ランボー怒りの改新

 あるいは仁木英之なり円居挽なりのプロ作家による、世を忍ぶ仮の名前かもしれないとも思ったし、そうしたプロ作家たちによる合同ペンネームかもしれないといった想像も浮かんだけれど、そうやって世を偽る必要もない同人誌という媒体で、何年も前から1作ずつ発表されていたということは、どこかに書いた当人がいて、書かれた作品があったものを引っ張り出しては載せていったと考えるのが妥当だろう。

 だからやっぱり、ここは埋もれていた才能と見ておきたい前野ひろみちという人物による作品集「ランボー怒りの改新」(星海社FICTIONS、1200円)。なんだそれは、いったいどんなタイトルだと思い手にとって読むと、本当にランボーが怒りとともに大化の改新をやってのけていたから誰もが驚く。

 つまりはタイトルが一種の出落ちになっている作品だとも言えるけれど、そうと分かって読んだとしても、大王を排除して自分達が大王になろうと画策する蘇我入鹿の暴虐を正そうとする中大兄皇子と藤原鎌足の一派がいて、遠くベトナムの戦場で泥水に塗れながら戦ってきたランボーがいて、その現状がモザイクのように混ざり合っては、同じ地平と時空で事態が進んでいるかのように描かれて、これはいったいなんだといった不可思議な気分にとらわれる。

 どうしてそうなのかといった説明はないし、そうである必然性もないと言えばない。「ランボー2/怒りの脱出」なり「ランボー3/怒りのアフガン」が、どういった思考からかちょっとズレて浮かび上がって来た言葉がどうにも面白そうで、それならいっちょ描いてみるかと書いてみたような無茶さがあって、それ故に最初からあり得ない組み合わせなのだと見ることも可能だろう。ただ、唐突なまでにドンと繰り出された飛鳥時代とベトナム戦争とのフュージョンから醸し出される強引なまでの展開が、読む人にどういう事情で生み出されたのかといった興味すら抱かせない。

 浮かぶのは、映画「ランボー」のシリーズで、シルベスター・スタローンが見せた筋肉の鎧に覆われたような肉体に武器を巻き付け、全身から憤怒を漂わせながら佇むその姿態が、法隆寺すらまだない時代、山岸凉子の「日出ずる処の天子」に描かれたような飛鳥の空間を駆け回りながら、時に泥水のジャングルを這いずり回りもするというビジョン。その異様で不思議なフュージョンの億に、厩戸皇子という歴史的な偉人の存在が示されて、語感による出落ちのような物語に謀略めいた芯を与えて屹立させる。

 これはなんだと戸惑いながらも、それのどこが問題なのかを理解できないのも仕方が無い。もはや理解などする必要なしに、飛鳥とベトナム、ランボーと蘇我入鹿が重ね合わされたビジョンを感じていけば良いのかも知れない。ほかになにを組み合わせれば、これだけの奇矯さが出るのかにも興味が及ぶけれど、「怒りの壇ノ浦」でも「怒りの本能寺」ではこの味は出なかっただろう。そもそもどちらも奈良ではない。だからこそのピックアップであり、表題作になったのだろう。

 そうだった。この「ランボー怒りの改新」に収録された前野ひろみちの作品は、「NR」という奈良に縁のある作家たちによる、奈良にちなんだ作品が掲載されているらしい同人誌で紹介されたもの。だからほかの作品も、奈良が舞台となったものになっている。このうち2編では、佐伯さんという奈良の言葉を話す、飄々としてどこかつかみ所がないけれど、言葉を発すればなかなかに辛辣な女性が登場する。

 そのうちの1編、「佐伯さんと男子たち1993」という短編では、高校生たちが出会ってどうにか仲良くなりたいと思っても、「無理やわ」といって断るものの肘鉄をくらわすわけではなく、自分にはマッチしないといったことを相手にも分からせる感じがあって嫌われないところに逆に惹かれる。最後の1人くらいは脈があるかと思ったら、やっぱり無理だと言う予定調和を外した展開が面白い。あとは鹿にせんべいを与えて、貪るように食らう姿にあいつらアホやしと言い放つ佐伯さんのイケズっぷりも。

 2編目の「満月と近鉄」では、ちょっと大人になってもやはり純朴でちょっぴりイタい作家志望の青少年を惹きつけ惑乱させつつ、すっと消える不思議な存在となっている。稼業を次ぎたくないから作家になると言い張って、それなら期限付きで挑戦して見ろと言われ家を出た青年の周囲に現れ、妙な魅力をふりま女性。どろどろとした恋路へと引きずり込みはしないけれど、忘れられもしない印象を残す。そんな女性が実在するのかと思うと、奈良に行ってみたくなる。どうだろう。

 作り込まれたという意味合いでは、「ナラビアン・ナイト 奈良漬け商人と鬼との物語」なる短編が面白い。元となる「アラビアン・ナイト」、すなわち「千一夜物語」を取り込みつつ、日本風の物語にアレンジして語ったその上に、奈良の仙人のような老人と乙女との出会いと語らいといった物語を乗せて仕上げてみせた作品。翻案にして本歌取りの妙味があって、それを古都ならではの雰囲気に絡めて描き出す。巧みな技と言えるだろう。

 「NR」に掲載された3編にプラスして1編をもって、とりあえず作家としての活動を止めているような節もある前野ひろみち。それは当人が、仁木英之による解説文にあるようにシャイで奥手で引っ込み思案で頑なだからなのか、それとも違う理由で執筆活動が出来ないからなのか分からない。佐伯さんに褒めてもらえるような作品が書き上がっていないからなのかもしれないけれど、こうして1冊が世に問われ、評価も得られたのならもはや引っ込んではいられないだろう。立ちあがって書き始めてくれるのを、だから今は望んで待ちたい。

 1000年後の奈良を舞台に機械化された大仏と、ターミネーターとが戦う話であっても。


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