女王の百年密室
GOD SAVE THE QUEEN

 自分という存在が永遠に「消滅」してしまうんだと理解できる知能があったからこそ、人間は「死」を恐れるようになったし、 その恐れを和らげ、あるいは無くするために「宗教」を作り出し「神」や「仏」を創造した。輪廻転生による蘇りを信じる宗教にしても、キリスト教の天国仏教の極楽といった、こことは別の場所への到達を説く宗教にしても、「死」が「消滅」ではないことを表現こそ違え訴えている。

 ならばキリスト教や仏教が浸透した国で、「死」を与えること、すなわち「殺人」が許されないのはなぜなのか。肉体の牢獄から魂を開放し、天国とも極楽とも呼ばれる楽園へとへと送り届ける正しい行為だと讃えられないのはなぜなのか。人は心の奥底で、「死」は「死」でしかないのだと知っているのだろう。だからこそ子供との、恋人との永遠の別れとなる「死」を悲しみ、その「死」をもたらした者を激しく憎み、同じ苦しみを与えるために殺人者に「死」をもたらすのだ。

 けれどもあるいは、完璧なまでに人心がコントロールされ、「死」が楽園への旅立ちだと心底から信じられている国があったとしたらどうだろう。その国では始終、殺人が起こってしまうに違いない。だからこそ森博嗣は、「王女の百年密室」(幻冬舎、1900円)の中で、寿命により、あるいはアクシデントによってもたらされた「死」を「永い眠り」と言って「死」とは区別し、殺人の代償を「果てる」、すなわち消滅することと定義した。

 舞台は近未来。日本人でジャーナリストらしい主人公のサエバ・ミチルは、道に迷ってアジアのどこかにある王国へと迷い込む。そこは美しい女王が統治し、食料は途切れずエネルギーにも不自由せず、誰もが幸せに暮らす楽園のような国だった。そして不思議なことに、ウォーカロンと呼ばれる召使いとも執事とも似たロボットを連れたサエバ・ミチルが女王に謁見した時、女王はサエバ・ミチルが来ることを、神の声によってすでに知っていたのだった。

 歓待を受けて王国に滞在することにした数日後、サエバ・ミチルは女王の息子の王子が死体となって発見された場面に遭遇する。明らかに何者かによって首を絞められた跡のあった王子を、けれども女王も他の住人たちも「死」んではいないと主張し、冷凍睡眠の状態へと送り込んで「永い眠りについた」と言い続ける。「死とは果てること」。冷凍状態に置かれた人は、会話はできず向こうがこちらを認識しているか不明であっても、相手が「死」んでいることにはならないのだという。そしてそうした状態になることを誰もが恐れず、むしろ望んで受け入れているのだという。

 「死」の恐怖を克服した国で起こった殺人事件。というより誰も殺人事件があったとは認識していない、単なる王子の「永い眠り」への移行という事態を、外から来て「死」の意味も恐怖も知っているサエバ・ミチルだけが不思議に受け止め、犯人探しへと乗り出す。実はそうした行為は、単なる好奇心ではなく、自分とも深い関わりのある、自分の運命を変えてしまった事件の真相へと近づくための手段でもあった。

 殺すことはしなくても、「死」は恐れない感情によって支配された王国の、神の声に従って「目にすれば失い、口にすれば果てる」と信じ込まされた住民たちという、当人たちの自覚はともかく外部から来たサエバ・ミチルにとっては異様とも思える状態で起こった殺人事件。それは、限定された空間の中で起こった、特定の条件下ながらも明らかに不可能な事件という意味で、まさしく「密室殺人」の様相を呈している。けれども空間の限定性は逆に言えば外部に無数の可能性がひろがり、特定の条件も裏返せば犯人を示唆する重要な鍵となる。そんな手がかりを元にして、王国の条件に左右されないサエバ・ミチルは殺人事件の謎へと迫っていく。

 こう見ると、「女王の百年密室」は、特定の条件下で発生する認識の差異をトリックに使うために、時代を未来に設定し、隔絶した王国という舞台装置を作り、旧式のウォーカロンなりサエバ・ミチルが手放せないゴーグルといったガジェットを持ち出した、SF的設定を持ったミステリィと言うのが近いのかもしれない。けれども、「死」というものへの意識が異なった状況を作り出し、そこで暮らす人たちの思考をシミュレートして、驚きの視点を惹起させるアプローチは、ミステリィ的な構造を持ったSFだと言って決して間違いではない。

 宗教がもたらす安寧も、「永い眠り」がもたらす安寧も本質的には代わりがない。ともに等しく「死」を逃れたいと思う人間の気持ちが生んだ逃避でしかない。本当は同じ「永い眠り」に就くことと「果てる」ことを、認識上の差異として受け止めざるを得ないくらいに、人間は「死」を恐れる弱い存在であることを、作者は「女王の百年密室」の舞台として作り上げた想像上の王国で示したかったのかもしれない。

 ラストに提示されるサエバ・ミチルがウォーカロンと常に連れ歩いている理由の処理の仕方も、近未来のテクノロジーを類推させ、そこから別の世界を想像させる広がりを持っている点で、ミステリィを成立させる上での”員数合わせ”に堕していない。SFとミステリィの要素が巧みに絡み合った、極上の小説というのが正しいのかもしれない。SFとミステリィ、いずれかのファンであっても、そしていずれをも愛するファンなら当然、読んで楽しめるはずだ。

 楽園を作った男たちの、1人は世界的なソフトウエア会社の創業者で、1人は世界的なミュージシャンという設定が現す実在する人物との相関関係に、知っている人ならニヤリとさせられる楽しみもある。特定できたモデルが、なるほど楽園に大金を注ぎ込みそうなメンタリティーの持ち主である点もおかしい。もしかすると数十年後の世界に、舞台となった「ルナティック・シティ」に似た王国が出来上がっているのかもしれない。但し名前は「ネバーランド」かもしれないし、「ウィンドウズ・ワールド」かもしれないが。


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