人柱ミイラ出会う

 土木工事に欠かせないもの。クレーン。パワーショベル。杭打ち機。生コン車。そして人柱。

 なんだそりゃ? そう思ったあなたは日本の風習を知らない外国人だ。はるか昔より日本では、土木工事の際に神様の怒りを鎮めるために、人間を生け贄として工事現場に埋めてきた。それが人柱。この風習は現代になっても受け継がれ、工事現場では必ず人柱が地中に入る。

 そんなばかな! だからこれは石持浅海が「人柱はミイラと出会う」(新潮社、1200円)で描く日本での話。この世界では現代になっても人柱の風習が生きている。さすがに生き埋めにはしないけど。

 地下に小さい部屋を作って、そこに工事が無事に完了するまで住まわせるのが現代の人柱。無事に工事が完了すれば出てこれるけど、もしも神様を怒らせるようなことがあったら、人柱の命に保証はない。

 工事を一所懸命頑張ります。神様にご迷惑はかけません。だから工事を見守ってください。そんな神への担保として、現代の人柱は位置づけられている。

 だからとても神聖な存在。テレビを見たり本を読んだりなんて許されない。工事の間をひたすら何もしないで過ごすだけ。強い精神と命の覚悟を求められる仕事だけに報酬もそれなり。1回でマンションが買えるくらいの報酬を得られる。

 ちなみにこの世界。ほかにも厄年になった人は、会社に出てこられても事故や事件を他の人の足を引っ張るだけ。ケガでもされたら2年3年を休まれ会社に多大な損失を与えるから、1年間はじっくり休暇を取ることが半ば義務づけられている。また、都道府県知事は1ヶ月おきに東京と地元に住むという、江戸時代と同じような参勤交代の制度も設けられている。

 見えているけど見えないと見なされる黒衣が、議員ひとりにひとりづつ付き議会などで助言を行う制度もある。ウサギならぬ銀行強盗を追いかけとらえる鷹を操る鷹匠がいる。既婚者は歯を黒く染めるお歯黒の風習も生きている。

 現実の世界ではありえない、古くから伝わって来たり形式として用いられている日本ならではの風習が、迷信として排除されず逆に社会にとけ込んでいる。そんな日本を描いた短編集が「人柱はミイラにと出会う」。聞けばどの風習にも、現代に残る納得の理由があって、だったらどうして今、人柱が見られないんだろう? という気になってくるがら面白い。

 厄年休暇なんて本当にあったら歓喜する人も大勢いるに違いない。厄払いになるお遍路なり巡礼といったツアーがまた、新たな消費を生み出す可能性を考えると、サマータイムより先に導入して欲しいものだが、さてはて。

 そんなパラレルワードならではの面白さを見せるのと同時に、この連作短編集は、人柱なら人柱、鷹匠なら鷹匠、厄年なら厄年それぞれに持っている特徴や役割を起点にして、様々な事件が描かれる。

 人柱が消えてしまって室内にミイラが残されていた事件や、鷹が犯人を脅すだけでなく殺してしまった事件、厄年になって休んでいるはずの人たちが次々に怪我をする事件について、自身が人柱という青年が探偵となって、合理的な解決をしてみせる。

 奇妙な世界を描き、奇妙な世界ならばこその事件を組み立て、奇妙な世界故の答えを示すという、3重の想像力が働いた奇想の書。自分だったら他にどんな風習が現代だったらどう残されているか、なんて考えてみたくなる。

 例えば桃の節句。男児が一所に集まり死闘を繰り広げるバトルロイヤルになっていたりしそう。生き残ったものだけならば日本男児、確かに強く健康に育つだろうな。


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