ヘンたて 幹館大学ヘンな建物研究会

 それを“綾辻行人の定理”と呼ぶならば、奇妙な建物ではすべからく、訪ねてきた者や泊まった者は死ぬべきであって、生き残ってせいぜいが1人か2人と、あとは探偵役が1人といったところ。あるいは探偵すらも残らず全滅という可能性も決して低くはないにも関わらず、数々の奇妙な建物が出てくる青柳碧人の「ヘンたて 幹館大学ヘンな建物研究会」(ハヤカワ文庫JA、700円)では誰も死なない。猫も犬も鴉すらも死なないから、驚くというか慌てるというか。

 特に学びたい学問もなく、特になりたい職業もないままに、とりたてて行きたい訳でもなかった幹館大学へと進んだ中川亜可美。なにも彼女が特別という訳ではなく、ほとんどの大学生がそうやって、惰性と妥協の中で大学に進んで後に、なにかやりたいことを見つけたり、大切な人に出合ったり、やっぱりやりたいことも、なりたいものもないまま、4年間を過ごして社会へと出ていったり、大学に残ってモラトリアムの時間を過ごしたりする。

 自分はどうなるんだろうと、迷ったりしながらもとりあえず、サークルでもとチラシをもらったり、歓迎会に出ては天文研究会でビッグバンについて熱く語られ理解のできなさに戸惑い、コーヒー研究会で何十分もサイホンを眺めさせられた挙げ句に、出された苦い珈琲を十杯も飲まされて辟易とし、クイズ研究会でゴンクール賞の歴代受賞作をどれだけ知っているかと聞かれ、これはもう絶対にあり得ないと辞退した挙げ句に大学を出て、入った喫茶店で混んでいるからと相席にされた向かいの人が、見ていた建物の写真にふと目を引かれ、丸メガネをかけたその彼に誘われるままに、あるサークルの会合に参加する。

 そこが「ヘンたて」。正式には「ヘンな建物研究会」というサークルで、左門玲介という名前だった丸メガネをかけた3年生の先輩や、高校の頃から美少女として後輩からも注目されていた2年生の縁川沙羅先輩らの雰囲気に引きずり込まれるように、亜可美は「ヘンたて」を立ち上げた、4年生ながら7年次という上梨田誠士郎先輩の実家が経営する旅館で行われた新歓合宿に、同じ新入生で縁川先輩と高校が同じだった伊倉星加、おっとりとした鈴木善文と共に参加する。そこで亜可美たちの前に現れたのが、実にヘンな建物だった。

 という感じに物語は、新入生の中川亜可美と「ヘンたて」のメンバーたちが、各地にあるヘンな建物を訪ねていっては、そこにかかわる謎を解き明かしていくという展開で進んでいく。第一話の上梨田先輩の実家にあるログハウスのように、あらかじめヘンであることを前提に立てられた建物の謎を、新入部員たちが恒例行事として解き明かそうとチャレンジするエピソードもあれば、第二話のように、新入生の鈴木くんの兄が暮らしていた、部屋が4つしかなく、それらがすべて部屋ごとエレベータになっていて、上空100メートルまで引っ張り上げられるようになっている不思議なマンションで、ずっと引きこもっていた兄が、隣人の女性と知り合い仲良くなって、遂に結婚してしまった経緯を推理するエピソードもある。

 あり得ないといえばあり得ない建物で、ミステリという形式の上で推理をめぐらせるために、結論から帰納法的に設計されたようにすら思えなくもないけれど、それはミステリに登場するほとんどの奇妙な館たちもあてはまること。求められるのはどれだけ意外性にあふれた“ヘンさ”を持った建物を想像し、創造できるかで、その点で「ヘンたて 幹館大学ヘンな建物研究室」は存分に用件を満たしている。ワンルームのくせに家賃20万円で100メートルの高さがあるのに4部屋しかなく夜はてっぺんまで上がるマンションなんて、誰がこれまでに創造しただろう。

 なおかつ「ヘンたて 幹館大学ヘンな建物研究会」の場合は、そこで繰り広げられる陰惨な血みどろのシチュエーションに恐怖を感じてもらう“綾辻行人の流法”へとは流れず、そうした建物をめぐって交わされる人々の心のさまざまな動きから、やりたいこともなりたいものも見いだせないまま漂っている若い人たちの心に、誰かを思ってみる大切さを感じさせ、そこを手がかりに今を生きていこうとする力をもたらす。ヘンな建物にかけては前後左右に並ぶ者のない綾辻行人が、帯に推薦の言葉を寄せたのも、そんな新しさに着目してのことだろう。

 ようやく入った大学で留年を繰り返して、7年次まで来てしまってなお卒業できる見込みのない上梨田先輩に憤る彼の母親だったけれど、亜可美にとっては自分を「ヘンたて」へと引っ張り込んでくれて、面白い経験をさせてくれたかけがえのない恩人。そう主張して上梨田先輩の母親の憤りを和らげるエピソードには、謎解きの面白さに負けずとも劣らない主張があるし、鈴木くんの引きこもりだった兄が、隣に暮らしていた女性と知り合いそのまま結婚へとこぎ着けた理由からは、頑なに見える心の奥にもきっと優しさや慈しみの気持があって、そこから人は変わっていけるのだと教えられる。

 四方を壁に囲まれながらそこに向けて狭間が開いている隅櫓(すみやぐら)の秘密を探るエピソード。回転寿司のレーンが部屋の中までめぐっているホテルが行ったミステリイベントで、女性が殺されたという設定の事件の謎を「ヘンたて」や他の学校のクイズ研、すし研などとともに推理し合うエピソード。それらの謎解きそのものの面白さもさることながら、大学のサークルに必ず起こるだろう恋愛関係にも目を配り、誰かが好きな誰かから好かれながらも、誰かが好きだという複雑な関係を描いて、こんなときどうしたらいいんだろうと考えさせる。むしろこちらの謎解きの方が解決により困難をきたしそう。

 建物のヘンさに驚いたり、迷ったり慈しみ合ったりする心の機微を味わって得られるさまざまな感情。フレッシュで明るく楽しい新感覚のミステリであり、青春の物語をまずはお試しあれ。この優しさに触れるともう、血みどろの惨劇ばかりに満ちた“綾辻行人の館”には戻りたくなくなってしまうかも。


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