星間商事株式会社社史編纂室

 腐女子による、腐女子の、腐女子のための物語。

 などと、大上段に構えて叫ぶほどのことではないけれど、読めばなるほど、腐女子といった存在の一端が垣間見える物語であることだけは間違いない。

 なにしろ作者が三浦しをんだ。エッセイでボーイズラブへの愛情を吐露し、作品に滲ませ直木賞まで獲得してしまった作家が、いよいよもって封印を破るかのように、そのままずばり“腐女子”という言葉を用いて書いたのが、この「星間商事株式会社社史編纂室」(筑摩書房、1500円)という本なのだ。

 ヒロインの川田幸代からして相当の手練れ。サラリーマン物のやおい小説を専門に書いて同人誌にして、コミティアやコミックマーケットに出展し、販売している現役の腐女子にして現役のOLというから素晴らしい。会社でも実は優秀で、新しいショッピングモールを作るプロジェクトに全力を傾け、成功に導いた実績を持ちながら、いささか疲れを感じ、しばらく静かに暮らしたいと言ったら、なぜか社史編纂室へと回されてしまった。

 若い身空で窓際族。けれども、それを不幸とは思わず、ユルんだ空気の中でこっそり即売会で売るコピー誌を、会社のコピー機でプリントする逞しさを見せていた。ところが、昼行灯にしか見えない課長が、コピー本の切れ端を見てしまったところから、話は大きく動き出す。それもとてつもない方向へと動きだして、会社の経営体制をも揺るがす事件へと発展していく。

 若い頃は自分も同人誌を出していたという課長。それが、現在の同人誌とは似ても似つかぬ物と知ってか知らずか、幸代に向かい社史編纂室で同人誌を作って、コミケで売るのだと言いだした。

 なにを年寄りの冷や水を。そう思ってあしらっていたら意外に本気だった課長の同人誌熱。そこには実は裏があって、勤務する星間商事が企業として発展していく陰で行っていたとある所業を、歴史の闇から掘り起こそうという企みがあったのだった。

 そうとは知らず、最初は社史を完璧にしようと始めた幸代による歴史の探究が、会社における勢力争いも絡んで、ドロドロとした方向へと向かっていく。誰が敵で誰が見方なのか。そんな殺伐とした抗争も絡む、サスペンスフルでミステリアスな物語を主線のひとつとして楽しめる。

 たどり着いた過去の闇をそのまま書いては、会社の主流はから止められると考えた編纂室の面々が採用したのは、同人誌に入れる創作として描こうとする作戦。書くのは課長で、それをパソコンでデジタル化するのが幸代の役目で、小説の中にはそんな課長が書いてくる小説がしっかりと小説内小説としてつづられる。

 もっとも、課長が書き幸代が清書する小説内小説も、実際に書いているのは「星間商事株式会社社史編纂室」の作者の三浦しをん本人。これとは別に、幸代が自分たちのサークル向けに描くサラリーマン物のやおい小説もところどころに掲載されていて、そちらはそちらで腐女子の趣味にかなった内容のものになっている。書いているのはやはり三浦しをん、その人だ。

 両方に関わらなくてはいけなくなった幸代が、疲れた頭で自分の小説を執筆していたか、課長の書いた告発含みの小説をワープロで起こしていた時に、双方が混じり合ってしまって出来上がる、得も言われぬ珍妙な小説も、当然にして三浦しをんの筆から生まれたもの。本編があり、それぞれに進む小説内小説たちがある物語をしっかり、そしてそれぞれの特色を滲ませながら描く三浦しをんの多才ぶりに、だひたすらに驚かされる。

 星間商事の過去に絡んで、とある目的のために紡がれた南洋が舞台のラブストーリーも、小説内小説としてしっかり作者が書いている。その続きを、やおいOLの幸代が想像しながら書いた短い小説もあって、誰かに成り代わって描こうとして、しっかり腐女子のOLのテイストが滲んだ小説内小説を、三浦しをんは著者としてしっかり描いてのけている。偉大なり、三浦しをん。

 作品を成り立たせるために不可欠だったとはいえ、そうした労力をそれぞれ1本の作品として振り分ければ、いったいどれだけの本になったのか。もったいない話だけれど、デビュー作となった「格闘する者に○」の当時から、小説内に小説を入れ込むのは一種の持ち味でもあった。それをよりエスカレートさせた上に、スリリングな展開も混ぜ込んで見せた、サービス精神に溢れかえった小説なのだ。「星間商事社史編纂室」は。

 ミステリーとサスペンスの要素も絡み、戦後日本の暗部にも迫るような本編を一方に進めつつ、腐女子といった存在が持つどうしようもなさを描いているところにも、凄みが滲む。3人組の同人誌仲間のうちの1人が結婚を決意し、離れていくのを止めようとして出来ず、かといって諦められない心情には、置いていかれる寂しさと、それでも走り続ける覚悟が浮かぶ。

 『「女の幸せって?」幸代は念のために聞いてみた。「かわいいなってみんなに思われて、お姑さんにも気に入られて、子どもを二人生んで、カルチャースクールでフランス語か手話を習って、それを活かして家事の合間に少々の収入を得て、週末にたまに夫と二人でカフェでランチしたりすることよ!」実咲の答えに、幸代と英里子は「げっへっへ」「げっへっへ」と笑いあった。「脳がどうかしたんじゃないの、あんた」』。

 なるほど腐女子は「げっへっへ」「げっへっへ」と笑うのか。その書きっぷりもそうだけれど、諦めと妬みと歓びと悲しみが入り交じったやりとりの中に、腐女子として生きることの困難さと、それでも挑まざるを得ない決意が響く。

 ストーリーから設定から、描写から蘊蓄から何から何まで揃った抱腹絶倒のエンターテインメント。願うなら、登場する悲運の女王の今に幸があることを、示唆して欲しかった気がしないでもないけれど、それをやってしまうと出来過ぎ感が高まり過ぎる。抑えたところで現代において、ひとつの幸せが成就したことで、過去に涙を流した人も喜んでくれるのではないだろうか。

 もっとも。これだけのエンターテインメントにして男女の機微にも通じたラブストーリーからでも、真の腐女子はカップリングを見いだして「げっへっへ」とほくそ笑むのだろう。とりあえず部長と課長か。どちらが攻めで、どちらが受けになるのだろうか。素人にはまるで判然としない事柄でも、三浦しをんなら即座に明快かつ快活に答えてのけてくれるだろう。


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