under 異界ノスタルジア

 まだ間に合う。踏みとどまれる。きびすを返して立ち去れば、異様な世界の異常な存在との関わりを持たないまま、一生を天寿までまっとうできる。

 と、そう言われてはいそうですかと立ち去れるのは、よほどの臆病者か、あるいは徹底した合理主義者だ。危険と知ってもなお、その先にある世界へと関心を抱き、踏み込んではしまったと後悔に苛まれつつ、それでも受け入れ生きていくのが、人間本来の性というもの。だからこそ起伏に富んだ人生があり、それを元にしたドラマが生まれる。

 「第14回電撃大賞」で銀賞を獲得した瀬那和章の「under 異界ノスタルジア」(メディアワークス、570円)も、踏みとどまらず、振り返らずに未知へと進んで危険を味わい、そして新しい可能性をつかんだ少年の物語だ。失った平穏と天秤にかけて得られた仲間との触れあいが放つ魅力に、省みず進む決断の大切さを思わされる。

 主人公の霧崎唯人はごくごく普通の人間で、特別な能力など一切持たず、むしろ3年前に兄が学校へと放火した挙げ句、恋人と失踪した事件によって虐げられ、目立たないように静かに日々を送っていた。そんな唯人の手元に手紙が届く。失踪した兄からのもので、読むと奇妙なことが書かれていて、且つその手紙をとある場所へと届けて欲しいと書かれてあった。

 月士那探偵事務所。1階が喫茶店になった雑居ビルの5階にある、その探偵事務所へと階段を上っていった唯人は、5階の手前にある踊り場で、左目の周縁に奇妙な入れ墨を施された女の子が座って、一心不乱のルービックキューブを遊んでいる姿に出会う。唯人に気づくと女の子は、半分に割れた黒猫の面を左目の上に被せ、「このハゲ」と乱暴な口調で唯人を誰何し、探偵事務所の客だと知ると階段を上って連れて行く。

 月士那灯香という、唯人と同じ高校2年生の少女が出迎えてくれた探偵事務所は、けれども普通の探偵事務所とはまるで違った場所だった。浮気調査はしないし、素行調査も猫探しも一切やらない。やるのは人間が死ぬと堕ちていく異界に絡んだ調査のみ。触れる普通の人間なら即座に引きずり込まれてしまう、異界の存在を相手に戦う仕事を生業にしていたのだった。

 さらには失踪した唯人の兄の戒人は、月士那探偵事務所のメンバーと同じ異界と戦う仕事に就き、その戦果から“鏡の王子”の異名を取るまでになっていたと知らされる。そして唯人は、役目は果たしたのだし、これ以上の深入りは危険だから引き返せ、単刀直入に言えば足手まといだから引っ込んでろと探偵事務所のメンバーに言われ、すごすごと事務所から退散する。

 本来ならばそこで終わりだったはずなのに、同級生の少女の親友が行方不明になった事件の真相を探りたいと同級生に誘われ、そこに月士那探偵事務所で聞いた異界の臭いを感じた唯人は、同級生を助けようと事件を月士那探偵事務所へと持ち込む。それが、兄からの手紙に書かれてあった「キング」なる人物の暗躍とも関わった事件だと分かって、唯人は月士那探偵事務所のメンバーと活動を共にするようになって、もはや戻れぬ場所へと至る。

 「キング」なる人物の背後に蠢く謎の存在。それはいったい誰なのかを追った果てに見えて来たのは、行き過ぎた愛がもたらす狂気と悲劇の諸相。想いの強さをいくら正義だと正当化して突き進んでも、悪は悪でしかないことに気付けない人間の愚かさというものを客観的に教えられる。かといって主観的になった場合に、果たして冷静な対応がとれるのか。危険と分かって踏み込む人間の愚かさがある以上、無駄と分かっても進まざるを得ないのかもしれず、認められないことでも認めてあげたい気持ちが浮かんで、心を悩ます。

 何層にもなっていて、より深くなればなるほど強烈さを増す異界を相手に戦う探偵事務所の面々の、それぞれが持つ能力がなかなかに特徴的。それらが組み合わされ発揮されることによって得られる勝利の感慨は、複雑なルールのゲームを読み解き勝利した時のそれに近い。能力では、レムという名の猫の仮面を被った少女が、どうして手にルービックキューブを持って一所懸命に遊んでいるのかも、戦いの中で明らかになって、そうした能力の発動のさせ方があるのかと、設定の妙に感心させられる。

 拳銃使いのノインというキャラクターの直情径行ぶりも、豊かなボディスタイルともども興味をそそられる。何より月士那探偵事務所の所長が見せる、異界を統べる圧倒的な力が、他にも多い超常的な能力の使い手たちによるバトルを描いた物語にあっても、頭ひとつふたつ抜けた印象を与えてくれる。

 悲劇を噛みしめ唯人がようやくにして得た居場所は、決して平穏ではなく無事すら保証はされない。それでも居場所を持てたことがもたらす安心と喜びの方が、眺めていて嬉しさを感じさせる。もっとも、居場所は決して安全ではない。今後も続くだろう新たな冒険の中で、霧崎唯人や月士那探偵事務所の面々がどんな危険に遭遇し、それでも乗り越えていくのかを、関心を持って眺めて行こう。


積ん読パラダイスへ戻る