ほうかごのロケッティア
School escape velocity

 気にしたという記憶がない。クラスでの身分なり、立ち位置といったものに引きずり回されたという覚えがない。何十年も前のこと。いじめらしきみたいなものはあった。したしされた。ハブられている人もいた。これもやったしやられもした。状況については今とそれほど変わらない。

 けれどもヒエラルキーとなって定着し、下になったものが永遠に下で有り続けるようなことはななかった。ふとしたきっかけで輪に戻り、普通に日常を過ごすようになっていった。そうし向ける風もあった。さしのべられる手もあった。

 今は違うらしい。というより階層化は、より普遍的で決定的な存在として拡散し、浸透している節すらある。だからだろう。様々な物語に、そうした学校のクラスにおける階層化が描かれ、語られる。スクールカーストなる、忌まわしくもおぞましい言葉すら作られ、用いられる。

 どうしてこうなったのか、と考え出せば理由はいろいろ浮かぶが、それを今から言っても仕方がない。問題は、語られることによって視覚化されてしまった、クラスにおける階層化という問題が、今後ますます拡張して、厳格化してしまう可能性にある。

 まさか、というならどうしてここまで語られながら、是正されずになおも語られ続けるのか。どうして変わっていこうとしないのか。間違っている。そう言い出すことによって貶められる恐怖が、空気として漂っているからなのかもしれない。そうなってしまってからはい上がる苦労を、誰もしたくないからなのかもしれない。

 何より、語るだけで、抜け出す道を未だに誰も、指し示せていないからなのかもしれない。ならば語ろうということか。大樹連司が紡ぎだした「ほうかごのロケッティア」(ガガガ文庫、600円)には、どん底からはい上がり、壁を突破し天空へと上り詰めるためのひとつの道、そして確実な道が物語として紡がれ、指し示されている。

 主人公は褐葉貴人という少年。極度のオタクで思いこみの激しい電波体質も備わっていた中学生の頃に、顔を見せないままで大人気となったクドリャフカという美(?)少女歌手に執着を抱き、恋慕の感情を前世からのつながりという超電波な言葉に乗せて手紙にしたため、ラジオ番組に投稿してしまった。

 それを受け取ったクドリャフカが発した言葉から、さまざまな事件が発生ししてしまったことも一因となって、褐葉は激しく落ち込む。その挙げ句に、太平洋上に浮かぶ孤島にとある財閥が作った高校へと進学。そこで、オタクの本性を隠して再デビューを果たそうとしては、財閥の一族で、理事長代理をしている少女に才能を見込まれ、大学進学を約束される引き替えに、クラスを平穏無事に運営する手伝いを始める。

 もともとが、様々な理由で落ちおぼれてきた生徒たちが集められた孤島の高校。癖のある奴らを平穏無事にまとめるには、クラスを階層化して上が君臨し下が虐げられ、中間は何事もなく漂うようにする必要があると、褐葉も理事長代理の少女も考えた。どうしてそれが最善なのか、といったあたりの考察に、どうして階層化がなくならないのか、といった理由もありそうで、それも含めて現状の分析と、その打開にストーリー上の様々な出来事が、一つの役割を果たす。

 褐葉はといえば、クラスメートの性質を見抜き、自分は道化を演じつつ、クラスでも1番の美少女と、クラスでも1番のリーダーをカップリングさせるような策を巡らせつつ、クラスの階層を作り上げ、維持する役目を担っていた。仕組まれた安定。揺るがせられない安定。そこに突風が吹き込んできた。

 転校生として現れた久遠かぐやという名の少女は、学校中の美少女が束になってもかなわないくらいの美しさで、いきなりクラスの調和を崩しにかかった。なおかつ久遠かぐやには、かつて芸能界にいて、クドリャフカという名で一定の人気を得ていたとう過去があった。

 そう。かつて褐葉が電波レターを送った相手。それが何故問題児ばかりが集められた孤島の高校に転校してきたのか? 褐葉から受け取った手紙をラジオで読まれたクドリャフカが発した言葉が、リスナーを激怒させて彼女を追い込んで、道を外れさせてしまった。さらに、手に褐葉が贈った電波レターを持って現れたクドリャフカが、褐葉を脅して自分に協力させようとした内容に、孤島への転校を余儀なくされた、もっと大きな理由があった。

 孤島でも高校が建っている場所は、携帯電話が使えないようになっていた。そこでクドリャフカは、電話がかかってきたからと言って携帯を取り出し、何者かと言葉を交わしていた。これにはクラスもいっせいに引いた。そして納得した。美少女だからといって序列を崩すものではないと安心した。

 褐葉は安心できなかった。電波レターを暴露されれば、自分が今いる位置が脅かされる。ただのお調子者でいられなくなる。そう思って褐葉はクドリャフカの頼みを聞き入れ、携帯電話に住むとクドリャフカが主張する宇宙人を、携帯電話ごと宇宙に帰すために協力する羽目となる。

 こうして始まったのが、高校生たちだけによるロケット作りという大プラン。近隣の工業高校生と出会い、実はロケットの研究をしていた工業高生たちをたき付け、プランの完遂に向けて動き出す。以外に才能があった高校生たち。どうにかこうにか完成間近までたどり着くものの、そこに露見した褐葉の過去に、クドリャフカの傷。複雑になった事態から、さらに大変な事件まで起こって、激しい挫折とそして諦めに皆を追い込んでいく。

 それでも諦められない気持ちが燃え上がって、感動の場面へと向かっていく。その際に、とある劇場アニメーションを引き合いにして繰り出された言葉たるや。もう涙無しでは読めない名シーンだ。

 田中ロミオの「AURA 〜魔龍院光牙最後の戦い〜」(ガガガ文庫)とも重なる、電波気質の者たちが、現実と折り合いをつけようとしてあがき、その情熱に一般層も引っ張り込まれて前に向かって動き出すストーリー。あさりよしとおの「なつのロケット」や、その原型ともいえる川端裕人「夏のロケット」ともり、秘密裏に事を運んで、何かを成し遂げる快感にあふれている。

 クドリャフカの自意識過剰なツンぶりにデレ方と、そして理事長代理の少女のツンな中にデレかけている溶けっぷりも、読んでいて心に強く働きかける。なおかつ「ほうかごのロケッティア」には、現在の少年少女たちにとって、最たる脅威ともいえるクラスでの階層化の問題が絡められ、どうしてそうなっているのだという憤りと、どうにかできるのではないかという可能性が示されて、どうにかすべきだと感じされる。

 もはや逃げられないところまで来ているのなら、気にせざるを得ないとこにまで来ているのなら、向き合うより他にない。ロケットを作るのだ。ロケットをとばすのだ。そこに飛び上がるための道がある。突き抜けるための力がある。


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