復讐の聖女

 東ローマ帝国が舞台という異色のライトノベル「緋色の玉座」(スニーカー文庫)を書いた高橋祐一が、次の作品となる「復讐の聖女(ラ・ピュセル)」(スニーカー文庫、600円)で選んだ舞台は15世紀のフランスで、ヒロインはイギリスに侵攻されたフランスで軍隊を率いて戦い、勝利を収めながらも異端を問われ火刑にされた少女。つまりはジャンヌ・ダルク。もっとも彼女の生前の活躍を描く物語ではなく、“復讐”のために蘇って裏切り者どもの首をはねていく、聖女とあがめられた人物とは思えない非道な振る舞いを見せる物語になっている。

 堕ちたのか? 悪鬼羅刹の類となったのか? そこが「復讐の聖女」でひとつ気になるところだけれど、まずは展開について紹介すると、ジャンヌの異端裁判で書記官を務め、司教の理不尽に憤りながらもジャンヌを見殺しにしたギョーム・マンションという男が、罪を悔いて協会で祈っていたところにひとりの修道女が現れる。その顔を見てギョームは驚く。火刑台で燃え尽きたはずのジャンヌがそこにいた。

 ジャンヌに名を問われ、糾弾されたギョームは彼女が手にしていた剣で首をはねられ息絶える。そのはずだったのになぜか無傷で目覚めたギョームは、ジャンヌから彼が持っているある能力が必要だからと言われ、連れて行かれて共にジャンヌを裏切った者たちに“復讐”して歩く旅にでる。

 最大の目的は、ジャンヌがオルレアンを解放し、軍勢を率いてパリを開放しに向かった先で本当は水堀だったものを空堀と偽って伝えられ、敗退を招いた原因がいったい誰にあるのかを探すというもの。ジャンヌの武勲もあって王位に就きながら、敵の手に落ちたジャンヌのために身代金を払って取り戻そうとはせず、見殺しにしたフランス王のシャルル7世か。その妃の母親でジャンヌを支援したヨランド・ダラゴンか。ジャンヌと共に戦った貴族で後に少年たちを惨殺して“青ひげ”として忌み嫌われるようになるジル・ド・レエか。

 自分と関わった者たちを尋ねて回る旅で、復活したジャンヌが持っていたどこからでも呼び出せる不思議な剣の力と不死身の身体、そしてギョームが持っていたある力によって真相を暴きたてていって分かったその真実。それは、いつの時代の誰にでもつきまとう、羨望と嫉妬が人を狂わせるということだった。

 それはとても分かりやすい理由で、結果として戦闘の天才が歴史の表舞台から排除され、後の歴史を変えてしまうのも、歴史の上でたびたび起こっていること。織田信長しかり、大村益次郎しかり。過ぎ去った時間を取り戻すことは不可能で、今となってはどうしようもないこととはいえ、もしもそうした非業の死を遂げた存在が存命だったら歴史はどう変わったか、それがジャンヌ・ダルクの場合、フランスやヨーロッパはどんな歴史を辿ったかを考えてみたくなる。

 もっとも、一介のジャンヌが一時の栄耀栄華を極めたところで、フランスがスペインより先に海上を制圧するとは思えず、イギリスのように産業革命でぬきんでるとも思えない。それでもジャンヌが存命なら、歴史はどれくらい変わったのかを見て見たい気がする。ルイ14世が現れフランスは栄光に輝いたのか。ナポレオンが登場して欧州を席巻したのか。逆に早々と衰退してドイツやイタリアやイギリスやスペインに飲み込まれたのか。歴史のイフは常に気になるところだ。

 もっとも高橋祐一の作品では、「緋色の玉座」も同様にファンタスティックな要素を持ちこみながらも、その結果として歴史が大きく変わることはない。不死身の聖女とガチで殴り合った怪力の老女や、悔い改めた王様、魔術師にそそのかされて悪性を現した元戦友を“復讐”の後に配下に従え、歴史に挑むような戦いが繰り広げられた果て、神の恩寵を掲げる国家がヨーロッパ大陸にできあがるか? それは少し難しそうそういった展開にはならないだろう。きっとジャンヌも“復讐”のために与えられた力を使い切ったら、表舞台から去って行くのだろう。

 だったらどうしてジャンヌ・ダルクは復活させられたのか。彼女に対して罪の意識を持つ者たち、あるいは罪をかぶせて地獄に堕ちることが決まっている者たちをあらかじめ悔い改めさせ、天国へと迎え入れるために神がひと手間かけるもなのか。そこまで恩寵を与えるのなら、ジャンヌを火刑台に送ることすらしなかっただろう。だから気になる。ジャンヌが復活させられた理由と、その行動によってもたらされる事態が。知るためには続く物語を読むしかない。刊行を待ちたい。


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