ひがえりグラディエーター

 人間と、あやかしとの間に生まれた曖昧な立場ゆえに愛されず、戦いを強いられ、戦い続けてそして逝った少女の乾いた哀しみが響いた「ダブルブリッド」シリーズに始まって、無垢な純粋さを削りながら戦う少女の苛烈な生に泣けた「ソウル・アンダーテイカー」を経て、異星人との交流を描いた「ぐらシャチ」まで。

 伝奇や異能バトルや、ファーストコンタクトといった、ライトノベルやSF、ファンタジーによくある主題に見えながらも、その展開の中にどこかざらついたシチュエーションを混ぜ込んで、読む人が心地よさに浸ることを妨げてきた中村恵里加が、新しく始めた「ひがえりグラディエーター」(アスキー・メディアワークス、590円)という物語もまた、ありがちに見える設定の向こう側に、不気味で不穏な空気が漂っている。

 天津蔵人という名の少年が、突然に現れたアールという名の少女に誘われ、この地球とは別の世界で、一種の娯楽として行われている戦いの闘士にさせられて、目の前に現れる相手と戦わされる。これだけなら、退屈な現実から逃れたいという思いに、美少女との出合いを重ねて、空想の世界に遊びたいと願う読者の望みを反映した物語と、受け取れそうな設定だ。

 しかし、天津蔵人に待つのは、非日常へのあこがれを粉々に吹き飛ばすような事態。幼いころ、妹が神隠しのように行方不明となった後も、ずっと忘れられずにいて、その妹の誕生日に、妹へのプレゼントを買って贈り続けるという、暴力や競争とは無縁の日々を送ってきた優しい天津蔵人は、突然に連れて行かれた異世界で、人間を駒にしたゲームに参加させられ、銃やナイフを取れといわれる。困惑しないはずがない。

 戦えない。戦いたくない。戦う理由がない。おまけに、戦い慣れしていない天津蔵人を鍛えるため、アールが他のマスターに頼んで連れてきて貰った練習相手にも驚いた。とても傷つけられない。そう思った天津蔵人は、自らの脚を銃で撃ち抜いてみせる。

 痛くないのか。なぜ自分を銃で撃てるのか。それは、体に入れられた生体マシンの力で体が強化され、再生能力が高められているから。殺し合いではなく、あくまでゲームの駒。そして勝てばお小遣いがもらえるという利点もある。そのまま参加しても、心を痛める必用などどこにもない。

 けれども、天津蔵人は逡巡する。相手は生身の人間。傷つけるには覚悟がいる。切れば血が出るし叩けば潰れる。時には内臓すらはみ出させ、手足を失って地べたをはいずり回るような怪我を負わされることもある。痛さはなくても気持ちはよくない。傷つける方だって同じだ。

 非日常に遊び、空想に胸躍らせるような展開を否定し、迷いと焦りが入り交じったような、複雑なを越えていかなくてはならな気分にさせる。そんな不条理が、「ひがえりグラディエーター」には染みていて、異能バトルやラブコメディだと思って手にとった人たちを、おおいに戸惑わせる。

 なにかのために戦うという正義に寄りかかれない。死なない以上は自分のためという理由も使えない。それども、天津蔵人は戦うことを受け入れる。幼い少女を相手にナイフを取って打ち倒す。本能としてわき上がる負けたくないという思い。自分を駒としながらも、自分を信じる異世界の少女の願いに答えたい思い。それが、天津蔵人を戦いの場に歩ませる。

 なにより、頂点へとたどり着かなくてはならない理由ができた。消えてしまった妹の影を感じ、追いかけていこうと決めた少年と、妹の失踪に心を痛めていた、優しいはずの少女との関係も織り交ぜながら、物語は進んでいくことになりそうだ。戦いがこの先にどうなっていくのか。戦いは本当にゲームのままで終わるのか。興味は尽きない。

 妹思いだった天津蔵人の心が、戦いの繰り返されるなかでいったいどうなっていってしまうのかにも、関心が及ぶ。戦いは人を変え、恋情も人を変えるものだから。それとも本当は、不幸を口実に自分を哀しみと優しさの中に追い込んで、退屈な日常から逃げていただけで、本当は残酷で、酷薄な人間だったのか。人間の本性にも迫る物語が見られそうだ。

 ゲームの駒として少年を連れてきたアールという少女の、なぜか笑顔を見せられず、目も強くはつぶれない無表情の原因はなにか。キャラクターたちが持つ、一筋縄ではいかなさそうな仕掛けも多々あって、展開はこの先、大いに変幻していきそう。なにしろ作者は中村恵里加だ。予想のさらに上を行く展開が、不穏さを醸しだし、不気味さをまき散らし、そしてその上に正義とは、愛情とは、本能とは何かを指し示す物語を、描いていってくれるだろう。絶対に。


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