いつかの空、君との魔法

 異世界転生でもなく異能バトルでもなく、青春学園ラブコメでもなく残酷学園サスペンスでもない。それをライトノベルの時流から外れているというのなら、この物語をまずは読もう。読んで胸がきゅんとして、とても良いと感じたのなら、これが自分にとってのライトノベルの本流なのだと思えば良い。

 そんな物語が、第21回スニーカー大賞[春]で優秀賞を得た藤宮カズキの「いつかの空、君との魔法」(スニーカー文庫、600円)。ダスト層雲というものに空をおおわれ、上空に住まう精霊が降りてこず、人が生きるのに必要な精霊指数が足りなくなることがある世界。ダスト層雲をはらって精霊を呼び込めるのは、魔法の力で箒を操り、空を飛ぶことができる<ヘクセ>と呼ばれる少年少女だけだった。

 カリム・カンデラという少年も、そんな<ヘクセ>としてグラオベーゼンと呼ばれるダスト層雲をはらいに行く業務ををこなし、躍動感ある動きで子供たちから名前を覚えられるくらいに人気を得ていた。もっとも、カリム・カンデラは自分を三流と自称し、周囲も一流とは認めていなかった。

 どうしてなのか。高い場所を飛んでダスト層雲を大きくはらえず、たくさんの精霊を呼びこむことができないからだった。樫宮揺月という、誰よりも高く飛んでグラオベーゼンを行い大量の精霊を呼び込むことができる<ヘクセ>の少女との過去から、カリム・カンデラは、ダスト層雲に近い場所を飛べなくなってしまっていた。

 同じ場所で育った幼なじみで、仲良しだったカリム・カンデラと樫宮揺月だったけれど、樫宮揺月は今はアリステルの街から離れ、精霊がいっぱいいる森で暮らし、カリム・カンデラはアリステルにいて、子供たちが多い<ヘクセ>の中にあって比較的高齢の<ヘクセ>として、グラオベーゼンをこなしている。

 そんな2人の、本当は思い合いながらもすれ違っている姿を描き、本当は求め合いながらも拒絶してしまう複雑な心理を描いていくストーリー。時間の経過がわだかまりを強くしてしまって、築かれた壁をなかなか乗り越えられない2人。そこにレイシャ・クリエという名の、カリム・カンデラと同じ学校に通う<ヘクセ>の少女も絡んで起こる三角関係のようなシチュエーションがちょっと楽しい。

 長く離ればなれになっているカリム・カンデラに久々に出会ったら、横に可愛い女の子がいたら、樫宮揺月の心中もおだやかではないだろう。つまりはそれだけ引きずっているということ。そして自分のそんな憤りに気付かないカリム・カンデラの朴念仁ぶりにムッとしているということ。とはいえ、己の失敗を悔やんでいる過去がカリム・カンデラにはあると分かっているから、それが自分のせいだとも感じているから、近寄って手を差しのばすのもためらわれる。難しい年頃だ。

 思いながらも届かず、思われたくても拒絶してしまう複雑で甘酸っぱい少年や少女たちの心情が交錯するドラマがある。ダスト層雲に被われ、精霊がいて、その精霊が水や酸素に並んで人が生きるのに必要な要素になっている世界という設定がある。なかなかに考え抜かれて構築された物語だと言える。魔法で飛ぶ箒ではなく、魔術で浮いた有翼クジラ(ジャンボ)という乗り物や、個人用の鰭飛び(マンタ)といった乗り物の設定とネーミングのセンスも悪くない。

 ダスト層雲を払った箒についた汚れを落とすには、しばらく時間が必要といった仕様は、<ヘクセ>を時々のスターにはしても、権力者にはしないでひとつの役割として整える上で役立っている。年齢が上がれば精霊と言葉をかわせなくなるという設定も、刹那の時間に自分をめいっぱい表現しようとする前向きな気分を<ヘクセ>たちに与えている。誰もが世界のために頑張っている。その意識が、読んでいる人に物語世界への心地よさを感じさせる。

 そんな世界を、自分を表現するために飛ぶ<ヘクセ>たちがアクションの格好良さが良い。読むと自分も空を飛んでいる気分にさせてくれる。そしてラストも。いつも空を覆っているダスト層雲の向こう側に、果てしなく広がるものへの興味をかき立てられる。それは現実の世界には当たり前のものかもしれないけれど、失われてしまった世界にはとてつもなく貴重なもの。憧れても得られないそのビジョンが、広がった時に得られただろう登場人物たちの感慨に共感して、心が嬉しくなる。

 ダスト層雲がいったい何でできていて、どうして今は世界を覆っているのか。精霊はどうして人の生活に必要なのか。そんな世界の成り立ちへの興味が読むほどに浮かんでくる。<ヘクセ>の仕事を肩代わりしようとした科学の力が、どうして通じなかったのかへの関心も。そうした興味が次の巻で満たされることを期待しながら、今は良い舞台と良い展開の上で踊る、少年たち少女たちのの躍動に触れ、心からの感動を味わおう。


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