いとみち

 楽器にはチューニングが欠かせない。チューニングがしっかりしていないと、ヘンな音が響て聴いている人たちの気持ちを乱してしまう。弦がほんのちょっと緩かったり、きつく巻き過ぎているだけでダメ。まるで違った音になって、奏でられる音楽も音楽として聞こえてこない。

 小説にもやっぱりチューニングが欠かせない。ヒットしそうな要素ばかりを並べれば、人気も出てベストセラーになると思ったら大間違いだし、インパクトの強いキャラクターばかりを出せば、めいめいが存在感を出して物語を引っ張ってくれるというのも当たらない。

 耳に心地よく心に楽しく響いてくる物語はたいてい、訴えたいことにマッチした要素がバランス良く並べられ、語るにふさわしいキャラクターたちが適材適所で配されていてと、見事なチューニングぶりがそこにある。越谷オサムの「いとみち」(新潮社、590円)も、設定の巧みさにキャラクターの妙といった優れたチューニングぶりで、読む人を物語の世界へと引っ張り込む。

 主人公は高校1年生の相馬いと。高校生になったのを機会にメイド喫茶でアルバイトを始めたものの、根っからのドジっ子で最初は店でも失敗続き。店の存続に関わるような事件もあれば、自分自身の迷いが家族との溝を深めてしまうこともある。それでも先輩たちに恵まれ、店長にいたわられ、オーナーに気に入られ、お客さんたちにも好かれて1歩1歩成長していく……。

 そんなあらすじの物語だと聞けば、ああメイド喫茶ものねといった反応がまず出てきそう。ライトノベルに漫画にテレビドラマと、メイドが主人公となった作品が多々ある今、決して珍しい設定ではない。むしろ陳腐かもしれない。

 だから、越谷オサムは要素を盛り上げた。舞台は青森。秋葉原のメイド喫茶が舞台になった、ハーレム要素が入ったラブコメディではない。なおかつ相馬いとは標準語が巧くしゃべれない。地元の人ですら聞き取れないこともありそうなベタベタの津軽弁。だからメイド喫茶につきものの挨拶「お帰りなさいませ、ご主人様」が「お、おがえりなさいませ、ごスずん様」になってしまう。

 津軽弁が強すぎて、人前でなかなか言葉が話せない。だから引っ込み思案になってしまう。そんな自分の性格を治そうとしてメイド喫茶で働き始めたのに、逆にプレッシャーとなって引っ込み思案ぶりを増してしまう。特徴あり過ぎでギャップあり過ぎ。メイド喫茶のメイドが実は会社の上司だったという設定すら超えている。

 そんな相馬いとが働くメイド喫茶の「青森メイド珈琲店」の店長は、東京でチェーン店の店長まで務めた経験を持ちながらも、仕事に挫折して故郷へと引っ込んでいたところを、オーナーに見込まれ店長へと誘われた。そのオーナーは豪放磊落な性格で、メイド喫茶の従業員たちには優しい顔を見せているものの、本業では違法すれすれのこともしていて、実際に警察に捕まってしまう。

 秋葉原が舞台のメイド喫茶物とはまるで違った舞台設定であり、ストーリー展開でありキャラクター設定。言ってしまえば濃すぎる要素のてんこ盛りで、これらをただ詰め込んだだけでは、奏でてもそれぞれの弦が強すぎて不協和音にしか鳴らないようにすら思えてしまう。

 ところが、「いとみち」はそんな要素が絶妙に絡み合って、実に楽しくて美しい音を奏でる。なぜなのか? それはたぶん、物語をむりやり大げさにしようとして選んだ設定ではないからだ。登場する誰もが現実にいそうな存在で、誰もが地面に足を付けて立っていて、誰もが一所懸命に生きようとしている。ある面でリアルでシリアス。それが、尖りまくった要素を和らげ、地続きの場所にある存在として、青森のメイド喫茶とそこで働くメイドたちを思わせる。

 ちょっとだけあり得ないかもしれないと感じさせるのは、津軽弁が濃すぎて話し言葉が記号になってしまう相馬いとの祖母のハツヱで、津軽三味線の名手でありながらも西海岸のアメリカンロックが大好きで、ビーチボーイズやヴァン・ヘイレンを三味線で奏でてしまうというから実にロックなおばあちゃんだ。

 仮に「いとみち」が映画になったら誰が演じてふさわしいのか。考えてもお呼びがつかないくらいにぶっ飛んでいる。もっとも、それを天井にして津軽という場所での平凡な日常に、ちょっぴりのエッジを立てるチューニングだと見れば、なるほど実にバランスがとれている。

 読み終えれば、誰の心の琴線にしっかりと触れて鳴り響く物語。慣れない仕事について戸惑うこと。その仕事を親に分かってもらえず悩むこと。顔だけは知っている同級生に勇気を振り絞って声をかけてみること。この社会で生きていればどこか自分にあてはまるような悩みや迷いが、相馬いとという女の子の毎日から感じられるだろう。

 子供の頃からずっと習っていて、中学生の頃には賞もとったことがある津軽三味線を、高校生になって封印してしまった相馬いとが、自分の大好きな居場所がなくなってしまうかもしれないと思った時、三味線を手にとってベベンと奏でる展開には、自分を厭わず世界に背を向けないで生きる大切さが浮かぶ。卑下しない。かといって高望みもしない。自分にできることをやりぬこう。それが大事なのだと教えられる。

 相馬いとにかぎらず、漫画家になりたいという夢をかなえたいと原稿用紙に向かっている女性、家族を育てるために頑張っているメイド長、周囲からどう見られるかビクビクしながらも大好きなメイドにメイド喫茶に通い続けるお客さんたちのどこかしらにも、自分と重なる部分が見つかるかもしれない。いい歳をしてロックに夢中なハツヱおばあちゃんは? 重ならなくてもあこがれる。

 読み終えたとき、悩みや迷いに乱れていた自分の心のチューニングが、すっきりと整って明日へ向かってがんばろうという気持ちになれる。そんな物語だ。


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