宝石の国 8、9

 フェーズが変わったというか、ギアが1段上がったというか、歯車がガチャリとかみ合ったというか、そんな段階に到達したと感じた人がきっと大勢いるだろう。

 市川春子による漫画「宝石の国」シリーズは、海へと没した生命に微生物が入り込むことによって無機物の結晶となり、それが集まって意識を得て人の形となって立ち上がり、それぞれが宝石や鉱物の名前を得て、先生と呼ばれる僧侶のような恰好をした者の下につき、ある者は手に武器を持って月から宝石たちをさらいに来る月人たちを相手に戦い、ある者は日々を記録する仕事についていた、そんな構図がどこかギムナジウムのような場所で戯れ合う、美形そろいの少年たちといったビジョンを見せ、読む人を楽しませてくれていた。

 そうした中にあって、どこか落ちこぼれの感があるフォスフォフィライトは、少しの衝撃で粉々砕けてしまう弱さゆえに、月人との戦闘には出られず日々を観察することを命じられていたものの、月からやって来た海のようななめくじのような不思議な軟体動物、アドミラビリス族の王によって飲み込まれ、吐き出され連れられて海へと引き込まれ、足を奪われ代わりにアドミラビリス族の殻を与えられたりして地上へと戻る。その後も海に落ちて両手を失って、金と白金の合金に置き換えられることで不思議な強さを発揮するようになっていく。

 結果として待望の戦闘職につけたフォスフォフィライトは、月人たちの戦いの中で先生が月人のことを知っているのではないかといった疑問を抱き、真相を知ろうとした矢先に今度は首を失い、ラピス・ラズリの首をもらい受ける形で復活を遂げる。そこまでが第6巻から「宝石の国7」(講談社、600円)にかけて描かれたストーリー。フォスフォフィライトが含有している微生物が持つインクルージョンの能力が、他の鉱物との融合を容易にしているといった設定が強く出て、フォスフォフィライトは他の宝石たちとは違った存在となり、それ故の役回りを与えられて停滞していた世界を動かす鍵となる。

 身体の多くを他の鉱物と置き換えられながらも、フォスフォフィライトとしての意識を継続しているところが少し不思議。だからこそ先生と月人との関係を疑う気持ちも保持されて、やはり月へと行って確かめなくてはといった思いにかられ、それを決行してしまう。先生を信じ宝石たちをさらって月へと連れて行く月人たちと戦うのが使命という、与えられた定式に疑問を抱いて自分から踏み越えてしまえるフォスフォフィライトの好奇心の強さはその性質なのか、元より出自に少し変わったところがあったのか、気にかかる。

 「宝石の国8」(講談社、600円)、月へと乗り込んで見た月人たちの日常と、そして王子とよばれるエクメアとの対話によってフォスフォフィライトは先生の正体を知り、その存在意義を聞かされ、月人たちが何者かも教えられて、自分たちはいったい何をすべきなのかを迷う。文明が栄え人類が繁栄していた地上がいったん滅亡して後、肉と骨を地上に残して昇天した魂が先へとゆけず迷っているのを祈りによって解き放つ。それが先生に与えられた使命。それを忘れてしまったか、拒否したかで祈らなくなった先生を刺激するために、月人たちは宝石たちをさらい月へと連れ帰り、飼い犬に似た者を送り込み自らを作り出した博士の偽物を見せたりもする。

 言われていたようにアクセサリーにするためなんかじゃない、自分たちの行く末を開こうとして懸命だった月人たちの宝石狩りの意図を知り、どうすればそれが止まるかも知ったフォスフォフィライトは動き出す。美しい宝石たちがいて恐ろしい月人がいて海に軟体動物たちがいたりするファンタスティックな世界観に説明がつけられ、宝石たちと月人たちとの永遠ともいえる時間続けられてきた戦いに理由が示されて、作品世界のフェーズが1段上がったとも、ガチャリと歯車が廻って次のからくりを動かし始めたとも言えそうな第7巻と第8巻。その巻末で、フォスフォフィライトや一部の宝石たちが決断して動き始める。自分たちの存在意義を確かめるために。

 先に待つのは融和は、それとも対立か。寂しさを自覚すらしない先生が本来の役目を取り戻すのか、それとも永遠の戦いを続けるのか。遠い未来のとてつもなく進化してしまった人類の姿を描き、その先を示そうとするSFとしてのビジョンを本格的に見せ始めた『宝石の国』の結末が、ますます楽しみになって来た。そうしたビジョンが超絶的な動きと造形を持ったテレビアニメーションによって描かれる時を願いつつ、これから先の作品としての進展、コンテンツとしての展開を見守っていこう。


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