推理小説常習犯

ミステリー作家への13階段おまけ
 3度直木賞の候補になって3度落ちた筒井康隆さんは、その私憤をはらすべく直木賞の選考委員をことごとくブチ殺す小説「大いなる助走」を書きました。というのは多分半分くらいの理由(8割かもしれない)で、のこりの半分(2割かもしれない)は、直木賞の発表前か発表直後かのエッセイで、読者を喜ばせるために予告したことを、律儀に有言実行しただけなのではなかったでしょうか。

 当時の出版業界において、自分の人気と、モデルにされた選考委員や直木賞を主催していた出版社との力関係を推し量り、こうした作品を発表できるかどうかを計算していたのかもしれませんが、やはりそれなりのリスクは負ったでしょう。そのリスクを補ってなお、作品の面白さが余りあるものだったため、今日「大いなる助走」は、筒井さんの代表作の1つとして綿々と読み継がれ、あげつらわれた当の出版社から、文庫として発売されているのです。

 私憤を創作のパワーにかえて成功する例は幾つもありますが、私憤を創作物という形を採りながらもストレートに表現して、さらなる成功を収めた例をほかに聞きません。森雅裕さんが小説作法の名前を借りて、出版業界から受けた仕打ちを綴った「推理小説常習犯」(KKベストセラーズ、880円)を読んで危惧を抱くのも、森さんが当時の筒井さんほどには人気作家ではなく、また私憤をあまりにもストレートに表現し過ぎているため、敵とみなしていた人たちのみならず、見方だったファンまでをも、怒らせてしまうのではないかと思えるからです。

 森さんの本を読んだことがない自分には、彼がどれほどの力量を持ったミステリー作家なのかは解りませんが、20冊に近い著作を持っているというだけで、作家になりたいなあ、などと思うだけで実行するだけの力量も気力もない怠惰なな自分にとって、やはり敬意を払うべき存在です。

 しかし出版社の人たちは、人気のない人にはとことん冷淡で、原稿を渡してから何カ月たっても本にしないし、誤植はいつまでたっても直してくれないし、名前を間違えて原稿を依頼していくるし、ちょっと批判すると2度と原稿を依頼しません。人気のある作家の所には新幹線に飛び乗ってでも駆けつけるくせに、人気のない作家は鼻も引っかけないというのは、出版が商売である以上、正しい態度なのかもしれませんが、人を馬鹿にするにも程があるというもので、森さんが本書で綴っていることが事実なら(おそらく事実なのでしょう)、森さんにとって文芸編集者というのは、よほど腹に据えかねる人種なのでしょう。

 それでもなお、ストレートな私憤を読まされるというのは、あまり気持ちの良いものではありません。業界に全く関係のないヤジウマならば、あるいは業界に同じ私憤を持つ人ならば、悪口を楽しみ、よく言ってくれたと喝采するでしょうが、多少なりとも私憤の相手方と関わる仕事をしている身には、森さんの指摘には聞くべき部分、納得できる部分も多いのですが、素直に納得できない部分も少なからずあります。

 おまけの部分の「ミステリー作家風俗事典」は、各項目に付けられる文章の長さに制限があるためか、それぞれの文章にサビが効いていて、ウヒヒヒヒと笑いながら読むことができました。これはこれで、清水義範さんのパスティーシュ小説のように、発展させ作品として昇華できるのではないかと思います。

 しかしここまで私憤が溜まるほどに、出版業界というのは夜郎自大で鬼畜な人間ばかりの百鬼夜行な業界なのでしょうか。そこでそこそこの成功を収めている作家というのは、よほど我慢強いのでしょうか。それとも出版業界の人間に輪をかけて夜郎自大で鬼畜な方々なのでしょうか。是非ともどなたかにご教授願いたいものです。


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