JIE−GALE GALE
ジ・ガレガレ

 永遠の命なんて人間にはない。人間じゃなくってもほとんどの生命体には永遠の「生」なんて存在しない。数千年を生きる木々でも百年がやっとの人間でも、永遠というスパンで見ればほんの一瞬に光った輝きでしか、その「生」はとらえることが出来ない。

 だからもしも。永遠を生きる「生」がいたとしたら。瞬きよりも短い間に生まれ育ち死んで行く人間を見たときに思う感情はどんなだろう。幾たびも繰り返される新しい出会いに喜んでいるのかもしれない。けれども嬉しい出会いはやがて哀しい別離をもたらす。そんな繰り返しが永遠を生きる「生」にもたらす感情は、喜びと哀しみのいずれが勝っているのだろうか。

 永遠という訳ではないのかもしれないけれど、堀池さだひろの漫画「ジ・ガレガレ」(アスペクト、820円)に登場する奇妙な生き物、ジ・ガレガレは人間よりはるかに長い時間を生き、たくさんの人たちとの出会いを別離を繰り返して来た。半袖半ズボンにシルクハットをつけた一つ目のジ・ガレガレは、森と畑に囲まれた街・ポートワースにある墓地に日がな一日寝て過ごし、ときどき起きては仲間らしいル・ブカブカやギ・タムタムやタ・ドン・マリモと遊び騒ぎ暮らしている。

 昔から同じ土地に暮らして来たジ・ガレガレたちを、どういう訳か人間はほとんど見ることが出来なくなって行く。けれどもときどき、その姿を見られる人間が出て来てジ・ガレガレたちを喜ばせる。西暦2135年の、冬が来なくなって夏ばかりが続くようになったポートワースでは、墓地の司祭を務める24歳独身で占星術を解する女性、榧森範子やその祖父、範子が非常勤講師として通う後楽園大学の学生で4歳年上の範子に恋心を寄せる西山田俊直が、ジ・ガレガレたちの姿を見ることが出来る。

 不思議で奇妙な生き物たちと、範子や発明家を自称してドタバタばかりを巻き起こす祖父、恋心に胸ときめかせる西山田ら人間たちとの、ほのぼのとしてポカポカと心温まるような交流が描かれた連作短編に、人間が自然と慈しみ尊んで来た時代へのノスタルジックな感情を引き起こされる人も多いだろう。淡い色や繊細な線がそんな気持ちを高めてくれるし、遅刻しそうになってトラクターと飛ばす範子のコミカルな振る舞いや、居眠りしている時にチラリとのぞく胸元の艶っぽさに目元をほころばせ口元を緩める人もいるだろう。奇妙な機械から吐き出される、まだ学生だった頃の水着写真のみずみずしさと言ったら。

 それでも通奏低音のように全編を流れる限りある命への哀しみと慈しみが、時折のぞいて気持ちをキュッと引き締める。背筋をピンと張りつめさせてくれる。例えば冒頭に収録された「永久機関プスプス」。ジ・ガレガレたちがどこから掘り起こして来た120年以上も前に作られたらしい機械を通して、今はもういない機械を作った老科学者とその孫娘の思い出が描かれる。

 永久機関を手に持ちながら、死んでしまった犬のクロに自分の声は届いているのかと老科学者に聞く孫娘、勿論届いていると答える老科学者。その会話を記憶していたのだろうか、永久機関は墓地でちょっぴり調子っぱずれの懐かしメロディーを、120年前と変わらぬ音色で空に向かって高らかに奏でる。

 ジ・ガレガレたちがその老科学者と孫娘に出逢っていたかは語られないし、同情しているようにも見えないけれど、復活したプスプスと戯れる姿には、例え考え過ぎだとしても、共に永遠を生きなくてはならない者への、仲間意識のような感情があるように思えて来る。

 後半に収められた「マリーの思い出」というエピソードには、ジ・ガレガレ自身が経験した出会いと別離が描かれている。200年以上も昔の、まだ大勢の人がジ・ガレガレを見ることが出来た時代、そして世界を戦争の暗雲が覆おうとしていた時代、まだ存在した冬の雪が積もった墓地でも変わらず昼寝をしていたル・ガレガレに、1人の少女がマフラーと手袋を贈り、「今度はひまわりがたくさん咲く頃に会えたらいいね…」と言い残して帰って行く。

 23年間にしか過ぎない、マリーが生きた年月が刻まれた墓碑を前に今、ル・ガレガレは毎年ひまわりの花を手向け、夏ばかりなのに手袋とマフラーを身に着ける。自分を見つけてくれた人、優しくしてくれた人への思い出に喜ぶ姿は確かに微笑ましい。けれども同時に、永遠に味わい続けなくてはならない別離の思い出が喜び以上の哀しみをジ・ガレガレに与えているような気がして仕方がない。

 人間だったら忘れられる。死ねば永遠に記憶は失われる。けれども永遠を生きているジ・ガレガレには、喜びよりも強く哀しみが心に刻み込まれ、積み重なっているに違いない。だからこそ人間に無関心を装って、日々を無為に過ごしているのだ。というのは多分考え過ぎ、穿ち過ぎた見方であって、ジ・ガレガレは単純に暢気なお調子者なのかもしれない。

 読む人それぞれに千差万別の感想があるのが当然で、自分はまったく違った架空の存在を通してエゴイスティックな人間への批判を行った書であるとも、異質な存在であっても受け入れ慈しむ気持ちの大切さを唄った書であるとも捉えて自由だろうとは思う。

 それでも、対局にある永遠の「生」と限りある「生」の邂逅がもたらすものは、やはりり流れる時間の残酷さであり、生きていることの素晴らしさだと、ジ・ガレガレの意図も作者の意図も抜きにして、そう捉えて大きな間違いはないような気がする。

 ほかにも絵への驚き、キャラクター造形の巧みさ、気持ちをほぐしてくれるストーリーへの憧憬等々、読めば必ずや”何か”が見つかる漫画であることには変わりがない。1巻で終わりとなっている「ジ・ガレガレ」だけに同じ世界観で続きが描かれているのかは不明だが、願わくばますむらひろしの「アタゴオル」のように、時折でも良いから描き次がれていって欲しい物語ではある。期して巻を置く。


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