宝石商リチャード氏の謎鑑定

 面白いお店&お仕事ミステリを読んで、愛でている人たちに評判となって、三上延の「ビブリア古書堂の事件手帳」とか、岡崎琢磨「珈琲店タレーランの事件簿」とか、太田紫織「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」とかに続く大人気作品になるかもしれない1冊。それらに似た要素は備えていて、それらに負けない面白さを備えている1冊。それが、辻村七子の「宝石商リチャード氏の謎鑑定」(集英社オレンジ文庫、570円)だ。

 タイトルどおりにリチャード氏という宝石商が登場する作品だけれど、主人公はリチャード氏ではなく、彼が夜の公園で酔っ払いに絡まれていたところを助けた中田正義という大学生。名前のとおりに正義感が強くて、リチャード氏を交番へと連れて行ってタクシーに乗せるまでしっかりと面倒を見る。

 そのリチャード氏と対面して、正義が驚いたことがまずひとつ。とてつもなく美しい。女性ではなく男性だけれど、そうした性別を超越した美しい顔立ちをしたいた。例えるならそこにあるだけで輝きを放ち、人を感嘆せしめる“宝石”といったところか。そのリチャード氏が、実際に宝石を扱っていると知った正義は、自分が実家から持ち出して冷蔵庫にしまっておいた、ある宝石を見て欲しいと頼む。

 ある特別な生業をしていた正義の祖母が、後悔を噛みしめながら持っていたピンク・サファイア。それを持ってリチャード氏を尋ね、ダイヤモンドではないため鑑定ではなく鑑別を頼んでからしばらく。再会したリチャード氏は、ピンク・サファイアが盗品ではないかと正義に向かって尋ねてきた。

 ピンク・サファイアを祖母が手にするに至った複雑な経緯。それによって起こったある悲劇。生んだ我が子を想い、生きるためにとしていたある生業で他人が不幸になった。そんな後悔を背負ってその後を生きた祖母から引き継がれたピンク・サファイアの“正体”を確かめに、正義はリチャード氏と神戸に向かいそこで知る。悲劇はなく、ある出会いを呼んで、そこに幸福が生まれていたことを。

 もちろん、正義の祖母がしでかしたことは“正義”ではない。義を訴えても正ではないという矛盾がそこにあることを感じ取って、自分は義のために正しさを曲げることを是とするか、非とするべきかを考えさせられるエピソードになっている。なおかつ、長い後悔を抱いて亡くなった人間に、死後ながらもちょっとした救いを与えている。読み終えて爽やかな風が身をすすぐ。

 その後、正義の真面目さと一途さを感じ取ったリチャード氏は、自分が銀座に開いた店の店員として正義を雇い、そして正義は、リチャード氏の宝石店持ち込まれるさまざまな依頼に付き合いながら、宝石が絡む幾つかの難題に向き合っていくことになる。

 どれもが一筋縄ではいかない問題。自分の嗜好を噛みしめながら、それでも普通に憧れる女性。好きな女の子のために格好をつけたいと虚勢を張る男性。悲劇的な過去を引きずる老人。そんな人たちが持ち込んでくる案件は、純粋というより単純な正義しか持ち合わせていなかった正義を戸惑わせる。

 ものわかりがよく全体を見通せるリチャード氏の、冷静というか冷徹なアドバイスの方が全体をまるくすんなりと収める上で適切かも知れないと思わせる。けれども、実直で正直だからこそつい漏らしてしまう迂闊な言動が、逆に彼ら彼女たちの迷いを晴らすこともある。そこから浮かぶのは人間の生き方、その多彩で多様で多面的な有り様だ。

 地球上に生まれ、育ち砕けながら世界に散っていったどの宝石には、ひとつとして同じ物はない。そして地球上に生まれ、育った人間にも同じ人はいない。ひとりひとりが違っている。LGBTというカテゴリーひとつとっても、中身は様々だし、同じような属性でもそれぞれに考え方は違っている。

 そんな多彩で多様で多面的な人間に、既存の価値観や憶測で縛らず、分かりきったようなことを言わないで、それぞれの人間の思いを汲みとって、迷いも感じて上から諫めず下から媚びもしないで、まっすぐに向き合って認め、背中をそっと押す。そうすることの大切さといったものが、描かれるエピソードたち、登場する人間たちから浮かんで来る。

 自分は自分で良い。自分は自分だからこそ良い。そう思わされる物語だ。

 一方で、美貌のリチャード氏と正義との間に浮かぶもろもろの雰囲気にも興味が及ぶ。可愛いけど鉱物について語り始めると眉間にしわが寄って来ることから、高校時代にゴルゴ谷本と呼ばれていた谷本さんという大学の同級生の女子に、正義は好意を抱いている。でも言えずにいるうちに誤解が生まれる。

 ストレートで朴念仁な正義は、リチャード氏にきれいという言葉を連発する。当人の思いは宝石に対する賞賛にも等しくて純粋なものでも、傍目には、あるいは相手からはどう思われるかが正義には分かってない。そして漂うそれといった雰囲気。リチャード氏が乗るジャガーを借りて谷本さんをデートに誘いたいという正義の頼みをすげなく断り、二度と口にするなとばかりに黙り込むリチャード氏を見ていると、もしかしたらといった雰囲気も浮かぶ。でも真意は不明。そこにさらなる興味が浮かぶ。

 そういった方面への関心を強く誘いつつ、人に人それぞれの生き方を押しつけではなく自ら考え感じられるようなエピソードを重ねつつ、宝石についての知識も与えてくれる「宝石商リチャード氏の謎鑑定」。これで店じまいかと思わせながらもしっかり続いていて、この先にまだ展開を重ねていけそう。次にどんな宝石がどんな物語とともに現れるかを今は楽しみにして待ちたい。

 鉱物が大好きで、ミネラルショーにはよく通い、等軸晶系ではダイヤモンドよりパイライトが好み。そんな風に鉱物について話していると、どんどんと目つきが怖くなるため、ゴルゴ谷本と高校時代には呼ばれた谷本さんのキャラクターが楽しそう。誤解のまま正義のことを“理解”して応援までしているけれど、それがどういう興味によるものかも知りたい。正義にはいい迷惑だけれど。それともまんざらでもないのか。

 人はそれぞれ。宝石もそれぞれ。


積ん読パラダイスへ戻る