秘密
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 外国では有名なのに、日本ではなかなか訳出されない作家がかなりいる。外国では全然有名ではないのに、日本ではどんどんと邦訳が出て、それがベストセラー・リストの上位に入ったりするケースも、かなりたくさんあるようだ。

 それから外国ではたくさんの本を出しているのに、なかなか訳出されなかった作家が、ある時期を境にして、どんどんと邦訳が出るようになったケースも。例えば一時期のダン・シモンズ。ちょっと前までは「カーリーの歌」くらいしか邦訳がなかったのに、今では「殺戮のチェスゲーム」に「夜の子供たち」に「サマー・オブ・ナイト」に「ハイペリオン」に「ハイペリオンの没落」と、実にたくさんの本を日本語で読むことができる。

 イアン・バンクスは、84年の「蜂工場」で衝撃的なデビューをかざり、以後も着実にベストセラーとなる作品を出してきた英国の作家だが、日本ではたぶん88年に、デビュー作の「蜂工場」の邦訳(野村芳夫訳、集英社)が文庫で出た後は、ずっと紹介されることがなかった。「蜂工場」の文庫本も、今では入手困難というから、96年の半ばまでは、日本ではほとんど忘れられた作家だった。幸運にも自分は、「蜂工場」の邦訳を読んでいて、そのあまりの激しい内容に衝撃を受けて、ずっとその名前が頭に残っていたのだが。

 それが96年9月に早川書房から「共鳴」(広瀬順弘訳、早川書房)出て、ちょっとした話題になったのに続いて、「秘密」(高儀進訳、早川書房)という、去年英国で出たばかりの作品が、早くも日本語になって登場した。「秘密」のコシマキによれば、英国SF協会賞という伝統のある賞を受賞した「ファイサム・エンジン」という作品も、97年春には邦訳される予定とか。ダン・シモンズのような華々しい売れ方はしていないようだが、邦訳が増えて、それがじわじわと話題になっていけば、やがて「蜂工場」が再刊されたり、96年に出た新作の「Excession」が早い時期に邦訳されるという幸運に、巡り会うことができるだろう。

 日本にイアン・バンクスのファンを根付かせるという意味でも、「秘密」には大いに期待をかけていたが、その意に違わずこの「秘密」、「蜂工場」のドロリとまとわりつくような粘液質の世界でもなく、「共鳴」のどんより曇った空模様のような世界でもない、明るくコミカルで感動的な、そしてちょっぴり毒を含んだ、不思議な世界を描き出していて、過去の2作に入り込めなかった人にも、広く受け入れられる要素を持った作品に仕上がっていた。

 舞台はスコットランドの片田舎。嵐の夜にバッグを1つ持ってある島に流れ着いた男が始めた宗教が、代を重ねてしっかりとした地盤を築き上げ、信仰心に熱い人々が集団で暮らす、1つのコミュニティーを形成するようになった。ラスケンタイアリアンと呼ばれる人々の集団は、テクノロジーを拒否して自動車も列車も電話も伝統も使わず質素な生活を送っているが、リープイヤーを翌年に控えた4年に1度、「愛の祝典」と呼ばれる宗教的な儀式を行う時は、コミュニティーを離れて生活している人々も戻ってきて、その名称にふさわしい派手なお祭りを繰り広げるのだった。

 その「愛の祝典」が間近に迫った時期、祝典の目玉になるはずだった教祖の孫のモーラグという女性から、祝典には帰らず、教団からも脱退したいといった内容が書かれた手紙が届いた。驚いた教団は、モーラグを改心させ、祝典に出席するよう説得するために、モーラグの従姉妹で、次代の教団の指導者と目されている19歳の少女、アイシスをロンドンへ派遣することにした。

 生まれてこのかた、教団の施設を出たことがなく、教団の教えにどっぷりと浸かって育ったアイシスは、行き先々で普通の人から見れば奇矯な言動や行動を取る。なにしろ教団を出る時に使った乗り物が、タイヤチューブの筏というのだから、そのズレ具合は相当なものだ。

 悪いことをしている人を見つけては立ち止まって説いて聞かせ、来ているシャツは全部逆さボタン(フラップ部分の下にボタンを縫いつけて反対の前身なる穴にはめるためボタンが表から見えない)に変えてしまい、寝るときにはベッドがあるのにハンモックを使う。タクシーに載れば椅子に直接座ることをきらって座板を求め、故に運転手から女性には恥ずかしい(男だって恥ずかしいかも)お尻の疾患と勘違いされる。それでも街に住む信者の仲間たちの協力で、消えたモーラグの行方を探す先でアイシスが見つけたのは、伝わっていた話とはまるで違うモーラグの姿だった。

 そして衝撃はアイシスに追い打ちをかける。背信の濡れ衣を着せられて教団を追い出されそうになったアイシスは、決断をして教団にゆかりのあった、そして今は教団から離れてしまった人たちを探し求める旅に出る。教祖の孫として、そして教団の次代の指導者として、ぬくぬくと育てられてきたかのように思われるアイシスが、実は驚くほどに適応能力の高い女性で、かつ決断力と行動力に富んでいて、そうした力を最大限に発揮して、追い込まれた場所からの脱出を企てようと頑張る姿に、きっと誰もが共感を覚えることだろう。

 最初に知ったモーラグの「秘密」にも、そして最後に知った教祖の「秘密」にも、衝撃を受けた次の瞬間には、それを受けとめて呑み込んでしまい、さらには自分の武器にまでしてしまう。教団の教えを信じているからこそ、その教えを守り通したいとう気持ちが、さまざまな「秘密」を乗り越えさせ、「真実」を尊ぶ道へと己を導く。その結果、近年幾多の前例を残したような、「教義」に凝り固まって回りが見えなくなり、そのまま自滅していった「カルト」と同じような道を、アイシスの教団が歩んだかどうかは、物語では語られていない。ただ、あれだけ適応能力の高いアイシスのことだ。現実と隔絶することなく、真実から逃避することなく、そして理想をあきらめることなしに、きっとうまくやっていったことだろう。

 先年の某カルト教団の事件を踏まえ、カルト教団の信者が取りがちな、一般常識とはかけ離れた奇矯な言動をあざけり笑う本として、メディアに取り上げられる可能性を持った内容だけに、そうした分野に長けた作家として、イアン・バンクスが認識されてしまうことを心配する。もちろんそうした要素を多分に含んでいる以上、仕方のないことなのかもしれないが、やはりここはアイシスの、果敢で機知に富んだ(それが自分を守りたいという意思に起因していたものだとしても)行動の数々、現代人が忘れてしまっていることを思い出させてくれる示唆に富んだ(おしつけがましく古くさいのも事実だが)言葉の数々に、目を向け耳を傾けたい。


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