというと、実は後に刊行された水樹和佳のコミックスを買わなかったことからも解るように、それほどの衝撃は受けなかった。生意気なようで恐縮だが、手塚治虫や松本零士といった男性作家、そして萩尾望都や山岸涼子といった同じ女性作家の絵柄と比べて、水樹和佳の絵柄に惹きつけられる部分があまりなかった。また「銀の三角」「日出づる処の天子」という、今なおSF漫画の傑作として語り継がれる二作の連載が始まっていたなかで、200ページに満たない2つの短編が伝えている世界観そしてメッセージを、こちらが充分に受けとめられなかったこともある。

 ただ一点、鮮明に覚えていることがあって、それは「伝説」で提示された、人間の思念がもたらすマイナスのエネルギーの大きさが、人間を宇宙へ送り出すことを妨げているという考え方だった。惑星への有人探査船の可能性がささやかれながらも、人類は未だ月より遠くまで人を遣わしてはいない。財政的な理由もあるのだろうが、しかし決して不可能な事ではないだけに、何か事情があるのかと、勘ぐってみたくもなる。その度に思い出すのが、「伝説」のこの考え方だった。

 16年の時を経て、創美社コミックスとして刊行された「樹魔・伝説」(集英社、1000円)を手に取る機会に恵まれたことは、何を置いても喜ぶべきことだろう。出版社による文庫サイズへのブルドーザー的改版が進められている中にあって、旧版よりもサイズを大きくしての再刊は嬉しいことこの上ない。読み返してまず思ったことは、最初に読んだ時に抱いた絵柄の不安定な印象が、今回はまったく感じられないということだった。当時どうして不安定だと思ったのか。たぶんそれは、萩尾望都の絵柄と重ね合わせて、それとのズレを感じとってしまったからなのかもしれない。

 またストーリーについても、実に多くのアイディアと情報が、200ページに満たない2つの短編に盛り込まれているということに気が付いた。アイディアと情報の上に構築されたドラマの素晴らしさも加わって、これらの作品が、当時のSFの熟練者たちに熱狂的に支持されたのだろう。ろくすっぽ世の中のことを知らない高校生ごときには、やはり荷が重すぎたのだ。あるいは圧倒されて、身を引いてしまったのだ。

 例えば「樹魔」について。様々な情報を取り入れて、そこから「瞑想」によって答えを出すというイオ・フレミング博士の登場によって、読者は未来、人間の直感が科学の領域にまで高められていることを知る。そしてイオとイチロウ・サヤマという男との間に何かしらの因縁を感じながら、次の場面では南極に突如出現した、急速なスピードで進化し続ける森の存在に関心を向けられる。

 わずか5年で被子植物まで進化してしまったその森で、5年前に遭難した科学者の娘、ディエンヌが発見され、彼女を助けた宇宙から来たエネルギー生命体「ジュマ」の存在が明らかになった。植物の発生によって温暖化が進めば、氷がとけて地球は海に呑み込まれることになる。人類は「ジュマ」の壊滅を決め、ディエンヌを救出した後で「ルイン弾」を撃ち込むが、抵抗する「ジュマ」によってイオだけが取り残されてしまった。

 「ジュマ」の能力やイオの体の秘密、イオとイチロウ・サヤマとの因縁が次々と明らかになっていく後半、奔流のほうに繰り出されるアイディアの多様さに何より圧倒される。そして「ジュマ」の残した贈り物を受け取るラストの感動と歓喜に満ちた光景。SF的なアイディアの上に構築されたドラマ自体の力があったからこそ、今に至るまで長く愛読され続けるSF漫画たり得ていたのだということを、ようやくにして理解することが出来た。

 「伝説」もまたアイディアとドラマのかみ合い方が絶妙で、人類の想念の力や人類の宇宙への想い、さらには人類の進化の謎までをも折り込みながら、前作「樹魔」で出会ったイオ=ジロウとディエンヌの、お互いをいたわり合う気持ちを描き出している。スーパー科学者ツァラ・ラダの正体と彼の遠大にして狡猾な計画、ラダに立ち向かうために命を賭して闘おうとするイオ=ジロウ。すべてが絶望に包まれたその時に、「ジュマ」によって救われたディエンヌが、知らず知らずのうちに身につけてしまった能力が発動してそして・・・・。

 悲しい結末は同時に人類にほのかな希望をもたらして、次なる世代が感じるだろう宇宙の広さを夢見させる。実際に人類が宇宙へと向かわないのは、技術力とそして経済力が理由の根幹であることは解っているし、資本主義の世の中では「夢」を食べる獏でしかない宇宙への旅など、ますます実現が難しくなっている。けれどもいつか深宇宙へと向かう宇宙船が飛び立とうとする時に、かつて宇宙を熱望した人類がいて、人類よりひとあし早く宇宙へと旅立ってしまったディエンヌという少女がいた、そんな話があったことを覚えている人がいて欲しい。

 ラヤーナ・ミゼーラは言う。「夢を見るのはわたしで・・・・あなたはそこに行けるのです」。宇宙へ向かうには汚れ歳をとり過ぎてしまった大人たちからの、これは子供たちに送る最高のメッセージだ。


積ん読パラダイスへ戻る