RUN 流浪のストライカー、福田健二の闘い

 「岡、エースをねらえ」と宗方仁が日記に書き残した言葉こそ、スポーツにおけるもっとも感動的で涙を誘うものだと信じているのなら、この言葉を聞け。

 「好きなサッカーで/世界に胸を張れる/選手になって下さい」

 たった3行のこの言葉が、どうやって生まれて誰に宛てられ、そしてその誰かをどこへと導いたのかを知れば、漫画に出てくる架空の言葉でも緩む涙腺は、たちどころに爆発して、滂沱となることだろう。

 誰が、どいういう状況で遺した言葉なのかはここでは書かない。ただし、誰に宛てたかだけは書いておく。福田健二。プロのサッカー選手となり、そして国内のチームを巡り歩いてから海外へと雄飛した彼は、パラグアイにメキシコ、そしてスペインへと渡り、07年に30歳を迎えた今もなお、プロのサッカー選手で在り続ける。

 それがどれほどすごいことなのか。日本で30歳過ぎまでサッカー選手で在り続けることすら難しい。ましてや海外。実力だけがモノを言う世界。今日のシュートが外れれば、それが例え1分間の出場だったとしても、明日のポジションが失われることもある。それどころかロッカーが消え、居場所を失うことだって起こり得る。

 知られていない国のリーグか、またはスペインでも2部リーグ。それなら多少の実力でもプロで在り続けられると言うかもしれない。とんでもない。パラグアイもメキシコも、ことサッカーにかけては日本にクオリティで劣らない。そこで出場を果たし、南米のクラブチームが出場だけでもと憧れるコパ・リベルタドーレスにも出場。並の選手では得られない実績だ。

 そしてスペイン。2部リーグといっても、実力だけならスコットランドリーグに匹敵する。いや、セルティックとレンジャーズの2強だけが目立つスコットランドよりも、実力伯仲のチームが揃ったスペインの2部の方が、過酷で厳しい世界かもしれない。

 もちろんオーストリアよりも、スイスよりも実力は上。そこで福田健二は、スポンサーのお金も持たずにチームとの契約を果たし、出場してはフタけたの得点を挙げて再契約を臨まれるだけの存在だった。海外で成功している選手。セルティックの中村俊輔。フランクフルトの高原直泰。同じくフランクフルトの稲本潤一。バーゼルの中田浩二。ずらりと居並ぶ代表クラスの選手に、実績で福田健二は匹敵する。

 オーストリアのチームから契約を見送られた、元日本代表の左ウィンガーが話題になるなら、福田健二の名は日本に轟いたって不思議ではない。世界屈指のリーグであっても、セリエAで出場のかなわない選手の動向に関心が集まるのならば、福田健二には何本ものCM話が舞い込んでも良い。それなのにほとんど動静が伝えられないのは、日本のメディアに特有の、己の基準を持たず代表だ、有名代理人だ、大手PR会社だといった看板をのみ頼りに、情報を集めている愚昧さが根にあるからに他ならない。

 それも変わる。変わらざるを得ない。あの3行を目にしたら。その言葉が紡がれた状況を知ったら。だから読んで欲しい。小宮良之が希代のストライカー、福田健二のスペインでの戦いを追ったドキュメント「RUN 流浪のストライカー、福田健二の闘い」(ダイヤモンド社、1500円)を。読めば、本物のサッカー選手とは、かくもすさまじいものだと分かって目が覚める。

 幼くして、家族というものについて深く考えざるを得なくなった人生。それだけに、福田健二の家族に対する想いには強いものがある。女子サッカー選手としての経験を持つ妻の澄代を大事にして、海外での生活が長くなっても可能ならば連れて行く。いっしょに暮らして、共にサッカーのことを考える。

 得点が奪えない。所属するチームが決まらない。紆余曲折の暮らしの中で、必死にひとりで悩んでいる福田健二のかたわらで、澄代は健二を信じて信じ抜く。健二がサッカーで頑張るなら、澄代は娘と家庭を頑張り、健二が帰れる場所を守って守り抜く。幼き日に受けた衝撃。そこからスタートしたサッカー人生で得た、かけがえのない場所がそこにある。

 貧乏で、遠征費が払えずサッカーを続けらなくなりそうだった時に、福田健二と似てパラグアイやポルトガル、フランスを渡り歩いた廣山望が言葉を差し伸べ、どうにかサッカーを続けて行けた。批判を浴びながらも信念を貫き、海外を歩いて日本に戻り、やはり今なおプロのサッカー選手で在り続ける廣山望と福田健二を、日本のサッカー界は讃えなくても良いから忘れてはいけない。いけないのだがしかし。

 福田健二自身にも忘れられる原因があった。名古屋グランパスエイトに入り、日本代表に名を連ね、順風満帆に見えた中で気力が緩み失速。FC東京、ベガルタ仙台と移ったクラブでも今ひとつ爆発できなかった。そうやって消えていった有望選手を数えれば、両手ではきかないくらいに多数の選手の名前が出てくる。もしかしたらそのひとりに、福田健二も入っていたかもしれなかった。

 しかし諦めなかった。諦められるはずがなかった。3行の言葉。自分は胸を張れているか。胸を張れるだけの努力をしたか。そして選ぶ。パラグアイ。メキシコ。たどりついたスペインで居場所を勝ち取り、放出されても移ったチームで活躍ぶりを元いたチームに見せつけ、そして再契約の話すら獲得する。けれども。

 そこで止まってはいけないと福田健二は考える。より高く評価してくれるチームがあるなら、移るのがプロだという信念で移籍を決断した。批判され、ブーイングを浴び裏切り者だと誹られても、プロとして居場所を探し続ける。前に向かって進み続ける。胸を張るために。胸を張れるサッカー選手になるために。

 2007年に30歳となって、所属するチームの低迷もあって、いよいよここまでかという空気も漂い始めている。しかし、中山雅史が日本で得点王に輝いたのは30歳の時のこと。イタリア代表のルカ・トーニも、27歳頃でようやく才能が開花して、そこから数年でスーパースターの座へと上った。福田健二にも可能性はまだまだある。何より支える言葉がある。

 「好きなサッカーで/世界に胸を張れる/選手になって下さい」

 涙をぬぐって前へと向かい、高みを目指して走り続ける福田健二を今こそ見よ。願うならばその背中を追って海外に飛び出し、はいつくばってでも実力でチャンスをつかみ、そして世界にその名を響かせるサッカー選手が何人も何人も、日本から生まれて欲しい。世界が日本のすごさを掛け値なしに認めた時、その始まりにあって滂沱を誘っていた3行の言葉が、かけがえのない宝物となって地球を照らす。


積ん読パラダイスへ戻る