葉桜

 高校生の少年が、年上の女教師に憧れる物語、といわれてすぐに思い浮かぶのは、AVなり官能といった、特殊なシチュエーション下にあるフィクションか。大正昭和の文学にだったらあったかもしれない、年上の女教師に心をときめかせる、まだ青い少年の純愛ストーリーというものを、このところあまり見かけない。

 いっぽう、女子高生が年上の教師にあこがれる物語だったら、それこそ枚挙にいとまがない。もちろん、禁断の色に飾られたロマンスも、背徳の香り漂うミステリーも少なからずあるけれど、その根底に流れるのは、年上の存在に対する少女の親愛とも憧憬ともとれる純粋な思い。この男子と女子の差はいったい何によるものなのか。一考してみたい気もする。

 漫画に小説にドラマに映画にノンフィクション。諸々の傑作が存在する、女子高生と年上の教師との恋愛譚の列に、新たなる作品が名を連ねた。橋本紡の「葉桜」(集英社、1300円)は、通っている学校の先生とは違って、主人公の櫻井佳奈という女子高生が憧れるのは、通っている書道の教室の先生。それなりな腕を持ちながら、中央に出ず隠棲するように暮らし、書道教室で生計を立てている。

 親切で優しくてミステリアス。そんな先生への思いを、書道教室に通いながら、佳奈はだんだんと募らせていく。若い世代に起こりがちな、しっかりとして落ちついた上の世代への憧れが、恋心にすり替わっているだけと言えなくもない。けれども、それをそうだと認識できるほど大人でもない。渾然とした感情が、佳奈の心に積み上がっていく。

 もっとも、書道の先生には由季子さんという奥さんがいて、その人がとてもいい人で、通ってくる佳奈にも優しく接してくれる。ひいき気味ですらあって、夫といっしょに楽しむおやつの時間に佳奈を招き入れ、いっしょに団らんしたりするから、彼女を佳奈は恋仇とは見なせない。どこか疚しささえ感じて戸惑う。

 先生への恋情と、由季子への親愛がせめぎ合って、迷い惑う気持ちで心をいっぱいにしていた佳奈。家に帰れば帰ったで、同居している妹の紗英が歳に似合わない聡明さで、姉の心をざわつかせる。

 全国模試でひとけたを取る天才。実は佳奈の家系では、早熟な天才がよく生まれることがあった。けれども、その誰もが17歳になると、なぜか自ら命を絶ってしまっていた。世の中のすべて見通してしまう聡明な感性が、終わりを見てしまって世を儚ませているのか。生きづらい世だと分からせてしまうのか。

 そんな状態に紗英があてはまっていることで、佳奈の家族はいつかくるかもしれない離別の日を、不安に思いながら毎日を暮らしている。佳奈は紗英の部屋へ行って、書道教室で書いた字を張り出して、気にかけてあげることをほのめかす。そのことで今につなぎとめようとしているけれど、果たして伝わっているのか、それとも鬱陶しがられているのか。分からないまま毎日が淡々と過ぎていった、そんなある時。

 佳奈は書道の先生に連れられて、先生の友人らしい男の書の個展を見に行く。そこで先生は、空海から最澄へとあてられた3通の手紙を写した作品を見る。そして先生は少し厳しさを見せる。なぜなのか。佳奈が通う書道教室に、その友人らしい男の下から学びに来ていた少年の解説で、佳奈は先生にもあった過去、そして深くて厳しい人生があったことに気づく。

 誰もが迷っているし、悩んでいる。それは取るに足らないことかもしれないし、とてつもなく大切なことかもしれない。ただひたすらに自分の思いに真っ直ぐな世代が、さまざまな葛藤の中で思い惑っている人の心に触れることで、少しだけ成長していく。自分の思いをぶつけ、拒絶され、自分を知ってそこから先に歩を進める。人生に常にある進歩。そのひとつの瞬間を切り取った物語だ。

 聡明な紗英の何かを諦めたような奔放さも、やがて彼女を慈しんで止まない姉の佳奈の、葛藤して成長していく姿と重なり合い、お互いに欠けている部分を埋め合い、はみ出している部分を分け合うことで、おさまって家族としてのまとまりを見せていく。家族の温かい。月並みだけれどそんなものの大切さが見えてくる。

 挟み込まれる和歌の解説が、物語の展開とピタリとはまって勉強にもなる「葉桜」。佳奈と紗英の会話だけでつづられるラストシーンの、融和から安寧へと向かい、そして輝きの中へとあゆみ出すような終わり方がひたすらに眩しい。美しくて切なくて温かい物語。お読みあれ。


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